どうも、すこっちです。(^O^)
カミさんの用事に付き合って、多賀城市文化センター来てみたところ、
多賀城市埋蔵文化財調査センター展示室(無料)という施設を発見!
歴史フリークのすこっちではありますが、まぁ、こういう機会でもないと多賀城の歴史をあらためて見つめ直す事もないんで、のぞいてみました。
そしたら、なんと入ってすぐにカウンターパンチ👊ですよわ。
なんと、令和6年の8月27日に国宝になった多賀城碑のレプリカ(副製品)がドーンと鎮座してあるではないですか?
こちらが説明書きである。
多賀城の存在を世に知らしめた、唯一の証拠がこの多賀城碑なのです。
このレプリカがよく出来てまして、実物の後ろとか見る事が出来ないので、ごらんください。
でね、ちょっと注目していただきたいのが、この多賀城碑、地上に出ている部分の高さが196センチだから2メートル欠けるぐらいである。
プロレス一般常識をお持ちの皆さん(どんだけいるのよ、そーゆー人)ならご存知でしょうけど、東洋の巨人と言われたジャイアント馬場さんが2メートル9センチで、歩く人間山脈と古舘伊知さんが名付けたアンドレザジャイアントが2メートル23センチである。
つーことは、アンドレや馬場さんよりちょい小さいのが多賀城碑ということになる。
まぁ市の施設だし、資料館やら展示室やら真面目なとこなんで、たぶん無理だろうけど、アタシだったら多賀城碑の横に馬場さんとアンドレの等身大パネル製を並べて、比較対象度合いをビジュアルでお見せして、ちょっとした面白味というか、茶目っ気を表現して、一見すると退屈でつまんない資料館にエンタメ要素を演出するんだけどなぁ。🧐
当時の多賀城は東北のハブ都市として、縦に南北大路、横に東西大路が通っていて、陸奥の都的な街だったそうです。(あくまで奈良時代の話ですけど)
でも、この多賀城碑って水戸光圀(水戸黄門さんね)が野ざらしになってて、当時の人は誰も気に留めてなかったこの碑に、歴史的な価値のあるものだから、屋根でも掛けてあげた方がいいんじゃね。というお手紙を4代藩主伊達綱村に送って、雨風から劣化を防ぐ碑堂が建立されたという事だったりするのです。
そういゃあ、仙台にある遠見塚古墳も戦後にアメリカ人が見つけたという話だし、価値のわかる人が見つけて、世に知らしめなければ、ただの石🪨、ただの丘だったりするんですわなぁ。
誰かすこっちの価値を世に知らしめてくれる人どこかにいないかしら?なぁんてな(BYワクさん)







