どうも、すこっちです。(^o^)
本日はすこっちの仙台城エアガイド第3弾「大手門と脇櫓」の始まり、始まり~。
仙台駅から地下鉄東西線に乗りまして、仙台国際センター駅で降りて、西1出口から出ますと仙台城の二ノ丸跡方面から仙台城本丸へ向かうことになります。横断歩道を渡り、二ノ丸前を通り過ぎようとすると、こんな案内板が見えて参ります。
こちらが扇坂になります
二ノ丸は2代藩主忠宗様がお建てになりました。ってことは、当然、伊達政宗様はお亡くなりになっています。武家諸法度が葵徳川三代で確立されていきますと、新しいお城を建てる許可が簡単には下りなくなってきていたのです。しかし、そこはなんと言っても伊達政宗様のネームバリューと大藩である仙台藩、さらには究極のリーサルウェポン的な袖の下(賄賂だね)を駆使して、二ノ丸の築城にこぎ付けます。
(なんでリーサルウェポンなのかはこちら↓)
tps://ameblo.jp/scotch0711/entry-12374494421.html?frm=theme
この後で紹介する「大手門」は藩主クラスの人が出入りする登城口。一般サラリーマン的な武士はこの扇坂から登城しました。なんで扇坂と呼ばれているのかというと、下に向かって扇状に広がっていたからなんだそうです。
ここから仙台城の大手門後に向かってしばらく歩くと、なにやら妙な坂が、、、。
何の変哲もないこの坂、実は超プレミアな秘密が。
こちらは、江戸時代の正保(1645)年に作成され、幕府に提出した地図なんだけど、左上の方をよーく見てください。櫓みたいなのが書かれた大きな門があるでしょう、これが大手門。そんでもって、入り口が左斜めにくびれているのが確認出来ますでしょうか?この坂が先に紹介した例の坂になるんです。
昔の城の出入口っていうのは「虎口」と言いまして、敵に攻められた時に簡単に直進して進入されないようにワザと互い違いになっていて、敵軍がそこで行き詰まりになったところを「横矢掛かり」といって、上から矢や鉄砲の集中砲火を浴びせられるような造りになっている。これを「枡形」って呼びます。
つまり、この妙な坂はこの二ノ丸が出来たときからずーっと「枡形」の一部としての立派にお役目を果たしてきて、残っている坂なのである。(今は舗装になってますけど)この世に坂として生まれてきて、実に370年超。しかも、「ING」。現在進行形なのであります。
是非とも仙台城にお越しの際は、この江戸時代からある「枡形」の名残の「坂」を堪能してみて頂きたい。(坂でプレミア感を感じてる人もそうそう見掛けない、、、。(-_-;))
そして、その坂を登り切ったところにあるのがこちらの大手門と脇櫓跡。
今では昭和42年に復元された脇櫓が残るのみですが、現存していた頃はこんな感じ。
昭和6年には国宝に指定された政府お墨付きの文化財。あーそれなのに、太平洋戦の昭和20年の仙台大空襲で燃えてしまったのです。(>_<)
詳しくは、https://ameblo.jp/scotch0711/entry-12160708710.html?frm=theme
ただね、あったらあったでさ、現在フツーに道路として使ってるところを通せんぼをしていた分けでしょう。
じゃあその迂回路をどうすんの?とか、観光客が写真とか取り出したら広いスペースも必要。
再建しようという声は何度も上がるんですが、お金も掛かることですし、なかなか難しい。(-_-;)
再建話については、こちら↓
https://ameblo.jp/scotch0711/entry-12431178411.html?frm=theme
そして、なぜかこんなところに隠れキャラ発見!!
なんと、支倉常長様じゃあ、あーりませんか!
彼がスペインから持ち帰ったとされる品のほとんどが国宝に指定されているし、そのGREATな功績は語
っても語り尽くせないくらいのものであります。詳しく知りたい方は石巻市にある「サン・ファン館」にも足を運んで欲しいです。https://www.santjuan.or.jp/
コロナ禍の終息ももう少しの所まで来ております。
袖すり合うも多生の縁と申します。
ご興味があって、仙台城へお越しの際には是非とも仙台城のボランティアガイドにお声掛けをください。大手門の詳しい話なんかもじっくりとさせて頂きたいんですよね。(野口増蔵さんの話とか)
では、また次回のエア仙台城ガイドまで、ごきげんよう さようなら m(_ _)m