日本一カッコいい男「白洲次郎」のダンディズムをお裾分け! | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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3月3日のブログにも書きましたけど、アタシが読んでいた白洲次郎さんの本。

 

 

この392ページの分厚い本を先週土曜日に無事に読み終わりまして、放送大学に返却してきました。

 

この本を読んでつくづく思うのが、もう白洲次郎めっちゃカッコいい!キムタクも福山も全然目じゃない!ダンディズムが服を着て歩いているようなのに、それでいてお茶目で情に熱い。

こういう人がもし今いたらね、腐りきった日本の政界を断舎離して、隅から隅まで綺麗にしてくれるんだろうになぁ。(ー_ー;)

 

でですね、今日はこの本の最後の方でこの「日本一カッコいい男」白洲次郎さんの人柄にまつわるエピソードが紹介されていたので、みなさんにもお裾分けをしたいと思います。

 

①彼のダンディズムがどうやって身についたのかといえば、それは若かりし頃のイギリスのケンブリッジでの生活が根幹となっている。彼はブランド品についてこのように語っている。

「一流品はそれにふさわしい社会的地位にない人間が身につけるべきではない。イギリスでは、ロールス・ロイスに乗っていいやつと、ジャガーまでしか乗ってはいけないやつがいるんだ。」

 

吉野家にベンツで来るやつ、BMWでユニクロに来るやつ、ボルボで飯のはんだやに来るやつ、ルイビィトンのバッグを借金で買うようなやつ、それNGなんですってよ。

 

②彼は世界の一流品を身に付けてひけらかすようなレベルはとうに超えていて、ごく自然に名品を選んだ。なぜ、スーツのことを「背広」というかあなたは知っていましたか?英国の老舗の洋服屋に「ヘンリー・プール」というお店があるのですが、500円札の肖像画の人岩倉具視が欧州視察の際、「セビル・ロー」にあるこの店でスーツをあつらえたことが、「背広」の語源になっているんだそうです。「セビル・ロー」=「背広」。もちろん、白洲次郎さんはこの「ヘンリー・プール」の常連だったそうです。

 

③美味しいものにも目がなかった白洲さん。銀座の「きよ田」という寿司屋に通っていたそうですが、子供がワーキャーと騒いでいても絶対怒らなかった白洲さんですが、大人が飲んで酔っ払っていると、知らない人でも平気で後ろから襟首をつかんで、「おい、出てけ!」と引っ張り出したんだとか。う~ん、それはちょっと出来ない。今なら絶対に警察沙汰かもなぁ。(-_-;)

 

④彼の好んだウィスキーの銘柄は「マッカラン」だったそうだが、それとは別に彼が本場英国から個人的に輸入していたウィスキーが絶品だったそうです。なんでも、親友のロビンがスコットランドの樽元から原酒を樽で買い取って、それをロビンの自宅で熟成させ、頃合いを見計らって白洲さんに送ってくれていたんだとか。味は極上の逸品だったのですが、樽出しのウィスキーではアルコール度数が高過ぎて、ホームパーティーで振る舞ったところ、急性アルコール中毒で倒れた人が出たので、その話を伝え聞いたロビンはそれからはアルコール度数の低い瓶詰めのウィスキーを送るようになったんだそうです。

じ、次元が違いすぎるわ。(ー_ー;)こんなことが出来るのはこち亀の中川か麗子ぐらいだろう。

 

⑤昭和60年(1985)11月28日午後4時24分、白洲次郎さんは天国へと旅立ちました享年83歳、巨星逝く。生前から「葬式無用、戒名不用」というわずか2行だけの遺言を残していたというのも彼の生き様らしい。

 

最後にこれ、いいこと言うなぁとアタシも忘れないでおきたいので、ここで紹介します。

 

白洲次郎名言その1

 

「今の政治家は交通巡査だ。目の前に来た車をさばいているだけだ。それだけで警視総監には成りたがる。政治家も財界のお偉方も志がない。立場で手に入れただけの権力を自分の能力だと勘違いしているやつが多い」

 

白洲次郎名言その2

 

「日本人は大体話がつまらんですよ。これは中野さん(英文学者)なんか大いに責任がある。教育が悪いんですな。あなたが大学で教授して講義をする。それを生徒が筆記して丸暗記で試験へ行く。そして、その通り書くと100点満点。そんな馬鹿なこと世の中にあるものですか!

自分で考えるということを教えない。日本ぐらい自分でものを考える奴が少ない国はありませんよ。やはりこれはもっと本質的に言うと、教師が自分で考えることをしない。明治維新まで、侍の子供にいちばんやかましく言った教育、つまり物事の原則を考えるということを教えない。

 

三田の心月院に彼のお墓はあるそうなんですが、機会があったらお墓参りをしてみたいなぁ。