仙台藩になってからの伊達家存続の危機は2回? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。!(^^)!

 

おー世紀の10連休もいよいよ明日で終わりですなー。(>_<)普通だったら、連休って日曜日で終わって憂鬱な月曜日を迎えるってパターンが多いんだけど、なんと気付けばあと1日あるではないですか!ラッキー(^o^)。(あさってが怖いってか)

 

さて、今日は伊達政宗が初代藩祖の仙台藩が誕生してからの「もし たら・れば」を見て行きましょう。

 

武家にとって一番恐れていたこと。それは、戦で命を落とすことでも、切腹でもなく、ズバリ!「お家断絶」。武家は1にも2にもお家の存続が何よりも大事なテーマだった。東北6県で言うと、山形藩ね。あの最上義光のお家も3代で断絶になっちゃっている、せっかく54万石ももらっていたのに。もはや、藩祖のネームバリューだけでは生き残れないのが武士の世の中なのです。

 

では、伊達家存続のピンチってあったのかと言うと、あったのよねーこれが。アタシのカウントだと2回あったのかなあと。

 

まず1回目は、みなさんご存知の「伊達騒動=寛文事件」ですかね。

 

これ、簡単に言うと「専横政治」ってやつね。幼君が跡を継いで何も分かんないのをいいことに、後見役のヤツがやりたい放題をするってパターン。まあ、信長亡き後の秀吉とか秀吉亡き後の豊臣政権の徳川家康も似たようなもんと言えば、そうなんでしょうね。詳しくは、以前アタシが書いた記事をご一読ください。→https://ameblo.jp/scotch0711/entry-12195184296.html?frm=theme

 

この時は、まあ悪いことをしでかした奴を罰して、幼君だってことで伊達家は無事存続。セーフだった。

でも、一歩間違えば、幕府の解釈がマイナスに働けばお家断絶になってもおかしくなかった。

原田甲斐は果たしてダークヒーローだったのか?救世主だったのか?真相は闇の中。

一度は「樅の木は残った」のDVDをご覧になるのをお奨めします。

 

2回目は、もうこれっきゃないでしょうなあ、「伊達家奇跡のバトンパス」

 

こちらもかいつまんで話をすると、武家は跡取りが決まんないうちに当主が亡くなっちゃうと一大事!

人の寿命がどうなるかなんて、誰にも分からない。病死だったら猶予期間はあるとはいえ、段取りをきちんと踏まないで将軍家の機嫌を損ねてしまったらどえらいことだ。上杉家なんてその不手際を咎められて、30万石が15万石に減らされてしまったし(無理やりあの吉良家から養子をもらってつないだのね)

お取り潰しになったところも数知れない。(>_<)

 

仙台藩伊達家も実は、そうなりそうなピンチがあったのです。(あんまし、語られないけど)

こちらも以前ブログに書いたんで、ご一読ください。

https://ameblo.jp/scotch0711/entry-12198610099.html?frm=theme

 

この時もセーフ!ある意味、ここでも初代藩祖スーパースターの伊達政宗の御威光ってやつですかね。

とにもかくにも、伊達家は存続し断絶という最悪の事態は回避された。めでたし、めでたし。!(^^)!

 

それにしても、子供を55人も作った徳川家斉みたいな人は、そうそういないんでしょうなあ。(-_-;)