空気を読まずに生きる -14ページ目

空気を読まずに生きる

弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・Kollectアーツ法律事務所)の情報発信。

裁判員、刑事司法、ロースクールなどを事務所の意向に関係なく語る。https://kollect-arts.jp/

S氏は長年タクシー運転手として働いてきた。
そして、平成19年8月のある日、午前2時30分ころ、タクシーを運転して都内のT字路交差点を左折したところ、何かを轢いた。
それは、道路上に寝ていた人間だった。道路上に寝ていたA氏は亡くなった。

S氏は自動車運転過失致死罪で逮捕された。
ところが、東京地方検察庁は後日S氏を釈放し、不起訴処分にした。

一方、東京都公安委員会は平成19年10月12日、S氏の運転免許を取り消す処分を行った。
これに対し、S氏は運転免許取消処分について、その処分の取り消しを求める訴訟を提起するとともに、運転免許取消処分についての執行停止を申し立てた。

東京地方裁判所は運転免許取消処分の執行停止を認め、さらには、運転免許取消処分について取り消す判決を下した。(つまりこのような事故で免取をすることは違法だとした)
その理由は、S氏が交差点を左折した際、A氏はS氏の死角で寝ていたのであって、S氏は道路上に寝ていたA氏を視認することができなかったから、安全運転義務違反はないというものであった。

東京都はこの判決に控訴し、昨日控訴審の判決が出た。
東京高等裁判所は次の理由から、原判決を取り消した。(つまり免許取消は有効だとした)

「本件左折の時刻が午前2時30分ころであったことすなわち交通が閑散な状況であったとしても、路上に人が横臥しているかもしれないということは自動車運転者として常に念頭に置いておくべきことである・・・(特に夏季の夜間においては道路上に人が寝そべっているかもしれないということを強く念頭に置いておかなければならない)」

「S氏はA氏を物理的に見ることができた」

「もし、真実、被控訴人(S氏)が主張するように本件交差点を左折するに当たって原告車両のフロントガラスを通してあるいは助手席ドアの窓を通して本件左方路の安全を確認することが物理的にできなかったのであれば、自動車運転者たる被控訴人(S氏)としては、むしろそのまま本件左方路に左折進入してはならないのであって、その場合には、原告車両を一旦停止させた上で運転席で背伸びをしたり身体を前に出したりして安全を確認し、それでもなお安全確認ができない場合には原告車両から一旦降りて本件左方路を直接目視すべきであり、決して本件左方路の安全が確認できないままに本件左方路に左折進入してはならないのである。これは自動車運転者としての基本的注意義務であり、仮に多くの自動車運転者がそこまではしないという実態があるとしても、そのことによって被控訴人に課せられた上記の法的注意義務が免除されるわけではない。もとよりこれが被控訴人に不可能を強いるものでもない。」


この判決を読んで私は思わず椅子からひっくり返りそうになるくらいのけぞった。
物理的に目視が可能かどうかはともかく、その他の点は到底理解しがたいのではないか。
裁判官は本当にこのように考えているのか、それとも、免許を取り消すという結論ありきで、その結論を導くために無理やり理由をつけているのかよくわからない。
母校でアカデミックアドバイザーなる怪しい仕事をしている関係で、今日はロースクール1年生と一緒に周防正行監督の「それでもボクはやってない」の映画を見ながら、刑訴法の勉強をする企画に参加してきた。

この映画、ボクがロースクール3年のころの作品だったと思うが、某刑事弁護士が試写会にて「身も蓋もない映画だなぁ」という感想を思わず周防監督に漏らしてしまったというもの。
刑事裁判もののドラマや映画は数多くあるが、その世界の人間になってしまったからか、リアルさに欠ける映画、ドラマを見ることに耐えられなくなってしまった自分がいる。
ところが、この映画は「元も子もない」という言葉が出てしまうほどリアル。本当によくできた映画だと思う。

今日でおそらく4回目か5回目に見たけれど、やはりよくできていた。

そしてロースクール生が映画内の判決に対して非常に素直でいい感想を数多く持っていたことがうれしかった。
ロースクール1年生相手に刑訴法の勉強の手伝いをしていたので、彼らがまだまだ刑訴法を理解できていないことはわかっていた。そんな彼らが、映画内の判決に対して鋭い感想を抱いていたということは、裁判員が裁判官の判決に抱く感想に似ているのではないかと感じた。

映画内の判決は、実際の裁判で見られる判決に非常によく似ていて、そのような判決に対して
「1人の証人の証言を信用できると言ったり、一部分については信用できないと言ったりするのはおかしい、卑怯だ、矛盾している」
とか
「(映画では証人尋問後に裁判官が交替するのだが)見てもいない証人の証言のことをあーだこーだ言うことはおかしい、証人尋問とは、その人の話している様子、表情等々すべて含めて判断するはずなのにおかしい」
とか
「疑わしいという程度で有罪にしていいのか」
等々の感想が述べられていた。

これらの感想はまさしくもっともであって、やっぱり自然な感想なんだなぁと改めて感じられた。

いずれにせよこの映画は本当によくできているのでぜひご覧あれ。


それでもボクはやってない スタンダード・エディション [DVD]/加瀬亮;瀬戸朝香;山本耕史;もたいまさこ;役所広司

¥3,990
Amazon.co.jp

それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!/周防 正行

¥1,470
Amazon.co.jp

憲法には、
「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。」(37条1項)
「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行う。」(82条1項)
と書かれている。

なぜ裁判は公開されるのか?
裁判を公開する意味は、何よりも被告人(当事者)のためにある。
公衆の面前に裁判がさらされることによって、裁判が適正に、公平になされることを担保している。
簡単にいえば、裁判所の暴走を止めるために、公衆の面前にさらすことになっている。
これは過去の負の歴史から産み出された人類の知恵なんだろう。
そして裁判が公開されることは、いまや世界中のあらゆる文明国において当然の前提となっている。

ところで、裁判では、法廷に出てきた証人の話を聞いて、裁判官や裁判員が事実があったかなかったを判断することとなる。刑事裁判でもしかり。
しかし、場合によっては供述調書のような書面が証拠になることもある。

裁判は公開されるものなので、証人は傍聴人の前で話すのは当然であるし、供述調書のような書面は、内容を朗読することによって「公開」される。

日本の刑事訴訟法においてもそのことが規定されている。
書面を朗読する理由は、裁判の公開という大原則に適うからである。

ところで、先日東京地裁で行われている裁判員裁判を傍聴する機会があった。
弁護人でもなんでもない言わば一般人である私が傍聴できたわけであるから、裁判は「公開」されていた。
ところが、傍聴席で裁判を見ていても、どのような犯罪が行われたのか知ることはできなかった。

事件は、被告人が幼い女の子にわいせつ行為をしたという強制わいせつ致傷事件であった。
事実関係には争いがない事件であり、被害者の女の子が検察官の前で供述した内容が調書になって証拠として出てきた。
裁判は公開されるものなので、この調書は当然朗読されるわけであるが、被害に至る事情や被害後の心境はすべて朗読されていた。
ところが、被害の核心部分については、検察官が「被害者のプライバシーへの配慮のため、調書のコピー部分(あらかじめ配布済み)を黙読してください」と裁判員に指示し、時間を取って黙読させていた。

まさしく"非公開裁判"がそこではなされていた。
検察官の言い分である「被害者のプライバシーへの配慮」はもちろん重要である。刑事事件の被害者になって、さらに裁判でその内容を公開されては二次被害を蒙ることになり、それは避けなければならない。という意見ももちろん理解できる。
しかし、一方で、被告人は事実関係を争っていないとは言え、非公開裁判によって裁かれようとしている。

公開裁判においても、被害者のプライバシーに配慮することは、自由権規約という国際規約にも書かれている。ただ、そのための方策として、日本の刑事裁判では、とくに性犯罪事件等においては、被害者が特定される事項については裁判で明らかにしないというルールを作り、この事件でもそれが適用されていた。
つまり、法廷では被害者の氏名や住所等は一切明らかにされず、たんに「被害者」と呼ばれていた。
このこと自体、裁判の公開の原則に反するという意見があるくらいだが、今回はそれに加えて、証拠の内容について、法律が全く規定していない「黙読」という方法をとっていた。

これは、歴史に逆行する、非公開裁判への第一歩である。
そしてそれはきわめて危険な第一歩なのではないか。
今日もまたニュース記事に文句を言ってしまう。
もっとおもしろいことをブログに書こうと思いつつ、こんなニュースは読み流せばいいじゃないかと思いつつ、きちんと文句を言い続けないと大変なことになるのではないかと思い、がんばって文句を言うことにしました。

-----(以下、引用)
押尾被告が保釈請求、板倉氏「非常識」

合成麻薬MDMAを一緒にのみ、死亡した東京・銀座のクラブホステス、田中香織さん=当時(30)=に対する保護責任者遺棄致死罪に問われた元俳優、押尾学被告(31)が3日、弁護人を通じ東京地裁に保釈を請求した。同罪は殺人など重大事件を扱う裁判員裁判の対象。検察側による調べも続く中での請求に、法曹関係者は「人の命が関わる事件に保釈の可能性はない」とバッサリ斬り捨てた。


 公判前整理手続きの第1回協議が3月5日に決まった先月29日から、わずか5日。田中さんの死亡事件が真相究明に向け加速する中、押尾被告が望んだのは保釈だった。


 刑法に詳しい日大の板倉宏名誉教授(76)は「請求をするのは自由だが、地裁が認めるはずもなく非常識な請求。人の命がかかわる事件で保釈されるケースはまずない」と驚きを隠さない。


 その理由として、裁判員裁判の対象となる重大事件であることに加え、検察側と弁護側が裁判の争点を協議する公判前整理手続きの期日が決まってからの請求であることを指摘する。


 「協議中、被告は弁護士や検察側から事件の事情を聴かれる可能性が高い。裁判を速やかに行うための整理手続きに反する請求を地裁が受け入れるはずがない」と説明。続けて「世間には『まだ事件から逃げている』と映る」と言い切った。


 なぜ、そんな「非常識な請求」をしたのか-。板倉氏は「担当弁護士は裁判にマイナスの請求だと分かっているはず。被告が弁護士にお願いしたのでは」と推測した。


 押尾被告は麻薬取締法違反(使用)罪で起訴されていた昨年8月26日、保釈を請求。同28日に認められ、同31日に保釈保証金400万円で保釈された。板倉氏は「今回は1つの命がなくなっていることに対する罪で、当時とはまったく状況が違う」と指摘。ちなみに「万が一、保釈が決定した場合、保釈保証金は前回の倍以上の1000万円ほどでは」と付け加えた。


 警視庁などの調べでは、田中さんの容体急変から友人が119番通報するまで、約3時間かかっていることが判明。急変直後に通報していれば8割の確率で救命できたことが分かっている。


 押尾被告は知人からMDMAをもらったことを大筋で認めているが、田中さんへの譲渡や遺棄致死の罪については依然、否認し続けている。

(サンケイスポーツ - 02月04日 08:05)
-----(引用終わり)

高名な刑法学者がこのようなことを言っていることに正直なところ驚いた。
ひょっとすると、板倉教授は全然違う趣旨のことを話しているにもかかわらず、新聞社がその意味を曲解したのかもしれないが…。

まず、何よりもの大前提として、起訴された被告人は保釈されるのが原則である。
それは、法律にはっきり書かれている。
裁判になって、有罪の判決が確定すれば、その後は刑罰として服役することとなるが、それまでは、被告人に刑罰を与えることはできない。
つまりは、起訴後にも勾留され続けるのは、その人が悪いことをしたからでも何でもなく、ちゃんと裁判をするためでしかない。

特に、今回の押尾氏のように、否認している事件ならばなおさらである。

板倉教授が言ったとされる
「協議中、被告は弁護士や検察側から事件の事情を聴かれる可能性が高い。裁判を速やかに行うための整理手続きに反する請求を地裁が受け入れるはずがない」
との部分は明らかに誤りである。

起訴された後に、検察が被告人に事件の事情なんかを聞くことはほぼない。
逆に弁護人は被告人と今後の方針について綿密に話しあう必要がある。
だからこそ、保釈して、何の障害もない環境で打ち合わせができなければならない。
それが速やかに裁判を行うための方法だと思う。

これは「常識」だと思う。

保釈の請求をして、認められるとか認められないとかの判断は当然あるけれども、被告人が保釈の請求をして「非常識」だなどと言うことは決してあってはならない。
また、弁護人にしてみれば、被告人が保釈を望んでいるにも関わらず、それは「非常識」だなどと思って、その保釈請求をしなければ、それこそ「非常識」どころか「違法」な弁護活動になると思う。


スポーツ新聞のちょっとした記事かもしれないが、この記事を読んだ多くの読者は
「人が亡くなっている事件で保釈請求をすることは非常識だ」
と思うだろう。まして、高名な刑法学者が実名入りでそのような解説をしているとしたら尚更である。

このような一種の「誤導」がもたらす影響は計り知れないのではないかと思う。
特に裁判員裁判時代を迎えた現代においては。

なので、がんばって文句を言い続けよう。
たかだか1人の意見だけれども、それを積み重ねることが重要だと思う。
ニュースより

-----(以下、引用)
09年7月、大阪市此花区のパチンコ店に放火し、5人を殺害、10人に重軽傷を負わせたとして、殺人罪などで起訴された高見素直(すなお)被告(42)の裁判員裁判で、死刑求刑が予想されるとして、弁護人が「絞首刑は残虐で違憲」と主張する方針であることが分かった。海外事例などから残虐性を客観的に立証する異例の弁護といい、「裁判員が審理する以上、死刑の執行方法をよく把握してもらった上で議論すべきだ」としている。

 凶悪事件では、死刑が確定したオウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚の裁判など、死刑の違憲性を主張する弁護はあった。しかし、死刑廃止をうたう国際人権規約に反することなどが理由で、具体的立証まではなかったとされる。

 高見被告の弁護人は、絞首刑の残虐性立証のため、海外事例などを多数調査。1942年の絞首刑に立ち会った米国の刑務所長の著書や、イラクのフセイン元大統領の異父弟の絞首刑(07年)ビデオなどで頭部が切断されるなどの実例があったという。またオーストリアでは、絞首刑や首つり自殺で十分な力がかかれば切断されるとする医学博士の研究もあった。これらの点から、弁護人は「絞首刑は残虐な執行方法だ」と主張し、死刑制度を争点の一つに挙げる方針だ。

 最高裁判例(1948年)は死刑を合憲としながら、「執行方法が時代と環境において人道上の見地から一般に残虐だと認められる場合は憲法違反」としている。

 弁護人は「死刑に関する情報を国が開示しないことも問題。情報を開示して初めて裁判員も死刑を選択肢の一つにできる」と話し、裁判員制度を契機に踏み込んだ死刑論議の必要性を指摘する。

 高見被告は起訴前の精神鑑定で統合失調症と診断されたが、大阪地検は刑事責任能力に問題ないと判断。地検によると、起訴内容を認めている。【牧野宏美】
-----(引用終わり)(毎日新聞 - 02月03日 19:03)

このニュースについて、さまざまな意見がネット上にあふれている。
私自身がどのように思うかはさておき、ネット上の声を見ると、裁判員がどのように感じるのかということについてヒントになるであろうと思う。
一方で、一般的に、ネット上の声は、ある一定方向への力が非常に強く、ネット上の声が世間の声をそのまま反映していると思うのは誤りであろうと思う。

このニュースに対して、特にネット上での議論について思うところはたくさんあり、いろいろ書きたいところではあるけれど、とりあえず今日はガマン。
ただ、1つだけ間違いなく言えることは、死刑制度について、国はほぼ全ての情報を遮断していて、国民の間でその実態が全く認識されていないということ、そして、国家による最大の権力行使である死刑について議論をするためには、その情報開示が必要不可欠だということ。