家族、ニュエンの遺体を要求
麻薬密売人ニュエン・トゥオン・ヴァンが首吊り処刑された4時間後、その遺体はシンガポールのチャンヒ刑務所から運び出された。
地元の葬儀屋ディレクト・フューネラル・サービスの白いバンは刑務所の門から出てきた。オーストラリアの高等弁務団の職員が乗った車もそれにつづいた。
ニュエンはシンガポールの刑務所でちょうど夜明け前に処刑された。彼は2002年にシンガポールのチャンヒ空港に400グラムのヘロインを持ち込んだとされている。
遺体はオーストラリアの時刻で午後2時30分にグッド・シェファード協会のカトリック式の礼拝式に運ばれる見込みだ。ニュエンの家族、友だちに弁務官たちが参列する。
ローマのカトリックのグレゴリー・ヴァン・ジアン神父らによって式は行なわれる。彼はニュエンが服役中、精神的な支えとなった。
記者らはニュエンの関係者の頼みで式への参加の自粛を求められた。
ニュエンの遺体は日曜日にオーストラリアに戻ってくる。葬式は来週、メルボルンの聖パトリック大聖堂で行なわれる予定。
法廷弁護士レックス・ラスリーはニュエンの遺体を運ぶ便は土曜の夜にシンガポールを発ち、翌朝メルボルンに着くだろうと話した。
ラスリーは、彼は故ニュエンの母キムと双子の兄コアとともに帰国するという。
夜明けの祈り
シンガポールの内務省は、ニュエン(25)がチャンヒ刑務所の絞首台のうえで死んだことを確認した。刑務所の外では彼の家族、友だちと支持者たちが予定通り早朝の死刑が行なわれるのに居合わせていた。
彼の母キムはその場に居合わせる代わりに、処刑が行なわれる瞬間をシンガポールの礼拝堂で大勢と祈りながら過ごした。
メルボルンでは、けさ、リッチモンドの追悼式で支持者たちがまわりを気にせず泣いた。ニュエンが死ぬ時刻にあわせて午前9時(シンガポールでは6時)に25回ベルが鳴らされた。
「麻薬密売容疑者の死刑」と題された声明文はこのようにいう。「ニュエン氏は上告裁判所と大統領に寛大な慈悲を求めることができなかった。死刑は今朝チャンヒ刑務所で行われてしまった」
ニュエンの双子の兄弟コア、と友人のブローニン・リューとケリーは、死刑が確認された後ジュリアン・マクマホン弁護士に連れられて刑務所をあとにした。
刑務所を離れるとき、コアは振り返って刑務所の職員をしばらく抱きしめた。そのあと、タクシーでその場を去った。
マクマホン氏がいうには、ニュエンの母は「彼女が愛する人たち」が慰めたという。
「彼女は祈祷会からやってきた。ニュエンが処刑された午前6時の前後30分ほどその祈祷は行なわれ、居合わせたものすべてが計り知れないほどの愛しさを抱いた」
刑務所の壁の外側に一緒に立つために夜明けのちょっと前に関係者一同が到着したので、待ちわびていたメディアに取り囲まれるまえに刑務所の責任者は彼らを刑務所の内部に入れることを許した。
早すぎる死
500人以上のサポーターがメルボルンの聖イグナティウス教会に集まった。教会はニュエンとコアが通った小学校の隣である。式はピーター・ノルデン神父によって執り行われた朝の6時からいるものもいた。
リッチモンド教会に参列した人は9時が訪れる5分前から黙とうを捧げた。
やがて時計がの針が9時を指すと、ベルが25回なった。それはノルデン神父いわく「25年というあまりにも短すぎる人生が奪われた」ということを示している。ベルが鳴っているあいだ、教会の内外に集まったたくさんの人々は静かに泣いた。
そしてノルデン神父は集まった人々に感謝し、ニュエンへの別れの祈りを捧げた。
教会の座席に空きはなく、遅れてきたものは後方や脇を埋めた。
今年のはじめイラクで解放されたオーストラリアの人質ダグラス・ウッドも参列したという。ウッド氏はずっとニュエンの命を助けるべきだと訴えていた。ノルデン神父はみんなにこう告げた。「我々はここに友として集まった。彼のことを、そして彼の家族を知っているものとして・・・そしてそれがこの悲劇のすべてだ」
彼はニュエンがタイの難民キャンプで生まれたことについて語った。そしてオーストラリアで過ごした彼の人生に祈りを捧げた。
「我々の祈りは彼とともにある。彼は大きな勇気と大きな信念をもって自身の運命をけさ迎えたのだ」
ノルデン神父はまた集まった人々にこの死刑の「真実」を理解するよう訴えた。
「キリスト教は人の命の尊厳を信じるので、人の命を奪う所業には反対する立場にある」
「人の命を奪っておいて人間の尊厳など唄えないことを我々は知っている」
全国規模の抗議
オーストラリアのいたるところの都市でニュエンの死を悼むために市民が集まった。そして麻薬密売人に対する強制的な死刑というシンガポールの政策に抗議した。
キャンベラでは何十という人々がシンガポールの高等弁務官事務所の外で黙とうを捧げた。
ニュエンの死の少し前、アムネスティ・インターナショナルの支持者やオーストラリアの緑の党の上院議員を含む50人ほどが抗議するために集まった。
「シンガポール、よくもそんなことを」「汝殺すべからず」「ベルが鳴り、私たちはみな傷つく」と書いた看板を持っているものもいた。
緑の党代表のボブ・ブラウンは人間性の最悪の部分が現れた忌まわしい時間だと話した。「人間としてのわれわれすべてを損なうものだ」
シドニーのマーティン・プレイスでは何百人という人がお辞儀をし、むせび泣き、お互いを抱きしめあうという悲惨な光景が見られた。
多くのものがニュエンの写真の下に黄色のガーベラを捧げた。
居合わせた多くの人は、慈悲の普遍的な象徴である黄色いリボンと黄色い花を身につけていた。多くのものが、ニュエンの命を助けろというすべての訴えを機械的に無視したシンガポールの政府を非難する嘆願書にサインした。
ホーバルトの聖マリー大聖堂にも小さいながら厳粛な人々が集まった。
参列者は祈りを捧げ、午前9時にさしかかるあたりでしのび泣いた。
1つの小学校の集団をくわえてそのほとんどがお年寄りであるグループは、ブライアン・ニコールズがカトリックの教典を読み上げるあいだ黙っていた。
シンガポールでは、新しく結成されたシンガポール死刑反対委員会が声明文を出し、ニュエンの死は「まったくもって遺憾であり、非難するものである」「彼の罪とは到底つりあわない非人道的で野蛮な死刑」であるとした。
アーティストや専門職の人も含むこの委員会のメンバーはチャンヒ刑務所の近くの24時間営業の歩道のカフェに集まった。
彼らはテラスのテーブルのろうそくに火をつけた。そのテーブルのうえにはニュエンの写真と同情の言葉が飾られている。
ろうそくは刑務所の門のところにも置かれた。そこでは外国や地元のジャーナリストたちがテレビの伝送用アンテナの横で野営していた。
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from THE AGE
http://www.theage.com.au/news/national/family-reclaims-nguyens-body/2005/12/01/1133422073898.html