前話では、私がお菓子屋さんに・・・

え!やるの・・・

的なところまでお話ししました。

 

 

子供や親の看病が毎日あるほか、

夫の自営業の事務処理もあり、

幼稚園の年中・年長と小学校3年生の男の子が、

家で大騒ぎしている日常で、

私が自宅でお菓子屋さんを始める・・・

いったいどうなるのだろう?

 

 

でもやはり

生活はきつくなる一方。

この子たちを元気に育てなければ!

それは待ったなしの事でした。

 

 

その頃実家の母は、父と二人で暮らしていました。

認知症がひどくなっていて、

父だけではもうお手上げの状況です。

しばらく前に水戸市内の介護施設数か所に

申し込みをしていたけれど、

入居待ち60人だ、90人だ・・

いったいいつになったら入れるんだろう???

そんな状況でした。

 

 

お菓子の仕事を始めようとした頃は、

平成15年の1月。

正月明けに、なんとなんと、

ある老人施設から「今なら入居できます」

という連絡が来ました。

 

 

父や兄、家族・親戚みんなで考えた末、

施設に母を入れることになりました。

手続きをしたり準備をしたり、

入居は1月31日。

 

 

 

母のいろいろ物を整理していたら、

私名義の郵便局の簡易保険がありました。

父が、

「お母さんがお前のため貯めたんだから、

使いなさい。」

 

 

何という事でしょう!

お菓子屋さんを始めようとは思ったものの、

さてどうやってお金をやりくりするか、

どんなふうに始めるか、

家計は火の車だし・・・

そんなときのこの郵便局のお金。

 

 

「ありがとう!!」

 

この金額は88万円。

ちょうどオーブンや道具や

改装工事に使う資金に相当します。

仏様の計らいといいますか、

母からの思ってもいなかった

大きなプレゼント!

感謝しかありませんでした。

 

 

 

 

父と母と、

母の大好きなうなぎ屋さんで食事をして、

喜ぶ母を見てから、

その後、母を施設に入居させました。

これでいいのかな・・・

別れ際、悲しすぎて涙が止まりませんでした。

私は間違がっているかな・・・?

何日も眠れない夜がありました。

 

 

2月、お菓子屋さんの準備のため、

いろいろと動き出しました。

私の出来るのは

「バナナブレットだけ」

これだけでは商品が少なすぎる。

何か他にないかな~~

 

 

ぼんやりと「スコーン」にしようかな・・・

と思っていたものの、

商品として出せるほどの自信が持てません。

そして、町の図書館にお菓子のレシピを借りに行きました。

借りられるのは10冊。

家では、次から次へと試作を始めました。

作っては、次の本を借りに行き、

お菓子の棚を端から端までほぼ制覇しました。

 

 

その中から、自分の納得する味が生まれました。

それが今の「生クリームスコーン」です。

あの時決めたバターや粉やミルクの配合は、

いまだに変えていません。

 

 

そして、3月。

大工さんが来て改装工事をしたり、

決めた材料の仕入れが進み、

最後にオーブンが届けられました。

大きな業務用のオーブンです。

これで明日、保健所に連絡して、

「開業許可のための検査予約しよう!」

そう思った時・・・

 

 

母の施設から連絡が来ました。

「お母さんが急に容体が悪くなり、

いま病院に入院しました。

すぐに来てください!」

 

 

え~~!

 

 

病院に着くと、

母は息も絶え絶えに、

私を見て安心したような顔をしました。

「お母さん!」

会話をすることはできましたが、

苦しそうです。

手を握りながらずっと泣いていました。

 

 

父は運悪く、遠い親戚の法事のため、

出かけていて帰りが遅くなりました。

夜に到着した時は、

もう話すことはできませんでした。

兄は関西に転勤していて、

夜通し車を飛ばして水戸に到着したのは明け方でした。

兄も、話をすることはできず、

そして、兄の到着を待つかのように、その朝、

母は亡くなりました。

 

 

急な肺炎を起こし、

一晩であっけなく逝ってしまったのです。

施設に入居して2カ月。

3月31日

何でこんなに早くに・・・

 

 

お葬式を済ませ、

やいろいろな用事を済ませ、

忙しいことは畳みかけるようにやってきます。

4月は次男が小学校に入学でした。

学校に持ってゆく手提げ袋や上履き入れを

縫う暇がありません。

 

 

次男に

「ごめんね。手提げ袋縫えなくて。

幼稚園の時のしばらく使ってね。

すぐ作るから!」

そう言って、小学校の入学式をすませました。

 

 

夫には、

「お花屋にお菓子を届ける仕事を約束しただろう。

早く始めろよ!」

 

 

そうだ、そうだ、

そうだった。

約束したんだ。

やるしかないんだ!!

 

 

すぐさま保健所に検査を受け、

「食品営業の許可証」が届き、

「スコーンドルフィン」が4月16日

茨城県の友部町(今の笠間市)で始まったのでした。

 

 

今日はこのへんで。

ではまた、この続きをお話ししましょう!

 

 

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前話では、なんと!この私、

結婚をしたお話しをしました。

 

 

 

 

そして、水戸の繁華街から、

田舎の住宅地にお引越ししました。

環境も、生活もこれまでとは真逆の、

田舎町で、家族の喜ぶ顔を見たくて

暮らすという。

 

 

 

それは、自分自身の心が本当に

充実していたからできたことでした。

私は、それでハッピーな日々でした。

 

 

 

男の子3人を授かり、

毎日が運動会のように忙しく、

てんやわんやの日々でした。

 

 

 

子供たちは、

普段は元気でじっとしていないのですが、

風邪をひきやすく、

喘息気味でもあったため、

週に誰かは病院通い。

 

 

 

3番目の息子が生まれて3カ月の頃、

高熱を出し、急遽入院。

命が3~4日が山かもしれないと

言われたほどの危篤状態。

 

 

 

同じ時、上の二人はインフルエンザで40度の熱。

応援に来てくれていた両親も

インフルエンザが移り、家に帰ることに。

私自身もインフルエンザにかかりました。

夫のお母さんが替りにやってきて、

家族全体が大変な状況。

 

 

 

数日後、幸な事に、三番目の息子は

元気を取りもどし、難は逃れました。

私のインフルエンザも治って、

やれやれ。

 

 

 

それこそ、自分は家族のために

全ての時間を全力投球な日常でした。

 

 

 

ほこりが喘息にはいけないので、

家の掃除はまめにしていたし、

食事がアレルギーを重くしてしまったら

いけないので、

食べるものも注意していました。

 

 

 

だから、お菓子は私が手作り。

「バナナブレットやスコーン」を

家でよく作っていました。

 

 

 

小学校低学年までに、

三人で20回ぐらい入院するほど、

小さい頃の我が家のだんご3兄弟は、

病気を連発していました。

 

 

 

それに加えて、

旦那さんが自営業だったため、

事務仕事を手伝い、

自分の水戸の両親が高齢だったので、

介護のお手伝いにも行ってました。

 

 

 

寝る時間もないほどの日々でしたが、

やることをやらないと前に進まない毎日。

 

 

 

そこへもってきて、

子供たちが小学校や幼稚園に上がるころ、

旦那さんの仕事が低迷してきてしまいました。

収入が不安定になり、

いろんなものを節約するようになりました。

 

 

 

子供の病院代や学校の支払いにも

その厳しい状況は否応なく迫ってきます。

家族の喜ぶ顔が見たくて、

どんな状況でも元気になることを信じて、

日々頑張っているのに、

なかなかいい方向には向きません。

 

 

 

「私も仕事をしないといけない!」

 

 

 

そう思った頃、

ママ友からこんな事を言われました。

 

 

 

「あなたの作るバナナブレット、

とっても美味しいから

うちの店で売ってみない?」

 

 

 

近所で大きな園芸店を経営するママ友達が、

たまたまお茶菓子で持って行った

「バナナブレット」を気に入ってたのです。

 

 

 

「え~~!!!」

「素人の私が、売るだなんて!!」

「製菓学校にも行ったことないし、

お菓子屋さんにも勤めたことないし、

そんな自分が、お菓子を売ることなんて、

出来ないよ!!!」

 

 

 

そう言って、その場は終わりました。

 

 

 

 

家に帰って夫にその話をすると、

「やれやれ!!絶対にやれ!

いいチャンスだ!

それは引き受けないともったいない!」

と、言うではありませんか!

 

 

 

自営業の夫は、

自宅で仕事をしていて家にいるので、

私は、バランスを考え、

外に働きに行けたらいいなと

思っていました。

 

 

 

しかし、子供や年寄りが、

自分だけでは生きてゆけない状況で、

体調の変化を見ながら、

いつでも病院に行けるようにしていないと

子供や年寄りの命があぶなくなってしまいます。

私が外に働きに行くのは、

全く無理な事でした。

 

 

 

「家で仕事をするなら、出来るかも!」

「学校の支払いとか、

幼稚園の支払いとか、

今夜のごはんのおかずぐらい

稼げればいいか・・・

お菓子を売って!」

 

 

 

そう思い、夫に話してみると、

「そうだ!そうだ!

そのぐらい稼いでくれるならいい。

やったほうがいい!」

 

 

 

ということで、

私がお菓子を作って売るという、

前代未聞のプロジェクトが動き出したのです!

 

 

 

今日はこのへんで。

ではまた、この続きをお話ししましょう!

 

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前話では、私のカナダや旅のお話をしました。

好奇心旺盛な性格なのですが、

わりと落ち着いているように

見られているので、

若かりし頃のお転婆さかげんは、

話してみないとわからないものでしょう!

 

 

 

 

今日は帰国してからの話です。

 

 

 

帰国した季節は4月。

日本は花粉の季節で、

水戸に到着するなり

目も鼻もふさがってしまう程の

重症の花粉症になりました。

 

 

 

アレルギー体質なので、

そのあと喘息もおこし、

さんざんな帰国スタートになりました。

 

 

 

実はカナダに行っている間に、

体重は10kg以上も増え、

体型まで外国人サイズになっていました(*_*;

 

 

 

あちらで一緒になった日本人の友人たちも、

ほとんどの日本人が

「体重増加」という洗礼を受けていました。

食事の内容ですね。

 

 

 

朝ごはんに、パンケーキ

お昼に、ハンバーガー

夜に、ピザ

こってりアイスクリーム

咳が出るほど甘いケーキ

1cm以上厚塗りするピーナツバター

・・・・これが美味しいのよ!

 

 

 

という食生活では、

おデブになりますよね。

 

 

 

しかし、帰国直後の超アレルギーで

調子の悪い体調と、

「ごはんとみそ汁」などの日本食になるなり、

一気に体重が減ってゆきました。

面白いものですね。

 

 

 

 

そんなこんなで、

体調と体重が元気に戻ってきたころ、

日本での普通の生活が

始まりました。

 

 

 

 

私自身の精神的な部分は、

すごく充実感があり、

さて、これから何をしようかな、

とこれからの進み方は決まっていないものの、

充たされた日々でした。

 

 

 

「きっと何か見つかる!」

 

 

 

私は自分の気持ちが動いたら

行動に移そうと思って、

体調が戻ることをゆっくり待とうと思いましたが、

周りがザワザワうるさいのです。

 

 

 

 

やれ、「仕事は?」「正社員がいいぞ!」

「せっかく海外に行ったのに、何をやるんだ?」

心配性で周りを気にして・・・

という日本人の性分ですね。

 

 

 

 

3か月ぐらいゆっくりしてから、

旅が好きな事から

水戸市内の旅行会社に就職して、

旅を案内する側になりました。

 

 

 

 

仕事しながら思いましたが、

「旅は自分が行くものだ!」

「やっぱり私は旅が好き!」

(^_-)-☆

 

 

 

カナダに行く前に、

たくさんの送別会をやってもらいました。

帰国したことをその時の友人たちに

連絡していて、

お土産話などをして

お友達と再会を楽しんでいました。

 

 

 

その中で、結婚しようという事になった方が出てきて、

バタバタと結婚することになりました。

 

 

 

自分の気持ちが、

自分自身に対する充実感を持っていたので、

「これからは家族を幸せにしよう!」

「周りの人のお役にたつ暮らしをしよう!」

そう思っての結婚でした。

 

 

 

 

今日はこのへんで。

ではまた、この続きをお話ししましょう!

 

 

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カナダでは、夢のような日々を過ごしました。

夏の間は、バンフが観光シーズンで

OK GIFT SHOPの仕事は忙しかったのですが、

仕事の合間に、

有名な観光地へレンタカーを飛ばして

ピクニック・ハイキング・キャンプ・・・

 

 

 

レイクルイーズ

ジャスパー

エドモントン

カルガリー

近くの街や山々へ

行けるところはほぼ回りました。

氷河やエメラルド色の湖は

美しすぎて、今でもはっきり覚えています。

 

 

 

 

同年代のカナダ人に、

英会話を習い、

お友達を紹介してもらったりして

友達の輪が広がりました。

一緒に映画やスキーに行きました。

そう、ホームパーティ―をしたり!

バナナブレットを教えてもらったり!

 

 

 

 

観光客が少なくなった冬場は、

スキー場の年間リフト券を買って、

週に3~4日はスキーに行きました。

ワールドカップも行われるような

大きなスキー場では、

日本のスキー場のように人がいなくて、

雄大な山を自由に滑ることが出来ました。

 

 

 

 

カナダ人のスキーヤーは、

圧雪されたコースを滑らず、

コースの外側の木々の間を滑ります。

急に山の中から

パウダースノーを巻き上げて

飛び出してきます。

パウダースノーがいいんだそうです。

ワイルドですよね!

 

 

 

 

OK GIFT SHOPではない、

カナダ人が経営する

ヘリコプタースキーの会社の

スポーツウエアーの店でアルバイトをして、

カナダでも有名なプロスキーヤーの皆さんと

仲良くなりました。

パーティーをしたり、一緒にスキーに行ったり、

皆さん素晴らしかった。

 

 

 

 

私は上手ではないので、

ヘリコプタースキーは挑戦しませんでしたが、

仕事をする仲間が、

ヘリコプターで山頂に行き、

誰も足跡をつけていない新雪を滑り降りるビデオを見たり、

滑り降りる様子を聞いたりして、

味わったことのない世界を垣間見ました。

 

 

 

 

 

 

 

冬場の観光の閑散期に、

ちょっとおてんばが過ぎました。

バンフから移動して、

バンクーバーでホームステイしたり、

ウイスラーにしばらく滞在し、

新しいことに挑戦してみました。

 

 

 

バンクーバーは素敵な都会で、

大都市と海と山がダイナミックに

美しく共存していました。

バンフののんびり加減が

ちょうど私には合っていて

 

 

 

バンクーバー、

ウイスラー

ビクトリア

シアトル(米国)

を旅行して、バンフに戻りました。

 

 

 

「湾岸戦争」真っただ中の年でした。

バンフの仲間と

ジャマイカと

ニューヨーク

を旅行しました。

 

 

 

出兵した兵隊さんの家には、

大きな黄色いリボンが掲げられていました。

その家の家族が「戦争」に行っている、

という状況の中、

この私は、旅行している。

 

 

 

広い世界には、

何億人もの人が命を与えられていて、

それぞれ何億人もの人、一人一人が、

思いと、経験と考えと、体と、希望と・・・

体を張って生きているわけで、

 

 

 

与えられている命を、

その命がある間は、

精一杯、なんでもできるし、

歓びと幸せと笑顔をいっぱいに生きたら、

きっと地球はもっと素敵な星になってゆく。

 

 

 

相手を思いやりながら、

命を輝かせて、命を精一杯生きる!

そしたら戦争なんか起きないのに!!

 

そんなことを想ったりなんかして・・・

 

 

 

ニューヨークでは、

「個人行動ね!」

という事になりました。

一緒に旅をしているバンフの仲間は、

海外に暮らすだけあって皆さん強い!!

私が一番、弱い人間でした。

ニューヨークを一人で回る・・・

(´;ω;`) (汗!!)

 

 

 

今はもうない世界貿易センタービル、

ウォールストリート、

自由の女神、

エンパイアステートビル、

セントラルパーク、

ジョンレノンの家、

五番街、

ロックフェラーセンター、

トランプタワー、

ミュージカル・・

 

一人でまわりましたよ!(*´з`)

 

 

一人の力だけで立っているのは、

それは寂しいことです。

一人の力は小さい。

でも、一人一人が自立し、

自分を持ち、個性を持ち、

生きてゆける力を持っていると、

それは、人生において大きな力になる。

 

 

 

ニューヨークの後半は

体調を崩し、高熱を出す大風邪を引き、

ホテルで寝込むことになりました。

((+_+))

 

 

 

そんなこともあり、

ホテルの部屋で天井を見つめながら、

「もう十分だな」

と感じて、

日本に戻ることにしました。

カナダでの仕事で、

ワークビザが下りる約束が取れていたのに・・・

 

 

 

たくさんの冒険と、経験。

知りあったカナダ人、

日本人のお友達。

精神的にも大きな成長をさせてもらいました。

 

 

 

そして、何といっても大きなお土産

 

「バナナブレット」をしっかりと身に付けて、

 

帰国の途に就いたのです。

 

 

 

今日はこのへんで。

ではまた、この続きをお話ししましょう!

 

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スコーンドルフィンは、

自宅店舗と、インターネット販売

卸販売百貨店での催事販売をしています。

 

たくさんのお客さんと関わっていると、

その中には、

自分でお仕事をしたいと思っている

前向きな女性たちと知合います。

 

又は、お勤めしながら、

自分の可能性を模索していて、

これからの方向性に思慮している方々とも

たくさんお会いします。

 

実際に、店舗経営をしていると、

会社員では味わう事のないような、

たくさんの素敵な出会い、

解決しなければいけないこと!

なにより、

毎日の奇想天外な出来事!!

など、面白いことだらけの日常です。

 

毎日、同じことの繰り返しで、

平和で、

何事もなく過ぎゆく日々が好きな方には、

自営業の暮らしは合いませんが、

 

今の生活に刺激がなかったり、

これまでの人生に

「これでいいのかな?」と思ったり、

毎日、生きている実感が欲しいと思う人は、

 

一度、自営業やお店経営や、

個人事業主としての暮らし方を

考えてみるのとはいかがでしょうか?

 

男の人みたいに、

「行ってきます!」と言ってから、

家の事を考えず仕事に集中することが出来れば、

仕事の事だけ考えればいいでしょう。

 

しかし、女性で「自営業」「個人事業主」で、

子供や家族を抱えてそれを運営する場合、

そのやりくりや、過ごし方が問題になりますよね。

 

それでも、稼がなければいけないし、

お店は開けなければいけないし。

 

既に毎日経験して、

子供たちも無事成長して、

両親も無事看取ることが出来た経験を元に、

私、スコーンドルフィンの根本好美が、

この度、どうやって自営業をしながら、

楽しく暮らしてゆくかのいろいろ話をするセミナーを

開催します。

 

ピンときた方は、

一度お話を聞いてみて頂けると

これからの参考になるかと思います!

 

◇普通の女性でも自営業で

自宅でお店を経営しながら

楽しく暮らす生き方セミナー水戸開催

 

5月20日日曜日13:30~15:30

大きい組織でお給料をもらう時代から

個人が個性を生かして小規模で仕事をする時代へ

場所:スコーンドルフィン 水戸市双葉台

講座代:5000円 (事前振込4000円)

スコーンとお茶付き

https://resast.jp/events/258757

 

 

 

◇普通の女性でも自営業で

自宅でお店を経営しながら

楽しく暮らす生き方セミナー東京八重洲開催

 

5月23日水曜日19:00~21:00

大きい組織でお給料をもらう時代から

個人が個性を生かして小規模で仕事をする時代へ

場所:東京駅八重洲口徒歩1分 Spaceeふれあい会議室八重洲
講座代:5000円 (事前振込4000円)
スコーンとお茶付き

https://resast.jp/events/261456

 

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25歳の春、カナダの大橋巨泉さんの

会社で仕事が決まり、

幸せいっぱいで、カナダに渡りました。

 

 

 

日本で勤めていた会社の皆さんとは、

部署ごとに送別会をやってもらったり、

同級生や、

テニスの仲間、

スキーの仲間など、

連日送別会に何度も参加して、

みんながニコニコ送り出してくれました。

みんなに感謝です!!

 

 

 

両親は、

受け入れ先や、

仕事の内容や、

滞在するアルバータ州バンフという街が

とても安全で、美しいことなどを理解してくれて、

寂しかったでしょうが、

反対することはありませんでした。

 

 

 

出発の日も、両親が成田空港まで送ってくれて、

ありがたかったです。

 

 

 

カナダのバンフでは、

大橋巨泉さんのお店で、

販売スタッフとして働きました。

4月初めに到着したバンフは、

まだ真冬で、雪の町でした。

 

 

 

「OK GIFT SHOP」というお店は、

巨泉さんが社長で、

スタッフは日本人が多いものの、

カナダ人のスタッフも多くいます。

私の英語は??

 

 

 

全く話せません!!(^-^;

 

 

 

でも、ぜんぜん、怖くもなんとも

ありませんでした。

ひと月もいれば、何とかなるだろう!!

てな感じ。

 

 

 

 

バンフの町は、

バブルな日本人が

ジャパンマネーをたくさん持って、

世界中を観光しまくっていた時代の、

まさに日本人だらけの観光の街でした。

 

 

 

 

6月から7月のバンフの美しいこと!!

その観光シーズンに向けて、

日本人スタッフが必用だったのです。

 

 

 

 

「OK GIFT SHOP」以外にも

日本人経営のお土産屋さんがあり、

多くの日本人が住んでいました。

皆さん、海外に暮らすような

元気な方々なので、

色々助けてくれました。

 

 

 

バンフの公民館のようなところで、

英会話の授業に参加したり、

カナダ人のお友達に

個人レッスンで英語を教えてもらったり。

英語の生活にどっぷりつかれば、

必要な英語は身に付いていきました。

 

 

 

 

全く英語のできなかった私は、

そのうちスーパーや買い物やに行っても、

不自由しなくなり、

病院や役場や郵便局や

美容院や銀行・・

慣れていくんですね。

 

 

 

 

英語を身に付けることを目的に

カナダに来た同僚もいたので、

彼女は早速カナダ人とルームシェアしたり、

旅行を目的とする人、

スキーを目的とする人、

それぞれが自分の目的のために、

自分の力で、

自分の責任で暮らしていきました。

 

 

 

 

私の目的は、

「海外に暮らしたい!」

 

 

 

 

部屋から見えるカナダの空や、

公園のベンチで座っていて、

通りすがるカナダ人の親子連れを眺めたり、

エルクというヘラジカが、

道路を優雅に歩いていたり、

ビーバーが池を泳いでいたり、

リスや小鳥が、ちょろちょろ歩いていたり。。。

 

 

 

 

そこにいるだけで

涙が出るほど

最高に幸せだったのです。

 

 

 

 

そして、

なんとなんと!!!

 

 

 

出会ってしまったのです。

 

 

 

 

「バナナブレット」

 

 

 

カナダは、冬の長い街で、

カナディアンはよく仲間や家族で

パーティ―をします。

お友達ができて、

お家に招かれると、

そこには美味しい料理と

必ず「バナナブレット」が置いてありました。

 

 

 

 

どこに行ってもよく目にして、

美味しい「バナナブレット」を口にすると、

何とも言えない香りと甘さ。

 

 

 

 

大ファンになりました!

 

 

 

 

カナダのお友達に作り方を教わったり、

寮にいる日本人のお友達に

レシピをもらったり、

バナナブレットの作り方をいろいろ聞いて、

自分でも何度も作ってみるようになりました。

 

 

 

 

「バナナブレット」

これがのちに、

私の仕事になって、

私を支えてくれる大切なものになるなんて、

いったい誰が想像したでしょう。

 

 

 

 

あの時のお坊さんが、

「現実から逃げるのではなくて、

今を充分な状態にしてから

次に進むように」

と言って、

浮ついていた暮らしを改める努力をしたこと。

 

 

 

だからこそ、出会えた

大橋巨泉さんの会社。

 

 

 

海外に出る事に、

親も会社も友人も

みんなが応援してくれて、

カナダに出発できた事。

 

 

 

幸せな気持ちで進んだ先で出会った

「バナナブレット」

 

 

 

自分の心に素直になることで、

「自分のやりたい!」事を、

一つづつ問題をクリアして進むことによって、

用意されている

次のギフト

 

 

 

そんなことを

心から感じる出会いでした。

 

 

 

今日はこのへんで。

ではまた、この続きをお話ししましょう!

 

 

NextDOLPHIN 根本好美が、

 

自宅でも自分の出来ることで

仕事をする方法を

お話しします。

 

いろんな質問をお受けしますので、

お話に来てくださいラブ↓↓

 

 

◇普通の女性でも自営業で

楽しく暮らす生き方セミナー水戸開催

 

5月20日日曜日13:30~15:30

大きい組織でお給料をもらう時代から

個人が個性を生かして小規模で仕事をする時代へ

https://resast.jp/events/258757

 

 

 

◇普通の女性でも自営業で

 

30年前の自分の事を書いています。

その頃20代前半の女子にとって、

恋愛は最大の関心ごとでした。

今もそうでしょうが・・

 

 

 

会社にいる同僚の女の子たちは、

9時5時の仕事時間を終えると、

サンタクロースのお迎えで

幸せなデートを繰り返していました。

(サンタクロースの意味:恋人)

説明いらない人・・・ハイタッチ!!

 

 

 

あの頃の男の子は今よりギラギラしていて、

かっこいい車に乗ることや、

おしゃれな「カフェバー」あたりで、

奇麗な女の子と過ごすことなどを、

ちょっとした目標にしていたりして、

平成の男の子とは違う勢いがありました。

 

 

 

私は、学生時代の友人達と、

ワンレンボティコン・・懐かしい・・

それぞれ奇麗な服を着ては、

一緒に「デイスコ」やら

「カフェバー」やらで過ごす日々。

そんな自分にあせったりもしています。

 

 

 

恋愛に悩むと、

星占いや

「山に行って取ってきた水を飲む」だ、

「お札に書いて海に流す」だ、

努力(?)を重ねたりする友達。

 

 

 

ある時、とてもいい話をしてくれるお寺があると

友人の一人が聞きつけて、

4人の仲間と行ってみることになりました。

 

 

 

奇麗に掃除が行き届いた庭。

ほこりひとつない廊下。

空気が違うと感じます。

お部屋に通され、

そわそわとお坊さんを待ちました。

 

 

 

誰かに紹介されたわけでもなく、

一緒に付き添ってくれる関係者もなく、

若くてキャピキャピした女子4人。

 

 

 

凛とした面持ち

でも鋭い眼光。

「今日はどうしたんだい?」

と、思いのほか優しい声で

お坊さんは聞いてくれました。

 

 

 

友人の一人が、

恋の悩みを打ち明けます。

 

 

 

「あなたの心が、素敵な人になると、

あなたに合った素敵な人が来ますよ。

あなたが素敵になる努力をしなさい。」

 

 

 

もう一人がまた、恋の悩みを話します。

 

 

 

「あなたが、一つ我慢をすると、

幸せの種が一つ蒔かれます。

嫌な事ばかり目を向けないで、

良いことに目を向けてごらん。」

 

 

 

別の友人が、仕事の悩みを話します。

 

 

 

「絆創膏を貼って傷を見えなくしても、

本当の傷の原因を治さないといつまでも

治りません。

あなたの内側にある原因を治しましょう。」

 

 

 

私は、

 

 

 

「自分は、『このままじゃいけない』と思っていて、

海外に行きたいと思っています。

親は反対すると思うし、

会社はいい会社なんだけど、退屈すぎる」

 

 

 

お坊さんは、

 

 

 

「親が『よし行ってこい!』

会社が『よし行ってこい!』と言うまで、

あなた自身がやることをやり、

責任を果たし、

応援してもらえる人間になったら、

行ってきなさい。

 

今が嫌だから、

そうでないことをすることは、

宿題を増やす上に、

多くの人に迷惑をかける」

 

 

 

ズバーッ!!

ウルトラストライク直球ど真ん中!!

何という鋭さだったことでしょう!

 

 

 

私の心の甘さやゆるさや、

自立していない心を

短い言葉で言い当てられたようでした。

 

 

 

帰り道、

他の友人たちは、

「え~、難しくてわからない!!

お札とかお水とか、言ってくれないから

どうしていいのかわからない!」

などと語っていました。

そしてまた、キラキラした日々へ

戻っていきました。

 

 

 

私は、

「お茶くみ・コピー取り、電話受け」の仕事が

変わりました。

 

 

 

美味しいお茶を淹れよう!

奇麗なコピーを取ろう!

相手が喜ぶ電話の対応をしょう!

 

整理してなかった棚の中を入れ替えて

分かりやすくして、

やった事のなかった仕事を手伝うようにして、

 

私がいないと困るね!

と言われるような

会社での過ごし方をしてゆきました。

 

 

 

家の掃除や洗濯を手伝い、

食事の支度をする日もあり、

相変わらずスポーツクラブ通いや

習い事もありつつ、

・・もちろん 踊りやカラオケも

行ってますよ!・・

 

 

 

そんな日々を数年続けました。

 

 

 

そして、海外に出る情報を見ていると、

大橋巨泉さんが

カナダの巨泉さんの会社で

日本人の求人を出していました。

 

 

 

留学や旅行では、

期間が限られていて短くなってしまうし、

自分のお金を使ってしまうのに、

この募集は、

お給料も頂けて、寮もあり、

受入れ体制も万全!

 

 

 

履歴書を出し、

合否を待ちます。

 

 

 

キターーーーーッ!!

合格!!

 

 

 

両親は、賛成!

 

会社は、「それはいい話だな~~!!」

 

 

 

そしてやっと、

25歳にして、

待ちに待った海外へと出発する日がきたのでした。

 

 

 

 

今日はこのへんで。

ではまた、この続きをお話ししましょう!

 

 

 

 

 

 

 

若かりし20代初頭、

「海外に出る方法」を無謀にも

その情報をあさり始めたところまで、

お話ししました。

 

 

 

周りが、「バブル時代」気分で、

海外旅行や、ブランド物を身にまとう人たちで

溢れていた時代です。

 

 

 

我が家は、晩婚の両親が、

40歳を過ぎてから生まれた子供の兄と私。

年の離れた親にとって

子供は何をやっても可愛いし、心配。

私を遠くに出そうとはしません。

 

 

 

大学も東京には出してもらえず、

地元の短大に通い、

就職は親のコネで日立製作所系の事務になりました。

 

 

 

家から歩いて10分ほどの距離にある会社に通い、

「お茶くみ・コピー取り、電話受け」

という仕事を9時~5時まで。

それで意外と高いお給料とボーナスをもらいました。

・・これをバブルというのでしょうか?!

 

 

 

娘が海外に行くなんて、

両親の脳みそにはそんな単語はありません。

親の頭には、今度は自分が気に入った人と、

早く結婚させること!

口から出る言葉は、そんな事ばかり。

・・・いったい誰の結婚何だい??

 

 

 

親にとっては、可愛い娘が

安心な会社に入り、

8時間勤務して、

家が近いから早く帰ってくる、という

理想的な環境を作りました。

 

 

 

・・・今の私をみて、そんなに親の言いなりになっている私を

誰が想像できるでしょう?(笑)

 

 

 

周りの友人たちも、

毎日着てゆく服の事、

お化粧の事、

付き合っている彼の事、

そんな話ばかり。

 

 

 

「え~~?!

 自分が生きていて、

これをしました!

とか、

 

心躍る何かをやったっていう、

そんな事考えないの??

 

私は、これをしたい!!

とかって夢ないの??」

 

 

 

いつもそんなことを思う私がいました。

 

 

 

しかし、

私の心の中に小さく芽生えた「海外への憧れ・妄想」は、

小さく胸の中にしまったまま、

流されるまま日々が過ぎてゆくだけでした。

 

 

 

 

私にとっては、

いつもと同じ風景の家から、

いつもと同じ風景の道を通り、

いつもと同じ風景の街を抜け、

いつもと同じビルの中で、

なんのときめきもない仕事を時間までするだけ。

 

 

 

私の心は、

全く輝いていません。

 

 

 

何がしたいかも分からず、

20歳そこそこの元気有り余る時代に、

椅子に座って、言われるままの仕事をして、

家に帰るだけ。

 

 

 

このままではいけない!!

 

 

 

それから、「アフター5」の人になりました。

何かをせずにはいられなかった。

 

 

 

スイミングクラブ

ジャズダンス

お花

簿記構座

テニスクラブ

スキー

空いてる日は飲み会三昧

 

 

 

1週間外出しっぱなし。

動きっぱなし!!

遊びっぱなし!!

 

 

 

そのうち、また自分は疎外感を感じます。

いったい何をしているんだろう???

このまま、クリスマスと呼ばれる

25歳までに「3高」と言われる親の安心する人でも見つけて、

結婚するの?

それでいいの??

 

 

 

私は、何がしたいの?

一番やりたいことは何?

 

 

 

「海外に住みたい!!

 旅行じゃなくて、住んでみたい!!」

 

 

 

と、胸にしまっておいた気持ちが

ウワーっ!!と出てきました。

 

 

 

一番したい事をしないで、

それ以外の事で気持ちをごまかしていても、

充たされない思いと

時間ばかりが、ただ過ぎてゆく。

 

 

 

「本丸を攻めないといけない!」

 

 

 

 

30年ぐらい前の自分の事を今さら語るのは

とってもお恥ずかしい話ですが、

あの頃の私は、何をやりたいかわからず

前に進めない・・

何とも悶々とした日々を過ごしていたのでした。

 

 

 

あの頃の自分に、

「好きなことをやってごらん」と

今の自分なら、そう言うでしょう。

でもまあ、

「好きな事」

が分からなかったのですから、

やりようがありません。

 

 

 

学年の半分が国立大学へ進学し、

約半分が指定校推薦で有名私立大学へ行くような

わりと優秀な生徒がいた女子高で、

私はどこへ進んだらいいのか、

ぜんぜん答えが出ずにいました。

 

 

 

進学するために行った予備校で、

3浪の男の子と一緒になりました。

彼は「これで合格しなかったら大変だ~~」と言いながら、

少人数個人講座で、一緒に机を並べて勉強しました。

 

 

 

見た目はかっこよくて、

都会の一流大学生・・・

といった風貌でしたが、

実際は3浪君。

 

 

 

その3浪君が言うのです。

 

「自分は大学に入って、

数年したら留学して海外で活躍したい。

海外で英語を勉強して、

話せるようになって、

英語を使った仕事をしたい」

 

 

 

将来の事すら考えてなかった私には、

「この男、何言っちゃってんの?????」

「そんな先の事言う前に、早く大学合格しなくちゃ!」

「あなたみたいな軽いタイプが、

海外なんか行けるわけなじゃん!!」

 

 

 

よく考えると、

そんな、なりたい自分があれば、

今の努力ができるのですよね。

未来のなりたい自分があればこそ、

今何をすればいいかわかる。

 

 

 

3浪君は大学に合格し、

その後海外に行ったかどうかは分かりません。

 

 

 

私に、

「海外」

というよくわからない妄想だけを残して、

私の前からは消えてゆきました。

 

 

 

30年ぐらい前の事ですが、

無知な私には海外に出るなんて、

すっごくお金持ちや、

特別な人しか出来ないことと思い込んでいました。

自分には考えたこともない遠い世界。

 

 

 

その頃はバブル時代で、

時代は海外旅行や留学が普通になり始めた頃。

なんと同級生の中にも

ニューヨークや、ロンドンに

留学する友人が出てきました。

 

 

 

その友人たちも、

高校の同じクラスで共に、

アイドルを追いかけたり、

宝塚を見に行ったり・・・・。

勉強がすごく出来るとか、

英語が抜群に出来るとかではありません。

ちょっと個性はあったけど、

普通の女の子。

彼女たちには、ニューヨークやロンドンで、

やりたいことがあったのでしょう!

 

 

 

と、言う事は・・・・

普通の人でも海外には行けるんだ!!

やろうと思えば、

叶うんだ!!!

 

 

 

そうそう、仲良しの同級生が、

気持ちに素直に好きなことを

やりたい様にやっていたみたいに、

心に素直に行動することは

叶うんだ!!

 

 

 

3浪君や

ニューヨークやロンドンに行けた、

あの子たちみたいに!!!

 

 

 

「海外」という妄想は、

学校を出てOLになると、

さらにさらに膨らんでいきました。

 

 

 

 

と、私は何を考えたか、

「海外に出る方法」を無謀にも

その情報をあさり始めたのです。

今のように「検索」で何でも手元で分かる時代ではありません。

図書館や本屋さんで、調べまくったのです。

私でも海外に出られる方法を求めて・・・

 

 

 

 

今日はこのへんで。

ではまた、この続きをお話ししましょう!

 

 

いろんな方のFacebookやメールマガジンや

ブログを拝見していると、

短い期間でそこまでの成功を収めている方とか、

驚くような金額を稼げている方とか、

いっぱいいます。

 

 

 

すごいな~と、

感心してしまうことが多いです。

自分はまだまだ、

自分のなりたい自分にはまだぜんぜん

至っていません。

 

 

 

私のなりたい自分は、

「成功!」「稼ぐ」というのは少しはありますが、

もっとほっとするような、あったかいような、

何とも言葉にできないような、

もうちょとハートが満たされる形のようです!

言葉にできるようになったら

言葉にしたいと思います。

 

 

 

私は、生まれも育ちも、

水戸で、都会ではありません。

茨城県の県庁所在地とは言っても、

都会というほど大きくありません。

水戸の中では、まあまあ繁華街に育ち、

まあまあ楽しく暮らしていましたが。

 

 

 

いたって、なんてことない普通の人なわけです。

学生時代も、平均的な成績でした。

 

 

 

クラスには、とっても頭の良い人が何人もいたし、

ものすごく奇麗な子や、

いつも最先端のおしゃれをしている子や

ものすごいお嬢様。

 

(・・・私は女子高です!)

 

 

 

そう、上には上がいて、

私など平均点を下げてばかりの

なんの取柄もない

普通以下の生徒。

 

 

 

ある時、仲良くしていた友人で、

元気で明るくてみんなの中心にいるようなお友達が、

なんであんなに元気で楽しそうなんだろうと、

思った時がありました。

そして黙って観察しました。

 

 

 

割と、わがままも通ってしまうし、

嫌なことを嫌!と言うし。

・・・私には、そこまで言えないことを、

素直に「やりたい!!」

「これはいや!」

と言って、通ってしまうし、

幸せそうだし。

 

 

 

そうか!

やりたいことを素直に言って、

やりたくないことをやらなくたって、

死にはしないし、

嫌われないし、

逆にあんなに幸せそうだし、

楽しそうだし。

 

 

 

普通の自分が、

自分を幸せにするには、

自分のやりたいこと、

やりたくないことを

言えばいいんだ!!

やったもん勝ちじゃん!

 

 

 

などと、自分なりに分析などしたりして・・・

で、

 

 

 

自分が輝けるものって何だろう??

あんなに楽しそうになれるものって何だろう?

「これが自分です」って言える、

「輝ける自分」って何だろう?

そう!

ダイヤモンドみたいなもの!

 

 

 

自分の中のダイアモンドを

ピカピカに輝かせればいいんだな!

何だかわからないけど、

自分のダイヤモンドって何だろう??

 

 

 

とりあえず、

心に素直に暮らそう!

心がやりたいと思うことをやってみよう!

きっとそれが

何だかわからにけど、

自分を輝かせるんだろう!

 

 

 

そう、18歳だか、19歳だかの頃、

思ったのでした。

青春してますね~~(^^♪

 

 

 

心に素直に生きること。

自分の輝くダイアモンド。

 

 

 

ダイアモンドを探す旅が、

始まったのが、

18歳だか、19歳だかの頃、

なのでした。

 

 

 

今日はこのへんで。

ではまた、この続きをお話ししましょう!