さっとんの読書感想文 -11ページ目

さっとんの読書感想文

タイトル通り、ワタクシ・さっとんの読書感想文。

『書評』よりも『読書感想文』。

そんな言葉の方がしっくりくる感じなのです。

時々映画の感想なども★

ブスのくせに!最終決定版 (集英社文庫)/姫野 カオルコ
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(閉鎖ブログ 2007.7.5投稿記事より)




タイトルに惹かれて衝動買いしたものの、

退屈な箇所もあり少し飛ばし読みしてしまいました。



が、それじゃあ話も前に進みませんので、

アタクシ個人的に目に止まった箇所・興味深かった点を挙げてみようと思います。






まず村上春樹氏の名小説 『ノルウェイの森』 に関する言及より。



『ヒロインの直子って少女はものすごく繊細で透明で純粋なんでしょう?

 ・・・そんなはかなげな少女が

 なんで「僕」とハイキングに行って白昼の原っぱで、手でしごけるんでしょうか?

 ・・・ハイキングっていうと、山をのぼったり歩いたりする、汗だくになる行動なのに

 ・・・なんでこの繊細な少女は、

 そんな、風呂にも入っておらずハイキングで汗だくになったペニスを

 太陽の下で堂々としごけるのでしょうか?

 事前はどこで手を洗ったのでしょうか?

 事後はどこで・・・ (略) 私には退いてしまう場面でした。

 ・・・純愛=歯を磨いてお風呂に入って髪を洗ってでないとセックスできないこと、

 と定義してたんで……』







私の感想。

エ ー ッ !? 目 

である。




まぁ私だってね。

オナヌーを覚えた頃、それを指南してくれた某少女雑誌に

『オナヌーの前には手を洗うこと』


・・・と書いてあったので、律儀に実行している乙女ではあるんですけどね。



でも『純愛=歯を磨いてお風呂に入って髪を洗ってでないとセックスできない』
は思いません。

汗の薫りが寧ろイイとか、ありませんか?

・・・というワタシの個人的シュミは別にしても、

『純愛=歯を磨いてお風呂に入って髪を洗ってでないとセックスできない』方が、

なーんかわざとらしい感じがしますけどね。



私だったら『お風呂に入って髪を洗って・・・』は愛してない身体だけの相手に求めますね。

好きな相手であれば相手の垢さえもが愛おしいのです。



ノルウェイ・・・に関しても、白昼、手を洗ったりとかの既成概念に捉われることなく

ストレートに「僕」を求めたという所に、

尚更直子の純朴さ?が顕れているような気が致します。








続いて目に止まったのが「右脳美人」。

何の事かと言えば、

「顔が整っている」美人と、「人から人気のある」美人の顔は一致しないという話。



もっと言えば、必ずしも「きれいな顔」が「好きな顔」とは限らないし、

「好きな顔」が「きれい」だとは限らないんである。



これには大いに頷けましたね。

「綺麗なんだけどね」印象に残らないキレイ顔って、ありませんか?

それに対して、

「もう少しココをこうすればキレイになるのに」その『ココ』が実はチャームポイントだったり。








それから「これこそイイ男!の地域別評価」という項にて。



関西でウケる部門別配分比率。

 【やさしさ】 【男っぽさ】 【おもしろい】


   3    対   4   対   3

なるほど。



続いて、この比率が関東では 3 対 6 対 1 らしい。



九州だと 1 対 8 対 1

広島だと 0 対 10 対 0  (!!)

東北だと 4 対 4 対 2   ・・・になるのらしい。



なるほど。



これにも納得するものがありましたね。

私個人的な好みになると、

九州の前に関西でも育っているせいか、面白さポイントはもう少し高めでもいいです。

逆に、以前東北出身の方とお付き合いしていた事もあり今だから言えるのですが、

東京以北の方々と話していると方言以外でも時々むずがゆーい感じになる事があるのも、

こういう地域的性格が関係しているのかもしれませんね。

歯が浮くっつーか、なんつーか、ね。









最後に。




『内面の美。 多くの女性が好むことば。


 多くの女性の気休めの手段となっていることば。』



コレ、凄いよく解ります。

結局美しいものには勝てないんですよ、特に女はね。

男が強い男には勝てないのと同じです。 言い切っちゃいます。

それが生物のしきたりです。






「私(俺)って、●●な子だからぁ~」 

自分をこんな風に形容する人をたまに見掛けますが、


こういう人って単に自分が「●●な子」に見られたいだけで、

じゃあ実際に周囲の人からどういう風に見られているのかというと、


大抵全く違うイメージだったりして。




さて、ワタクシ自分自身の事となると、

実は周りにイメージ決め付けられるのが物心ついたあたりから嫌いで、

わざと他人のイメージを覆してやることに骨身を削ろうとした時期がありました。

今でもそういう所あるんですが、ひねくれているんですかねぇw




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(閉鎖ブログ 2007.2.13投稿記事)



新しい本を求めて書店をウロウロしていた際に、

別に私には特別な第六感など無いのだが、

ただならぬオーラを感じて手に取り購入した一冊。



著者は、『OUT!』や『魂萌え』などで御馴染みの直木賞作家・桐野夏生氏。



圧巻です。

天才だと思いました。

女同士独特のドロドロしたものを、
こうも的確に描ける作家はそうそう居ないのでは無いかと思わされました。



せっかちな性格故か、長編が大の苦手な私。

読み始めると間延びして、延々と時間が掛かってしまう為、

滅多に上下編の長編には手を出さず、短編ばかり読んでいるのだが、

この作品は読み始めるとグイグイと引き寄せられ、

一週間足らずで読み終えてしまいました。



『東電OL殺人事件』に『オウム事件』を絡めたモチーフが元になっているらしいが、

これでもか、これでもかと世の中の様々な差別的要素をテーマとして投げかけてくる。

冒頭のユリコの姉の手記はなんとも退廃的耽美な味がして、

『泉鏡花文学賞受賞作品』というのも大いに頷ける。

とにかく圧倒される秀作。





正直、“誰にでも勧められる良作”とは違いますが、

“グロテスク”な毒が欲しい人にはオススメの一作です!

八月の路上に捨てる/伊藤 たかみ
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(閉鎖ブログ 2006.9.8投稿分より)





たぶん、『今っぽい』小説だと思う。



全体的に読みやすい文章なので、一瞬で読み終える事は出来ましたが、

読後の感想としては、


「へぇー、ふーん、だからナニ?







文章とか構成とかは巧いんだろう。

でも、そんな事は、一読者である私にとっちゃ、どうでもいい事なのよ。



良い小説だとか、良い本というのは、

読み終えた後に、

何か解らないけれど、ウワーッと突き抜けるような感動があるものだと私は思う。



そういう感動が、この作品では感じられなかった。





芥川の選評にて、選考委員の一人である村上龍氏が

『今回の候補作はどれもレベルが低く、

 小説や文学というものを「なぞっている」ような気がした』


とコメントしていた。



個人的に村上龍はキザなオッサンというイメージなので、

好みではないのだけれど、そのコメントには頷けるものがあった。

(同じ村上サンなら春樹サンですな)





『(後になって)鮮明に思い出すことの出来る作品がいかにも少ない』

とは、石原慎太郎氏。

嗚呼、そういう事だと、私も思った。





文学は、

ただインパクトがあればいいってモノでも無いし、

暗けりゃいいってものでも無いと思う。





インパクトだけなら、昼間のワイドショーにあふれてます。

小説より奇なりである筈の、その『事実』ですら、

もはや慣れてきてしまって、

どんなに残酷な事件でも、

インパクトのある事件でも、

本当は、もっとショックを受けても良いはずなのに、

もうどの事件がどれなんだか、麻痺して解らなくなってきている。

それは、私だけじゃないだろう。

世の中全体がそうなっているんじゃないかと思う。

最近は、『純愛モノ』だとか、そういうのが流行っているみたいですが、

やっぱり、皆、人間の美しい所を見たいんだろうなぁ・・・。





『今回の候補作品。内容を無視してシャッフルしてみると、

 登場するのは、心を病んだ人、物書き志望、あるいは売れない物書き、

 出版社勤務、がほとんどです。

 私は、やだなー、こんな人々だけで構成されている世界なんてさー、

 とうんざりしました。』


とは、山田詠美氏のコメントであるが、つまり、そういう事みたいだ。




ひざまずいて足をお舐め (新潮文庫)/山田 詠美
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(閉鎖ブログ記事 2006.9.6投稿分より)




人気作家・山田詠美(作中では主人公・ちか)を取り巻くアレコレを、


SMクラブの女王様・忍ネエサンの視点を通して描いた、半自伝小説。




発表された当時にしちゃあ衝撃的なタイトルだし、


山田詠美氏も超・売れっ子作家ですから、


この本については読まれた事のある方も多いのでは無いでしょうか?









山 田 詠 美。




かくいう私も10代の頃から大好きでした。


特に、当時の自分と同年代の主人公ばかりが登場する短編集『放課後の音符』なんか、


密かにバイブルでしたもんね。



余談ですが、私がいまだに、


カクテルを出すバーなんかに行くと、


ジントニックを頼む事が多いのも、


元はと言えば、短編集の中にある『クリスタルサイレンス』の影響だってくらい。




とにかく彼女の作品は、イヤってくらい何度も読み漁ったものでした。


よく彼女の作品を表現する時に、


黒人好きだとか、フリーセックスだとかが取り沙汰される事も多い様ですが、


私は、別に男はやっぱり国産が良いですし、


そんな事よりも、作品の中の空気が好きだった。


澄んでいて、それでいて、ちょっと切なくて、だけど前向きになれるような、


そういう感じが好きだった。







当然、この『ひざまずいて・・・』も読みましたし、好きでした。





成人してからは、ずっと読まずに本棚の肥やしと化していたのですが、


最近、ふと思い出してイッキ読みしてみたんですよね。





すると、新たな発見がイッパイ!!!





昔、読んだ時って、正直、当時の私にはイマイチよく解らない、


霧の奥でも見ているような感覚があった。


ただ、ボンヤリと、その醸し出す雰囲気にウットリしてたのかもしれない。


(私が夜の世界に入ったのも、結構影響されてると思う。
 ・・・勿論、それだけじゃあ無いけれど。)





しかし、今になってみると、よく解る事だらけだった。





華やかな半虚構の底にあるものっていうんですかね?


本質っていうんですかね?


そういうのが見えてきちゃってね・・・。



昔はソフトフォーカスだったモノが、


イッキにくっきり・はっきり、鮮明に見えたという感じで、


どのエピソードも、いちいち実感こめて頷けちゃうわけですよ。



時には切実に心の奥底まで迫ってきて涙ぐんだりもしちゃったわ。







で、私も少し歳喰ったんだねぇ、なぁんて思うと共に、


嗚呼、むちゃくちゃ影響受けてたんだなーと改めて実感。




愛する言葉/岡本 太郎
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(閉鎖ブログ 2006.9.6投稿記事)



天才芸術家・岡本太郎と、


そのパートナーとして公私に渡り約50年走った岡本敏子氏の


生前の『愛』に関する語録集。




で、突然ワタクシゴトになるのですが。


私は自分の恋人の事を『生きた芸術品』だと思っている。


別段、彼は芸術家では無い。 ごく一般の人だ。


通り過ぎるオナゴが一堂皆目がハートになるわけでもない。


まぁ、時々私一人でそういう錯覚を起こし、周囲の失笑を買う事もあるが。


そこは愛嬌という事でw


ただ、こんな不特定多数の人が見ている所で勝手に惚気る恥ずかしさは


他人のフリみて知ったので、ちょっと照れてしまうんですけどね。



彼は舞台の上で演じるひとで、私は観客なんだと、


以前、本人に話した事がある。


舞台は演者と観客が居て、ひとつになるように。



もしくは、仲の良い友人に、たまに彼の魅力を語る時に、


私は、彼を絵画に例えた事がある。


この絵が好き。


見たい。


見ていたい。


だから、見ているだけだと。




私の中では、やっと自分の感情を形容するに良い表現が見つかったと


清々しい気持ちで話すわけだが、


伝えられる側の大抵は、ピンと来ないのか、ポカーンとした感じで、


少々もどかしい気持ちも抱えていたのだけれど。。。。。




本屋でたまたま『岡本太郎』という芸術家に出会い、


そして、この本の中で『岡本敏子』という女性に出会い、


その喜びといったら他ならない。


私が言いたかった、その事が、ドンピシャに書かれているんですもの。




本自体は一ページに大きな文字で一言ずつ書いてあり、大変読み易い。


しかし、その一言一言は良い意味で重たく、


数ページ進める毎に涙が止まらなかった。




よく『恋愛は一人では出来ない』なんて言うけれど、


この本の中の言葉を借りれば『恋愛っていうのは必ず片思いなのね』


大変、的を得ている言葉だと思う。


それでも敏子は太郎を愛していたし、


太郎もまた、敏子を愛していたのだと感じる。




愛されるという事は、自分ひとりでどうこう出来るものでもないし、


他人の心の奥底については、自分では責任は持てない。


だけど、愛するという事は、自己の内面の静かなる闘いであり、


故に、責任も自分自身にのみ降りかかってくる。


だから、自分次第。


少し前に『一人遊び』なんて日記を書いたけれど、


あの日記では暗に


「自分自身に責任の持てないヤツに恋愛をする資格など持って欲しくない」


という事が言いたかった。




そんな偉そうな事を言いつつも、


私だってまだまだ未熟者ですし、


我が可愛いから、


傷つくのを恐れて不安になったりもするし、中々、敏子氏までの境地には至れない。




もしも私が敏子だったとしたら、辛いだろう、耐えられない事もあるだろう、


ここまで達観した恋愛は、やはり誰にでもは出来る芸当では無いと思う。




しかし、多分、きっと、私の中に敏子が居たように、


『敏子的なもの』は誰の心の中にでも居るのかもしれない。


『太郎的なもの』が皆の心に潜んでいるように。







あとがきの中に書かれていた敏子の言葉がある。


『わたくしほど幸せな女はいない。


 だって、あんなにステキな男の子とずっと一緒にいられたのよ。


 これって奇跡だと思わない?』


なんて、いとおしい女性なのだろうと、また再び涙が出た。


もしも彼女が近くに居れば、


人生の大先輩のオバアチャンなんだろうけれど、


ギュッとギュッと抱きしめたいような、そんな衝動に駆られた。


私は生前の彼女について、殆どまったく知らなかったけれども、


きっと、とってもチャーミングな女性だったんだろうなぁと思う。







九月です。


秋です。


良い季節になりましたね・・・・・。






岡本敏子氏の著書『恋愛芸術家』『奇跡』


今、読んでみたい作品です。






※現在視点※
・・・・・・まだ読んでねぇ。