才能をいかした仕事の見つけたを間違えると、病気になる可能性も・・・【マイストーリー2】 | 脱SNS!リアル集客で月商100万円を目指すひとり起業のバイブル

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起業コンサルタントの宮脇小百合です。

 

 

 

 

 

小さなころからビジネスが好きだった私。

 

 

しかし、短大卒業後に何を仕事にするかで
とても悩んでいました。

 

 

中学校で教育実習を行ったことで
中学校の教諭の資格を取ることができたので
流れに乗って教員になれる道がある。

 

 

だけど何かが違う・・・と
感じていたんです。

 

 

両親が「公務員になれば一生困らない」と
熱く語るものですから考えてはみたものの
情熱を傾けられる自信が持てませんでした。

 

 

「じゃあ、何がやりたいの?」という母に
 

「自動車整備工場を私がやるのはどうなのかな?」
というと、横から父が入ってきて、
「この自動車整備工場は、お父さん一人で終わりと決めている!」
とバッシリ断られてしまいました。

 

 

そのころ、宮崎で公務員の次に固い仕事は
【銀行員】でした。

 

 

私は、両親のススメもあり銀行の
採用試験を受けたんです。

 

 

結果は、不採用・・・

 

 

そんなに強く希望をしていなかったものの
初めて合否が分かれるものに落ちてしまい
その日は夜ご飯も食べずに部屋でずっと泣いてしまいました。

 

 

朝日が昇るのをみて、
私はこんなことしている場合じゃないと思い、
すぐに準備にとりかかりました。

 

 

それは、短大に届いている新規採用の募集ではなく
宮崎で会社として大きい、あるいは将来性がある会社に
電話をして採用試験を受けさせてほしいと連絡することでした。

 

 

「うちの会社、採用募集出していませんが
どうして連絡をしてきたのですか?」と
どの会社からも言われたくらいです。

 

 

でも、それはすごく効果があったようで、
殆どの会社が採用面談を行ってくださって、
私は4社から内定をいただくことができたのです。

 

 

銀行に採用が決まらない時は、
あんなに泣いたのに、2週間ほどで採用4社。

 

 

その時、自分にとって最悪なことに出会った時、

落ち込んでばかりいたら負のエネルギーに支配され、

次の幸せを受けとることができなくなるのでは?と。

 

 

幸せなものを手に入れるためには、

辛い現実と向き合うことが必要なこともあり、

それを乗り越えると、より自分が成長して
よいものを受け取れる・・・そんな体験でした。

 

 

私が入社を決めたのは、システム会社で
【プログラマー】という仕事。

 

 

なぜ、私がその職業を選んだのか?

 

 

それを聞かれると恥ずかしいのですが・・・

 

聞いたこともないカタカナ文字の職業で
ちょっと素敵じゃない~~という理由だったのです(笑)

 

 

短大では国文学を専攻していたので、
入社してから3ヶ月プログラマーとしての教育を受け
4ヶ月目から仕事がはじまりました。

 

 

いきなり、システム開発のために20人のチームで
出向をしてプログラミングを行うことに。

 

 

当時のプログラマーは、紙にロジックを書いて
コーディングをパソコンに入力していきます。

 

 

それぞれ一人一人が作ったプログラムを、
合わせて繋いでみると、上手く流れない時は
バグという間違ったところを探す作業をするのに
沢山の時間を要してしまう。

 

 

だから、朝8時から夜は10時は当たり前。

 

深夜に帰ることも多かったので、
仕事、食事、寝る・・・この繰り返しで1年

ガムシャラに働きました。

 

 

そんなある日、

朝、会社に行こうとすると左足が動かない。

 

 

ムリに動かそうとするとビリビリ痛みがでて
会社を休んで病院にいくことに。

 

 

1件目 原因わかりません

2件目 原因わかりません

3件目 原因わかりません

4件目 原因わかりません

5件目 入院をしましょう

 

 

宮崎の大きな病院で診てもらうと、
どこでも原因がわからず、
5つ目の病院から入院することを勧められたのです。

 

 

歩けなくなっていたので、
入院をするしかなく、
原因がわからないことで不安な毎日でした。

 

 

21歳にして今後は一生歩けない生活をするの?
一生懸命に働いてきただけなのに・・・
さすがの私も落ち込みました。

 

 

実は、その入院した時の話しには
隠された秘話がありまして、
「検査の結果、娘さんは白血病の可能性があります」
と、先生に両親は宣告されたそうなのです。

 

 

両親は、泣きながら自宅へ帰り、
妹たちもその話しを聞いて、
全員で泣きながら、カレーライスを食べた・・・と。
 

 

治療を続けている間に、
効果がでてきたのか、
足は完全に動きませんが、
だいぶラクになってきて3ヶ月後には退院。

 

 

足が動かなくなってから気づいたことですが、

手が動かせないことも不便かもしれませんが、
足の方が行動範囲が狭まり大変なのではないかと。

 

 

だから、足が自由に動けるようになったら
やりたいことがいっぱいあるんだけど、
いつになったら歩けるようになるかな?と
思って毎日を過ごしていたんです。

 

 

そんな時、母が

「小百合、西洋の医学がダメならば、東洋の治療はどうかしら?」
と、足の裏マッサージをしている石井先生に会いにいくことに。

 

 

そこで石井先生が、
「この足は、歩けるようになるから安心して」と
足を診てもらった時に、すぐに言ってくれたんです。

 

 

病院では、何度聞いても歩けるか歩けないかは
まだわからないだったので、

私は、飛び上がるくらいに嬉しかった。

 

 

それから週に1度は足の裏のマッサージを受けながら
石井先生と話していると
私は、仕事でストレスを感じていたのでは?と
気づくことができたのです。

 

 

プログラマーとして働いていく中で、
自分がコーディングが上手くできないと、
チームメンバーに迷惑をかけてしまう。

 

 

だから、夜遅くまで働いて頑張ろうとする。

 

 

どんなに努力をしても、ミスすることもあると、
周りの人たちに迷惑をかけてしまい、
納期が遅れてしまう。

 

 

そんな話しを男の先生に話しているうちに、
ムリをしながら仕事をしていたのかもしれない。

 

 

プログラマーでは私は能力を発揮することが

できなかったことを認めることができたのです。

 

 

休職していた会社に、
「プログラマーとして働くことができないので、辞めさせてください」
と伝えました。

 

 

そうしたら、

「宮脇さん、インストラクターとして働きませんか?」と
提案してくれたのです。

 

 

システム開発が行った後、そのシステムを使う時、

どのように活用していけばいいのか?
パソコンの使い方を教えたり、
教える時に必要なマニュアルを作ったりするのが仕事でした。

 

 

会社に復帰して1ヶ月もしない頃に、

奇跡的に足が動くようになったのです。

 

 

私は、一人で車を運転して顧客のところに行き、
マニュアルを使いながら、システムの使い方を説明し
喜んでもらえるように。

 

 

もう、毎日が幸せ過ぎて、
歩けるって最高! 
仕事ができて最高!だと
感謝する日々でした。

 

 

プログラマーという仕事が嫌いなわけではありません。

 

 

しかし、人には向き不向きがあり、

不向きな仕事をすることで、

精神的に追い込まれると身体に反応がでてくる・・・

それを身をもって体験してしまいました。

 

 

だから、私は一人一人が、

自分にあった仕事を選ぶことがどれだけ重要かを

知ってもらいたいし、伝えたいと思っています。