女性管理職になることを夢見て宮崎から上京~セクハラ・パワハラ・イジメの中で【マイストーリー3】 | 脱SNS!リアル集客で月商100万円を目指すひとり起業のバイブル

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起業コンサルタントの宮脇小百合です。

 

 

 

 

 

5歳の頃から実家の商売のお手伝いをして、
短大卒業後、システム開発会社に就職するも
1年で入院をしてしまった私。

 

 

しかし、インストラクターになってからは、
毎日楽しく仕事をしていたのですが、

今度は、別の悩みで家に帰りたくない日々でした。

 

 

それは、【結婚】です!

 

 

もうすぐ25歳になろうとしているのに、
仕事ばかりしていて結婚に興味がない私を心配して
母は、見合い話しをもってきますが、断る、
また見合い話し・・・断る・・・を繰り返していました。

 

 

そうしている間に、なんと!!!
私の妹が結婚することが決まったのです。

 

 

22歳の妹が結婚をする・・・

 

 

そのことは、ショックというよりも

「これ実家を出るよい機会じゃないの?」なんて

悪いことを考えた私は、
これから先のことを考えることにしました。

 

 

その夜、ドラマを見ていたら
東京の素敵なオフィスで働く人たちがいて、
課長とか部長は男性、女性は一般職が殆どなんですよね。

 

「私、一部上場企業の女性管理職になりたい!」

とその時思いました。
(かなり無謀な大馬鹿ものでした(^^))

 

 

 

次の日から私は、夢に向かって行動するのですが、

あのパワーはどこから湧き出てきたのか?
今でも不思議でなりません。

 

 

行先は、東京・大阪・福岡の3か所で考えて
東京に決めました。

 

 

住むところは、どこに住んでいいのか?
さっぱりわからず、家具も家電も持っていないので、
とりあえず川崎駅近くのウィークリーマンションに決定。

 

 

仕事は、どんな仕事がよいかを見極めるため
派遣社員になって東京の一部上場企業に

まず働いてみるところから始めることに。

 

 

パソコンの知識があり、インストラクターができる
私の時給は、1時間1900円とかなり高く、
1ヶ月働く働くと30万円は超えることがわかりました。

 

 

東京へ行く準備は万端に整い、
会社に退職願いを出すと、

思った以上に引きとめがあって、

気持ちがグラグラしてしまいました。

 

 

しかし、そこは心を鬼にして退職を決めました。

 

 

 

初めて就職した会社、途中入院をしたことで、

プログラマーからインストラクターに変えてもらったことで
私がイキイキと働くことができた職場には
感謝しかありません。

 

 

順調、順調・・・と思っていたら、

そんなに人生甘いものではないですね。

 

 

家に帰ると両親が和室に来なさいと・・・
座るといきなり母親から頬を叩かれる。

 

 

「25歳で結婚して家を出るのだったいいけど、
知り合いのいない東京で仕事するって、何を考えているの」

というと、母は泣き始めた。

 

 

父は黙って、険しい顔をしていました。

 

 

しかし、私は両親の反対をする中、
東京へでてきて働くことにしたんです。

 

 

最初の1週間くらいは、
親元から離れて自由になったことが嬉しくて
何をやっても楽しかったのですが、

すぐにホームシックに。

 

 

でも、家に電話をかけたら負けてしまいそうで、
グッと我慢して仕事に集中することに。

 

 

1985年頃の会社というのは、
男尊女卑がはげしかったように思えました。

 

 

大事な仕事は男性、女性はサポート役や
若い女性はお茶くみ、掃除、電話・・・だけなんてことも。

 

 

その上、やたらとボディータッチをしながら、
「そろそろ結婚した方がいいんじゃない?」
「女は出世できないんだからね。」

なんて言葉をかけられる日々。

 

 

そんなことに負けるもんか~と頑張ると、
今度は、同じ女性の社員たちから
「あの人、男性と同じような働き方をして生意気よね」

「ランチや飲み会、何にも誘わないで仲間外れにしようよ」

と陰口をいわれて、私は孤立するように。

 

 

それでも出世できるんだったらいいのですが、
一流企業では【学歴】が重要であるという現実を
知りました。

 

 

宮崎の短大をでて、システム開発で5年働いただけの私が
いきなり東京で働くようになって
一部上場企業で管理職を目指すなんて・・・
無謀にもほどがありました。

 

 

今できることをやるしかないと
私は、キヤノン販売の営業事務からはじまり、
1年後には、宣伝・広報・販促を担当する企画部で
働くことができるようになります。

 

 

6000人の営業マンが商品が売れるようになるために
【プリンターバイブル】とうセールスマニュアルを

4年間ずっと作り続けて、

ポスター・チラシなどの制作物も担当をしました。

 

 

だけど、30歳になった時、リストラをされてしまったのです。

 

 

 

当時は、その理由がわかりませんでしたが、

後になって、私が周りの人とコミュニケーションが取れず

一人で頑張るところなどが問題だったのだと思います。

 

 

家に帰ると、ご飯を食べることもできないくらい
泣いて、泣いて、一晩中泣きました。

 

 

 

だけど、朝日が昇るころには、次の行動をしなければ・・・

に気持ちが切り替わっていたのです。

 

 

それは、生活をしなければならなかったから。

 

 

あんなに大きなこと言って宮崎をでてきたので、

実家に帰ることなんてできません。

 

 

頼れるような彼もいませんでしたしね(^^)

 

 

さぁ~転職活動しようと
リクルート雑誌をパラパラめくった時、
キラッと光りがあたるような会社があり、
その求人募集をみたら

 

 

 

五反田にある社員14人しかいない

【株式会社リンク】という会社でした。

 

 

コンピューターウイルス対策の商品を開発、販売していて
社長がスティーブ・チャンという外国人みたいで
英語が苦手な私でも大丈夫?と思ったのです。

 

 

これまでの大きなオフィスとは違い、
五反田の会社は小さな部屋で、
その上とてもキレイとは言えません。

 

 

やっぱり帰ろうかな・・・と思っていると、
スティーブ・チャンと、奥様でマーケティング責任者のジェニー・チャンが
2人で面接をしてくれました。

 

 

これまでの私の行ってきた仕事の話しをして、
私が、これから働くにあたり何を大切にしているのか?を
聞かれた時
「女性であっても、責任ある仕事をやらせてもらえる職場で働きたいです」
というと、

 

「それなら、私たちの会社はピッタリですね。思う存分働きなさい」
と、即採用が決まりました。

 

 

実は、株式会社リンクという会社は
半年もしないで『トレンドマイクロ株式会社』に
社名変更をしたのですが、
トレンドマイクロ株式会社は、26か国に拠点があったのです。

 

 

 

14人の小さな会社に転職したと思っていたのに、
日本のトレンドマイクロの創業メンバーとして
働くことになった私は、マーケティング担当をすることに。

 

 

もう人生どん底・・・と思っていたら、
「捨てる神あれば拾う神あり」とはこのことかと
身をもって体験をさせてもらいました。