起業コンサルタントの宮脇小百合です。
トレンドマイクロに入社して4年経った頃、
14人だった社員は、日本だけで200名近くになり
東証一部に上場をすることができました。
そして私は、マネージャーになりましたので、
34歳で【上場企業の女性管理職になる!】という
夢を叶えることができたのです!
25歳でその目標をかかげて宮崎からでてきて、
9年のかかってしまいましたが、
管理職の辞令をいただいた日は自宅に戻ると大泣きをして
嬉しい時にも涙が止まらないものなのだと思いました。
それからも、淡々と仕事を続ける日々でしたが、
ある晩母から、電話があり
「ねぇ、35歳以降になると奇形児が生まれる可能性が高いそうよ。
子どもを産むなら、もう時間がないわよ。結婚しなくてもいいから
子どもだけ産んでもいいのよ」
というのです。
気づいてみたら36歳。
当時、13歳年下の彼と付き合っていて、
年の差がありすぎるからどうしようか迷っていたのですが、
その話しをしたら結婚をしたいというのです。
えっ、こんなことがありなの?
悩んでいる間に私が妊娠をしてしまったことで、
もう結婚をするしかないでしょう・・・となりました。
女性管理職が妊娠をしたことがなかったので、
つわりの時も働くことを続けていたら、
流産しそうになってしまい、
私は妊娠4カ月目の頃に退職をすることに。
夫は、会社を続けることを良く思っていなかったので、
大喜びしていましたが、
私は、頑張って掴んだポジションを手放すことに
未練が残っていたんです。
それでも、初めての妊娠、出産に向けて
気持ちを入れ替えて準備をすることに。
会社に行かなくなってからは、
時間を持て余してしまって、
私は毎日何をして暮らしたらいいの?と
料理、手芸、マタニティヨガなどにチャレンジしました。
そうしている間に、同じ妊娠中のママ友ができて
検診の後にランチを食べたりすることも。
「これが主婦の楽しみというもの?」と、
こんな時間の使い方したことないので、
何もかもが新鮮でした。
私は、聖路加病院で長男を出産しました!
息子と出会うまでに15時間のかかりましたが、
産んでしまうとすごい痛みも忘れてしまう・・・
あれは本当だったのだと思うくらい、
赤ちゃんって本当にかわいい。
退院してからは、毎日が大変でした。
とにかく泣いて、泣いて、ずっと抱っこ。
沐浴させるのも一苦労。
だけど、寝がお可愛いし、見ているだけで幸せ。
会社辞めてよかったのかも・・・と
幸せを感じれるようになった頃、
また一大事が起きたのです。
それは、夫のリストラ。
赤ちゃんが産まれたばかりなのに、
夫も私も無職になるなんて・・・
それでも、「大丈夫だよ。一緒に転職先探そうね」と
夫を勇気づけて転職活動をしてもらうことに。
しかし、夫は30社の採用試験を受けるも
すべて不合格
お先真っ暗というのはこういうこと?と、
私の両親や姉妹、友達などにも相談できなくて、
毎日先が見えない状態で暮らしていました。
いやいや、こんな暗い顔して赤ちゃんと
暮らすのはダメでしょう。
私は、何か新しいことを始める時には
家を片付けるところから始めるのですが、
子どもが生まれてからは家が散らかり放題。
正直、ここでお金を使うことには不安はあるけれど
収納をプロにお願いしてみようと思い、
ディノスの雑誌に載っていた収納のプロに依頼をすることに。
それが、私のコンサルタントになるきっかけに
なるとは思いもしていませんでした。