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空気を読まずに生きる

弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・Kollectアーツ法律事務所)の情報発信。

裁判員、刑事司法、ロースクールなどを事務所の意向に関係なく語る。https://kollect-arts.jp/

一昔前であれば、文通相手と初めて実際に会ったときに「これまでのイメージと違う」というようなことがよくあっただろう。
今で言えばチャットなどで出会う人たちもそのような感想を持つことは多いのではないか。

人はその人自身の顔を見て、声を聞いて、実際に話をしてみなければ、その人がどんな人なのか、その人が言っていることが信用できるのか等々わからないと思う。

刑事弁護士(自分がこのように名乗れるかはさておき・・・)をやっていると、「文字」から受ける印象と実際に会って顔を見たときの印象との間のギャップを感じることが多々ある。
被疑者国選弁護事件の場合、被疑者の名前等と「被疑事実」なるものという事前情報が与えられ、実際に身体拘束されている被疑者に会いに行く。

「被疑事実」だけを読めば、どれだけ悪いやつが出てくるのだろうと毎度のように想像する。

「被疑者は○月○日、○○において、被害者に対し、手拳で殴打し、足蹴りを加えるなどの暴行を加え、被害者に対し全治3ヶ月の顔面骨折等の傷害を負わせた」

などという文字からは、悪い印象しか抱かない。

ところが、実際にアクリル板越しに被疑者に会ってみると、「文字」だけから抱いていた印象とは全く違う印象を抱くことが非常に多い(ほとんどと言ってもいいかもしれない)。
まず、顔を見ただけで自分の中でのイメージが一気に変わる。
そして声を聞けばさらに変わる。


このような経験は別に刑事弁護士に限らず、人間が生きていく上で日常茶飯事なわけで言わばあたりまえのこと。
だからこそ、その人が信用できるのかを判断するには実際に会ってみなければわからない。


ところが、人と会わずに、その人の顔も見ずに、「文字」だけでその人の言っていることが信用できるかどうかを判断する能力を備えていると思っている人たちがいる。

裁判官は、被疑者を釈放するかどうか、被告人を保釈するかどうか等について、その人の顔を見ることなく、判断する。

私は、人の顔も見ずに、その人の言っていることを信用できるかどうか、その人が逃亡しそうな人かどうかなどを判断できる能力を兼ね備えた人間など存在しないと思う。

どうにかならないものか。
久しぶりに時事ネタから。

小沢一郎さんが逮捕されるのか等という話題で持ちきりだが、テレビなどマスコミや政治家などほぼ全ての人が共通に言っていることがある。

それは
「検察の事情聴取に応じるべきだ」

果たしてそうか。
私は政治のことはわからない。なんせようやく選挙権を得たばかりであり、一度も投票したことないから。国会議員だとか与党の幹事長だという立場を抜きにしたら、検察の事情聴取に応じるべきだという「定説」は誤りである。
取り調べに応じるべき場合もあるがそれは限定的な場合であって、何も自ら捜査機関に出向く必要はない。

では取り調べに応じなかったら逮捕されるか?
仮にそうだとしたらそれもまた誤りである。
任意に取り調べできないから強制的に取り調べできるのが逮捕だとの誤った認識があるような気がするが、逮捕はそういうものではない。
強制的に取り調べなど誰に対してもできないはずだ。

話は戻って、小沢一郎さんの政治的な立場から取り調べに応じるべきなのか?

この点はよくわからないが、国会議員、与党の幹事長という立場から国民へ説明責任を果たすべきとの意見はある意味でもっともである。
ではその説明責任の方法は検察の取り調べに応じることなのか。

やはり違うと思う。

記者会見等で説明すべきかもしれないが、検察の取り調べに応じるべきとは思わない。

そのようなわけで昨日今日の常識たる「小沢一郎さんは検察の取り調べに応じるべき」に対しては疑問を禁じ得ない。

むしろ、もっと一般的に検察庁や警察から呼び出されれば応じるのが当たり前との意識が今回の報道で醸成されるとしたら、非常におそろしい。
あけましておめでとうございます。

弁護士生活2年目に突入しました。
1年目はあっという間に過ぎ去りました。
刑事事件中心の生活ではありますが、意外といろんなことを幅広くやりました。

その中で思ったことを。
今年1年、刑事弁護の分野では弁護士1年生にしてはそれなりにヤレたような気がする。
ただ、じつは自分がやっていることは、先人達が築いたレールに沿ってやっているだけで、レールに沿えば誰だってそれなりに刑事弁護をやれるようになっていると思う。
まぁ、そのレールというものは、空気を読んでしまってはなかなか沿うのも難しいもので、空気を読まずにレールに沿うことは割と得意なのかもしれない。
今は、とりあえず先人達が築いたレールを知ることが第一だけれども、そのうち自らレールを敷く役割を果たしたいと思う。これは非常に難しいことだと思うが。

話は少し変わって、この正月、刑務所や拘置所から年賀状が届いた。
正確には、刑務所や拘置所の中にいる依頼者、元依頼者から。
これはなかなかうれしいこと。

そして、刑務所や拘置所の中からの年賀状も、ハンコが押してあったり、色ペンで文字が書いてあったりと、普段手紙のやりとりをしている時とはやや扱いが異なることを感じさせる。

刑事弁護をやっていることから、警察の留置場や拘置所での被疑者、被告人の処遇について、一般の人よりは少しは詳しいと思う。けれど、年賀状をどのようにして書くのか、ハンコとかはいろいろ選ばしてもらえるのかなどということは考えたことも聞いたこともなかったので、今度聞いてみよう。
私、幼少時代にバイオリンを習っていたおかげで、絶対音感があります。
ところで、この度、ひさしぶりにバイオリンの練習を少ししてみたときにわかったことが。
自分の絶対音感が少しくるっていた。

具体的には、自分の感覚が下がっていました。
バイオリンを弾くときは、「ラ」の音が基準になるが、その音は一般的には440ヘルツから442ヘルツくらいで調弦されるのが一般的。442ヘルツとなると少し高めの「ラ」。
昔はその違いもわかっていたが、今回自分の中では普通の(440ヘルツくらいの)「ラ」のつもりの音が、実際はかなり低かった(おそらく438ヘルツ以下)。

これは絶対音感保持者としてはなかなか悲しいことで、バイオリンの音程を維持するときに、「自分の頭の中の音」→「それを少しあげる」という作業が必要となった。

まさしく絶対音感の相対化がおこった。

ちなみに絶対音感があると、歌とかをその絶対的な音でインプットするので、カラオケとかに行ってもいわゆる「原曲キー」でしか歌えなくなります。
なんだかんだで前回の更新から2ヶ月くらい経ってしまいました。
そして、なんだかんだで弁護士になってほぼ1年です。

この2ヶ月の間に、結婚をしたり、車を買ったり、なんとなく人生の階段を何段か一気に上がった感じがしています。

弁護士生活約1年間を過ごしての感想は、周りのスピードになんとか自分の足の回転がギリギリ間に合っているというところでしょうか。
日々ブログを更新する余裕もあまりないくらい忙しく、その中でどれだけ丁寧に仕事をできるかを模索中です。
正直なところ、特に最近は仕事に追われている感が強く、1つ1つの仕事に妥協がないかと言われれば、とりあえずしのいでいるという感じの仕事がないとは言えない。できることであれば、時間の制限を考えることなくもっともっとじっくり取り組んだほうがいい仕事も多々ある。けれど、弁護士業をやっていく上では、時間との戦いは避けては通れないもので、この時間との戦い方も身につけなければならないと思うところです。

刑事裁判やら裁判員やらロースクールやらなんやらについていろいろ書こうと思うことは山程あるが、それについてはまた今度。