日本の随筆界において第一人者である
赤松愛子さんとお会いする機会に恵まれました!
赤松愛子さんはさるるごときではご紹介しきれない
様々な分野でご活躍されているレオナルド・ダビンチのような方ですので
(教育、行政、こどもの館の館長、その他の文化活動・・・・。)
ご紹介しきれないのが残念なところなのです。
去年、黒田官兵衛のお殿様である
【小寺政職のお墓探し】に奔走しましたが
歴史資料館、太子町立図書館、広坂のみなさんにも協力をお願いしましたが
ついに発見することができませんでした。
まさかの村のおばあちゃんと共同調査
石碑を読んだおばあちゃんから
「青山家からお嫁に行った人が教師になって地域の本を出した」と貴重な情報を得る!
最初の手がかりはこの記事だけでした。
とはいえ、さるる個人でどこまでできるか!?
しかしながら広坂の村で突撃訪問を何度も繰り返し
小寺家の子孫が住むという村に移動、さらに突撃訪問を繰り返し
ついに子孫の家を見つけることに成功し!!
実際にお会いすることにも成功!!
町立図書館でも職員さんが見つけられなかった情報
歴史の断片も一冊の本を発見することで
小寺政職のお墓探しが大きな転換を迎えることに!
小寺政職のお墓について書かれている本を
太子町立図書館で発見!
広坂の村のおばあちゃんが教えてくれた
青山家からお嫁に行った女性
太子町立図書館で見つけたこの本の作者
この女性は同一人物らしい!
ということはこの本の著者は赤松愛子さんとのこと。
歴史資料館も太子町立図書館も広坂の村の人々も知らない
小寺家の子孫も口を閉ざされる
であれば唯一、小寺政職のお墓の場所を知る人間は
【赤松愛子さん】のみ!
後にこの写真の女性が
赤松愛子さんだということが判明
それを知ったきっかけは
なんとkirameku26さんのコメントでした!
小寺政職のお墓を知る人は
広坂の村にも、公的な機関にも存在しなかった。
もはや真実を知る人は
【赤松愛子さん】ただひとり!!!
が、しかし
2014年時点で80代の赤松愛子さん
有名な方なので連絡先はすぐにわかったのですが
(それはそれですごい話!)
2022年時点で90代?お元気かどうかも不明だし
あまりに有名な人にアポをとることに躊躇したこともあり
【小寺政職のお墓の調査】は断念。
正直なところ、1枚の写真と
神戸新聞の記事からさるる個人でここまで辿り着けたら
大したもんだろうと満足した、満足するしかなかったともいえる。
当時はまだコロナ禍であり、さるるはともかく
赤松愛子さんは(おそらく)90代であろうから会いに行くというのは
ご時勢として遠慮するべきかと。
そこでこの物語は終わっていた……
はずだったのですが!
小寺政職のお墓探しから1年以上過ぎて
さるるのブログにコメントが!
【僥倖(ぎょうこう)】
思いがけない幸運。偶然に訪れた幸運。
僥倖
まさに僥倖という他ない
それ以外に形容が見当たらない
さるるのブログを見てくれた【sea-470さん】から
赤松愛子さんと繋いで頂けるとのこと!
なんということであろう!(感涙)
そして
赤松愛子さんと邂逅することに!
(つづけ!)
【再調査は必至!】