伊達家存続の危機PART1 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

仙台と言えば、仙台藩祖「伊達政宗」その知名度で言ったら、

伊達家の中でも当然、右に出る者はいない。

 

そりゃあそうだよね、彼のあとは戦(いくさ)の無い平和な江戸時代。

 

その後の子孫がよっぽどひどいことかよっぽど活躍をしないと

名声で政宗を超えることは出来なかったでしょう。

 

伊達家は一応、今も存続しているわけなんだけど、その存続には

何度かピンチがあった。

 

まず、最初の大きなピンチとも言えるのが、世に言う「伊達騒動」

「寛文事件」とも言います。

 

これは、話すと長いのですんごく簡単に話をします。

 

政宗の息子で2代藩主の忠宗っていうのがいた。

彼はそれなりに非凡な才能の藩主だった。

彼が亡くなると、当然息子が跡を継ぐ。

それで、後継者の3代藩主が綱宗。

 

だけど、彼が放蕩(お酒と女好き)息子であったために

家臣達に強制的に隠居させられる、この時彼は21歳。

(天皇のいとこだったので幕府が警戒した説もある)

 

跡を継いだのが2歳の亀千代(後の綱村)

さすがに2歳の子供に藩主の務めは出来ないので、後見人を付けた。

それが、伊達兵部宗勝(政宗10男)田村左京宗良(忠宗三男)

 

この伊達兵部がまあ、悪の総帥みたいな人ということになっている。

つまり、幼君というのをいいことにやりたい放題をしていたというわけ。

 

もはや、仙台藩もこの悪の総帥の手に落ちる寸前だった。

 

そんな時、救世主があらわれる。

(まあ、もともと領地争いの延長戦みたいなもんだから、救世主だったのか?)

 

その名は伊達安芸!(宮城県涌谷町に行ってみよ~)

 

彼が領地争いの不満とセットで伊達兵部のやり口を幕府に訴えた。

 

そして、双方の事情聴取をやっていた最中に、これまた有名な「原田甲斐」が

刃傷沙汰(刀を抜いて関係者を殺してしまう)におよんでしまう。

 

ホントから言えば、これ仙台藩というか伊達家がおとり潰しになっても

おかしくはなかったんだけど、裏工作が上手くいってか、幼君の綱村には

罪は無いってことで、セーフ!伊達家は存続とあいなった。

 

この「寛文事件」、「伊達騒動」には諸説あり、いろんな見方がなされている。

有名な山本周五郎の「樅の木は残った」では、実は原田甲斐は兵部の手先

ではなく、伊達家存続のために自ら汚れ役を買って出た、という見方だったりする。

 

ぜひ、これを機会に本でもネットでも結構なので、調べてみて頂くと

理解が深まり、面白いですよ。(^○^)

 

ちなみに、私は大河ドラマ「樅の木は残った」の総集編をDVDを観て

学習しました。(^_^)/