今、子供達が受けている教育は管理教育というものです。
教育とは、その世の中の体制の中で
みんなと協調して生きていくことができる人間を作り出すことです。

国が違えば、教育も変わります。
日本の場合、海外から原料を輸入し、製品として輸出をする。
加工貿易で成り立っている国です。
日本で大量に製品を作り、海外に輸出するため
工場がいっぱいできました。
その工場のラインに着く人は、流れ作業ですから
言われた通り、決められた通り、何の疑いも無く、考えること無く
作業しなければなりません。
そういう人が不足無く生きていける時代ですから
教育も、そういう人を育てるために
先生の言われたことを忠実に守り、
考えてはいけないという管理教育が押し進められていきます。
教わることに何の疑問も挟まず、教えられたことを忠実に覚え、
覚えられたものは成績がよく、
覚えられなかったものは成績が悪いということになるのです。

この管理教育の成果が出たのは80年代です。
日本の製品は世界を席巻し、日本の商品は品質にすぐれ壊れない
日本製を買えば安心というまでになったのです。
これが日本の好景気を生みバブルとなったのです。
ここまでは大成功で、子供達には一生懸命勉強(言われる通り覚えること)して、
良い大学に入って、良い会社に入って、出世しようと言うレールが引かれていました。
子供達は言われた通りレールに乗っかることで目標が持てたのです。

ところが、世の中は大量生産大量消費から少量多品種と生産体制が代わっていきます。
なぜかというと、同じものを大量に作っても、
消費者のニーズの多様性、価値観の多様化で人と違うものを買うように代わっていきました。
企業は次々と新商品を作らなければならないので、
発想力の豊かな人が必要となってくるのですが
教育は変わらないのです。親も変わったことに気づきません。

管理教育では発想するということは教えません。
昔、帰国子女が小学校に入り、道徳(今は無いのか?)の時間に問題が出されました。
テストの日に通学しているとおじいさんが道ばたに倒れていました。
もうテストの時間が迫っています。どうしますか?という質問です。
その子は一生懸命考え、テストは二の次でおじいさんを救うことを考えました。
他の全員の生徒との答えとは違っていたのです。
学校は母親を呼びお子さんには問題があると告げました。
本当に会った話です。正解の無いような問題でも同じでなければならないのです。

自分の目的は自分自身で考えなくてはなりません。
しかし考えることを教わってこなかった子供達は
自分で目標を考えることができないのです。
昔あったレールはないし、レールの先の到達点も無いのです。
今は、それぞれが到達点を作り、レールを敷かなければならないのです
目標を設定し、計画を立てて行動するという前頭葉を使うことができない
人たちが管理教育のため増えているのです。
人は前頭葉が発達しているため、
前頭葉を使わないと、面白く生きていくことができません。
逆を言えば前頭葉を使えないと、死ぬほど苦しいのです。

強制的に前頭葉を使わない労働を強いると大変なことになります。
昔、帝政ロシアで囚人達に対し
留置場の庭で穴を掘らせ、ある程度掘ったら、
次の場所を掘らせ、その残土で前の穴を埋めるという
無目的労働の拷問がありました。
何の意味も無い労働には苦痛が生じ、
まず、ウツ状態になります。
人の体は、自己防衛本能でその労働に対して
苦痛を感じない脳に換えようとします。

最終的に苦痛に耐えきれず自らの命を絶つか
目的が無くても生きていける人間になるか
生きる気力がなくなり免疫力が低下し病気になって死ぬかです。
しかし、このままでは死ねない、生き抜いてここから出てやると
目標を設定できた人は何の障害もなく生き残ったそうです。

現状の日本を見ると鬱病の人が多くいます。
現状の生活の中で、目標を設定できない人が多いのでしょう。
学校へ行ってもつまらない。仕事へ行ってもつまらない。
家にいてもつまらない。生きていてもつまらない。
これは、まさに穴を掘る拷問と同じです。

なぜ日本で鬱病の人が増えて来たのでしょう。
心療内科の先生に聞くと、
世の中のストレスが増えて来たからだと言います。
世の中のストレスは減らすことができないので、
薬で辛さを感じさせないようにするという対症療法です。

本当に世の中のストレスが増えて来たかは疑問です。
科学が進み、人はめんどくさいことをやらなくてよくなります。
さらに寿命が伸び、欲しいものは手に入り、
昔の方が社会のストレスは大きいはずです。
鬱病の原因は先の例から、無目的労働によるものです。

なぜ皆、無目的労働をするようになったかを
突き止めないと、鬱病が増えて来た原因は分かりません。
タヌキ、サル、サルっぽいやつ(人)の目線を見てきました。
それぞれの脳で何が起きたのか見てみましょう。

タヌキは、木の下にあるリンゴを見て、
木の下にあるリンゴの写真を脳に記憶しました。
お腹がすいたときに、脳にある写真を思い出し、
リンゴがあるかもしれない、その場所へ行きました。

途中、見覚えのある木陰を見て
また、一枚の写真が浮かびます。
オオカミが飛び出してくる写真です。


ここでサルの脳を見てみましょう。

サルは他のサルのやっていることを
一連の映像(ビデオ)として覚えられるようです。
手頃な石を見つけ、平らな土台の石を見つけ
土台にクルミを置き、手に持った石で割る。

適当な枝を探す
アリの巣穴に突っ込む
アリが付いてくる
食べる
他のサルのやっている一連の動きを覚え
同じように自分でもやることができます。

この光景をタヌキも見ていましたが、タヌキには理解できません。
一連の動きが何を意味しているのか分からないのです。
なぜならタヌキの脳には写真は入ってもビデオは入らないからです。
タヌキが見たサル達は、土に向かってうずくまっている写真として記憶されましたが、
タヌキに何の利益も生み出さないのですぐ忘れることでしょう。

今度はサルっぽい奴「人」です。
人は時間を隔てた一連の行動を理解することができます。
種をまき、水をやり、肥料をやり、収穫する。
行動と行動の間に時間があっても人は理解できるのです。
サルが見ていましたが、種を植えたとき、水をやっているとき、収穫したとき
サルには、種まきから収穫までを一連の行動として映らず、
それぞれが1枚づつの無関係の写真として脳に記憶されているにすぎません
私たちも、サッカーならボールを味方にパスをしてゴールに入れると
映像で思い出すことはできますが、知らないスポーツは
例えばクリケットと言われても白ズボンをはいた人たちが
バットににたようなものを持っていると言ったような
一枚の止まった写真しか思い浮かびません。
(ルールを知っている人は映像で浮かぶはずです)

人はリンゴを収穫するという目標を脳に描き
それに向かってやるべきこと(ビデオ)を何カットも
時間が隔たっていても関連づけることができます。
その関連づけているツールが「言葉」です。
人の言葉の特徴は未来や過去を語れることです。
行動と行動の間を言葉で埋めているのです。

サルも言葉を持っていますが、未来も過去も語ることはできません。
サルの言葉はその場の状況しか言い表せないのです。
「お腹がすいた」「キケンだにげろ」のたぐいです。
さるに明日のお昼にここでまた合おうと言っても、明日来てはくれないでしょう。
未来や過去が語れなければ、道具は発達しません。
枝が短いと少ししかアリが付いてこないし、
枝が長い方がアリがいっぱいつれるよ。と言うのは
枝が短い場合は過去の経験で、
長い方は未来のことなので、サルには言うことができないのです。

人の脳は前頭葉が発達しています。
前頭葉は目標を設定し、すぐ後ろ運動野が控えすぐに動けるようになっています。
人の脳は目標を設定し目標に向かって動くという脳になっているのです。
それが人の人たるゆえんなのです。

人は前頭葉を使わないと生きていけない動物です。