私も母となり、親の気持ちが少しはわかるようになった今日この頃。
昔の私は、なんとなく自分の病気について話すと親の悲しむ顔が見たくない。
そう思っていたので、振り返ってみても自分の身体のことで何か話した記憶がほとんどない。
流石に術前はコルセットのこととか、息がしづらいこととか話してた記憶がありますが
それくらいかな?
ふと、当時の親の気持ちってどんなものだったんだろう?
と気になったため、インタビューしてみました🎤
母と娘の対談
私「実は今側弯症の体験談とか書いたブログをしてまして」
母「え?そうなの?ブログ?なんだかすごいねぇ〜」
私「というわけでこれから少しインタビューを行います」
母「正直、忘れてることも多いけど...」
Q. 側弯症に気づいたきっかけは?
A.通ってたクラブチームのコーチ(整体師)からの指摘。(当時小5)
ちょっとあの歪みは気になるって言われて、練習中に診てもらって様子見かなぁ〜って話になったのよ。
私「あ、そういえばなんかその記憶あるな」
Q.誰かに悩み相談とかした?
A.ううん。そもそもその発想がなかった。だって相談したところでどうしようもないから。
今みたいにブログとかSNSで気軽に相談できる場があればしたかもしれんねぇ〜
私「(絶対ないな....LINEがやっとなのに)」
Q.側弯症の情報収集はどうしてた?
A.クラブの関係者の人たちの伝で、側弯患者に対する実績があるっていう整体師さんやカイロプラティックを紹介してもらって、そこで先生たちに色々聞いてたかなぁ。
あの時は家にPCもなかったし何かあればネットで調べるって時代でもなかったしね。
Q.手術は賛成派?
A.むしろ一刻も早くやって欲しかった。
Q.P先生(大学病院の時の先生)のことどう思ってた?
A.嫌い。あの先生のせいだと思うことが正直ある。
一刻も早く手術して欲しかったのに、いつまでもそこまでまだ進行してないから〜
身長がまだ伸びるから〜
まだ〜まだちょっと〜〜〜
って言って散々手術に対して否定的だったくせに、80度越えた途端に
ここまで曲がるとウチではできないって言ってY先生を紹介されたのよ!
そんなことならさっさとY先生紹介しろ!!と思ったよ
Y先生は本当に素晴らしかったね。田舎で選択肢なかったから....
最初からY先生に診てもらっていればと何度思ったか。
私「主治医選びは大事だね」
母「本当に。」
Q.発覚から手術までの期間は?
A.初めてコーチに指摘されたのが小5で、6年の終わり辺りで整形外科に初受診。
そこからすぐ大学病院を紹介されて2年弱通ったかな?
初めてのレントゲンでもう結構曲がってたからね。
40度後半になってから急激に曲がりだしてね。
あっという間でお母さんたちも先生もびっくり。
急激に身長が伸びた時期だったのかなぁ...
コルセットしてればこんなことあり得ない!とかそういえばあの先生嘆いてたなぁ。
でもあのコルセットはただの現状維持目的だったしね。
そう考えたらトータル3年くらいかな?
最後の1年で50度から100度くらいまで曲がったとおもう...確か
私「今のコルセットは進化してて、コルセットつけるだけでも20度近く改善するようなものもあるんよ」
母「嘘でしょ!?え?骨なのにそんなに動くことあるの??
あなたは確かコルセットつけても5度くらいしか変化なかったよ。」
私「なんか柔軟性がないとかめっちゃ言われたの覚えてる笑」
母「そうそう。それでジュニア時代の監督が筋トレさせすぎたせいかなって悔やんでてね」
私「悔やむところはもっと他にあるだろ❤️」
Q.100度超えたレントゲン見てどう思った?
A.ショック。言葉にならなかった。
この子の背中はどこまで曲がってしまうんだろう...って本当に怖かった。
だから1日でも早く手術して欲しかったなぁ。
Q.1度目の手術の自己負担は?
A.そこまでだったよ。確か手出しで10万くらいかな?
Q.後悔してることは?
A.いくつかあるなぁ....
・もっと早くに病院連れてくべきだった。
・整体でのアプローチをするのが遅すぎた。
気づいた時すぐ行っていればもう少し曲がりがマシだったかも。
・もっと寝かせたら良かった。
・もっと優しくすべきだった。
私「もっと寝かせたらってどういうこと?」
母「仰向けになることしか楽な体勢がないってよく言ってたでしょ?
後半はもう寝てる時以外息するのも苦しそうだったし...
よく考えたら仰向けの体勢の時は角度も少し良くなってたじゃない?
(仰向けでレントゲン撮ったら数度良くなること判明してた)
あの状態でよく毎日休まず朝から晩まで学校行かせてたなって...
でも学校に行かせないことのデメリットとどちらがいいんだろうとはよく考えたのよ。
もしかしたらもっと安静にさせておけばあそこまで酷くはならなかったんじゃないかって。
でも寝たきりだと足腰が弱るし......毎日悩んだね。
けどそもそもあなたも学校休みたいって特に言わなかったのよね」
私「言われてみればコルセットつけて行きたくない!とは言いまくってたけど学校行きたくない!ってごねた記憶ないなぁ」
私「優しくしていればって何?」
母「自転車通学だったじゃない?コルセットつけて自転車漕いでたでしょ?
考えてみればめっちゃしんどかったんじゃないかなって。
せめて車で送迎してあげれば良かったのかな。
でも自分も働いてて毎日車で送迎は厳しかったし....」
私「確かに!言われてみれば痛かったんかな?
多分きついはキツかったんやろうね笑
まぁでも記憶にないってことはその程度やろ」
Q.私の対応で悩んだことは
A.やっぱりコルセットつけるつけない論争だね。
これしかないんだ!!って私も思ってたし、やっぱりこれ以上曲がっていく背中を見るのも怖かったからとにかくつけて欲しくて......だけど今思えば「がんばりなさい」しか言わなかったね。
もっと休ませてあげるっていう選択肢を持つべきだったな。
Q.手術怖かった?
A.親はね。だって背中をこれだけ開いて行う大掛かりな手術なのよ?
怖くない方がおかしいよ。
でもあなたはものすごく楽しみにしてたよね
私「え!?覚えてる?」
母「覚えてるわよ。ICUから出てきた次の日、目を覚ましてからずっっっっっと、ドラマで見た世界だっただのブラックジャックがどうだの...とにかく楽しそうにしてたね。お母さんね、看護師さんからも言われたのよ
『手術室開いたら娘さん大興奮であまりにも楽しそうにするもんだから、担当した医師、看護師たちみんなですごいなぁって話してたんですよ』
ってね....」
私「草ぁ。いやでもね、思い返せば麻酔のせいでハイになってたんだと思う」
母「は?何言ってんの。麻酔されたのはあなたが大興奮した後よ。手術室入ってからに決まってるでしょ。むしろその興奮を麻酔が鎮めてくれたのよ」
私「ただのヤバいやつやん。」
Q.2回目の手術(抜釘)決まった時どう思った?
A.ラッキーだと思ったよ!ボルト抜けるなら抜いて欲しいってもともと思ってたし。
だって異物入ってる限りやっぱりリスクあるもの。
これ、当時の病院からもらったスケジュール表。
2回目は1回目の時よりは退院も早かったね。
Q.印象的だったことある?
A.あなたの前向きさには本当に助けられたかな。
この子はなんでこんなに強いんだろう?って本当に思ったよ。
術後に至っては私あなたから何か身体の不調とか話聞いたことがないもんね。
でも正直まだまだ曲がってるでしょ?考えたら痛くないはずがない。
入院してた時なんか、早く退院して記録作るぞーーー!!とか言って確か予定より1、2日早く退院したのよ。
そんなに慌てるなって親も学校の先生も言ったのに聞く耳もたず。
私「退院してすぐ学校通ったよね?」
母「退院した次の日はね、担任に挨拶だけ行ったのよ。
『先生。背が伸びて制服のスカートが短くなったので今日は学校行けません。補整してきます』
って言ってね。え?そこ?ってお母さん思ったけど...あなた真面目だったしね。
本当にその日に補整して次の日から朝から放課後まで普通に通いだしたもんね。
」
私「笑。いやまじでヤバいやつやん。結構皆さん術後すぐ普通に学校行きだすってあまりないみたい」
母「そうでしょうね。お母さんもびっくりしたもん。まぁでも小学時代のクラブチームいたときにかなり鍛えてたのももしかしたら関係してるのかもね。」
私「昭和のスポ根.....飲みたいときに水が飲めるってだけで世の中素晴らしいって思ってたもんなあのとき。
うん。前向き云々じゃなくて狂ってただけな気がする笑」
母「いやぁ...お姉ちゃんも同じクラブだったけど...まぁ性格かね。
とにかく不登校になることもなく、そこは助けられたかな」
Q.脚伸びたらいいやんていったの覚えてる?
A.うん。記憶にある
だってね、胴ばっかり伸びてもなぁ〜ってぼんやり思ったんだもん
私「覚えてたかぁ」
Q.同じように悩む親御さんに一言
A.手術はリスクもあるけれど、このままどこまで曲がっていくのかという不安と闘うよりは安心できたし、何よりこの子のように100度超えてしまったときの後悔はなんともいえないものがある。
私は本当に後悔しました。
この子は明るかったから助けられたと思うことはあるけれど、やっぱり真っ直ぐに近い背中に越したことはない。
本人たちはきっともうすでに頑張っているので、休ませてあげるということも視野に入れて欲しいです。
不安な気持ちでいっぱいだとは思いますが、この子を見ている限りでは側弯症が何か障害になっているようなこともないので、是非何にでも前向きに挑戦させてあげて欲しい。
できないことに目を向けるよりも、できることに目を向けましょう
私「本日はインタビューありがとうございました」
母「何か役に立てたならいいけど...」
以上です!
長くなってしまった。
そんなこと思ってたのか〜と新しい発見もあり、こうやって真剣に話し合う機会を作ってみて良かったなと思いました
親の心子知らず、ですね!
改めて、たくさんの人の助けのもとに今の自分があると思いました。
私も母のように強い母になろうと思いましたとさ。