長良川 大好き 釣り blog         -20ページ目

   古代への旅 8

          新しいフィールドを発見


 先日来調査していた畑は、ほぼ終了しましたので、今日は新しい場所を捜しました。


もちろん、個人の耕作している畑は承諾なく入れませんから、入っても良い場所です。


今日の場所はかっては畑として耕作されていたが今は国有地となっています。


この場所は以前から気になっていたところです。


少し捜すと、縄文土器のカケラや下呂石の破片が見つかりました。


のこされた破片を見ると表面の色が違っており、丸くなっています。


下呂付近から飛騨川と木曽川によって運ばれ表面が丸くなった川原石です。


完成した矢じりも一個見つかりましたが先端と元が折れていました。


長良川 大好き 釣り blog        



長良川 大好き 釣り blog        



長良川 大好き 釣り blog        


右下の矢じりの折れる前はこうだったでしょう。


長良川 大好き 釣り blog        


獲物をねらって放たれたが、的を外れて樹木に当り折れたのでしょうか?


彼はこの日 自宅に獲物を持って帰れたのでしょうか!


土器を使った人と矢じりを使った人は同じ年代でしょうか、縄文時代は1万年も


続いたと考えられています。   ロマンは更に広がっていきます。





   68年前の落し物

            各務原空襲


  市内の畑からは 石器も出てきますが、場所によってはこんな物も出てきます。


今日は先日 採集した、68年前の出来事を物語る物をご紹介します。


それは 鉄の破片です、今までに4個採集しました。


長良川 大好き 釣り blog        


長良川 大好き 釣り blog        


この 鉄片は68年前の昭和20年6月22日か26日に米軍爆撃機B29から投下された


500ポンド爆弾(およそ250kg)の弾体破片です、当時の陸軍飛行場及び軍関連施設


に投下されたものです。県内では当市のみ通常爆弾と焼夷弾で攻撃されました。


破片は広範囲にわたって飛んでいますから今でも 時々畑の中から見つかります。


爆撃を物語る貴重な証人です。


発見場所は下の写真の○の所でした(昭和23年米軍撮影から)


現鵜沼三ツ池町地内


長良川 大好き 釣り blog        

左側が陸軍飛行場(現航空自衛隊岐阜基地)で下に掩体壕の丸い土盛りも見える。


無蓋掩体壕は直撃弾では破壊されるが至近弾では破壊されにくと考えられていました。


この掩体壕は大きさから、飛燕戦闘機や五式戦ではなく複戦屠龍か四式重爆用と


思います。


飛燕と五式戦は幅が12mで長さが9m弱です、この写真の尺度から壕の幅は


もう二周りほど大きい。


飛行場や上の工場跡には戦後3年もたっているのに爆弾で出来たと思われる穴が


多数映っています。


現在は写真のほぼ中央に関、江南線が通っています。


          クリック→  各務原空襲



昭和20年6月 米軍戦闘機から発射された 12.7mm機関砲弾

不発弾として回収されたもの。

長良川 大好き 釣り blog        





   古代と現代の新発見

                 偶然に発見


    先日、新たに石器を見つけました。


何時もの、畑です、この石器は革などに穴を開ける時に使ったとされています。


残念ながら ツマミの部分が見つかりませんでした。


長良川 大好き 釣り blog        


長良川 大好き 釣り blog        


長良川 大好き 釣り blog        


長良川 大好き 釣り blog        


 石錐(イシキリ)です。 毛皮や木に穴を開ける時に使った考えられています。


使用されて、先端が丸くなっています。


今回の調査で見つけた最大の物はこの「防火水槽」です。



いままで 知られていませんでしたが偶然 民家の庭先で見つけて感動しました。


以前から 市内で先の対戦中に作られた遺跡について調査していました。


作られた日付が重要なのです。 20年5月とあります。


長良川 大好き 釣り blog        


この防火水槽は 68年前に作られました。米軍の焼夷弾攻撃から 生命や



財産を守ろうとした先代によって作られました。


井戸の近くに置かれて、水を張って有事にそなえていました。



作られてまもなくの、6月22日に市内はB29爆撃機の攻撃をうけて多くの方が



亡くなり、破壊されました。 同じ型の防火水槽は4個見つけました、近日中に



大戦末期におけるコンクリート構築物を研究している大学教授よって本格的に



調査されることになり、お手伝いすることになりました。


調査対象は、この水槽、飛行機格納用掩体壕、陸軍薬品庫、陸軍格納庫基礎


など複数個所に及びます。









   古代への旅 7

           雨が降って少ない表土が流れる


 今日は昨夜からの大雨で好条件でした。


この畑はすでに、本来の黒土は流れて少なくなっており、雨の後でも直ぐに


入ることができます。

3個発見しました


長良川 大好き 釣り blog        


長良川 大好き 釣り blog        


長良川 大好き 釣り blog        


 タイプの違う3個です


長良川 大好き 釣り blog        


長良川 大好き 釣り blog        


右側2個は下呂石で左側がチャート製です


今日は珍しい剥離片を見つけました


長良川 大好き 釣り blog        


 黒曜石と呼ばれている石です、この石はまるでガラスの様な石です。


この石で作った石器が市内で見つかっていますので、破片があると思っていました。


一番近い産地は長野県和田峠です、交易によってはるばる運ばれてきたのでしょう。


遠くまで運ばれたのは この石で作った石器はそれだけの価値があったのでしょう。


        黒曜石→クリック

   古代への旅 6

       縄文の神様が微笑む


 11日に調査した畑の、残り半分を調査に行きました。


この畑です


長良川 大好き 釣り blog        

あいかわらずたくさんの下呂石がありました。


長良川 大好き 釣り blog        

矢印は完成品の矢じりです。

このような状態で見つかります。


長良川 大好き 釣り blog        


多くの石があります


長良川 大好き 釣り blog        


矢じりは下呂石で出来ていました。


長良川 大好き 釣り blog        


長良川 大好き 釣り blog        


両方とも矢じりです、左側のは先端部分と下の半分が欠損しています。


左側の矢じりは使用感がなく、昨日の製品のように見えます。


とても数千年まえの作とは見えません。剥離片でもそのような感じの物が


ありました。


この畑は、縄文時代に 武器製造工場だった時期があり、またある時期は


狩の場所となった時期もあったもよう。縄文時代は一万年も続いたのです。


先日の丸い石器は半分の部分によって目的が違うらしい、特殊な矢じり、または


骨に穴を開けるキリとして使う矢じりで非常に珍しいそうです。


もう半分を見つけたいものです。


  15日早朝 散歩中に見つけた、赤いチャート製の矢じりです。錆びた鉄のようです。


偶然に発見しました。先端が折れて残念です。


非常に薄く作られており、高い工作技術がうかがわれます。

長良川 大好き 釣り blog        



長良川 大好き 釣り blog        



長良川 大好き 釣り blog        
















   古代への旅 5

          新しい場所を見つけました


 先日、隣りの町内の畑を覗いていると、地主が来て 昔はたくさん あったんですがと?


また○○さんですかとも!


私のことは 知っているらしい!


この畑は耕作していないから、入っても良いですよと。チョキ ありがたいことです。


そして本日、畑の半分を捜してみました。


長良川 大好き 釣り blog        

こんな感じの場所です。   たくさんの剥離片がみつかりました、全て下呂石です。


矢じりを製作途中で放棄された剥離片もあります。


とても数千年の時間がたっているとは思えない断片です。


長良川 大好き 釣り blog        

そして完成品もありました、チャート製矢じりです。


この畑にはチャートの剥離片は見つからないから、ここで石器を作った人物と


この矢じりで狩をした人物は違い、年代も離れているのでしょう。


長良川 大好き 釣り blog        



長良川 大好き 釣り blog        



長良川 大好き 釣り blog        


さらに 矢じりの尻尾のような石器が見つかりました、下に折れ口があります。


両側に加工したような跡もあります。


長良川 大好き 釣り blog        


長良川 大好き 釣り blog        


この尻尾のような石器はよく解りません、少し調べてみます。






   古代への旅 4

               20日の場所を再調査


    先日の耕作されていない畑を再調査に行きました。


なな~んと 縄文の神様が


長良川 大好き 釣り blog        


これだけ 見つかりました


長良川 大好き 釣り blog        


先日より大型の矢じりが見つかりました


長良川 大好き 釣り blog        


長良川 大好き 釣り blog        


この矢じりは製作された時はこんな形だったと思われます


尻尾の部分が折れています。


長良川 大好き 釣り blog        


 折れ口から見て現代になってから折れたようです。


材質はチャートです。


この畑は台地の辺地の一番高い場所だったと思われます.黒丸部分と下の畑との


高低さは10m以上あります。


長良川 大好き 釣り blog        


現代では斜面はおよそ45度ですが縄文時代は、ほとんどガケだったと思います。


ガケの縁に獲物を追い詰めて猟をしたのでしょうか?


剥離片の下呂石が作られた年代と矢じりが使われた年代は、かなり違っていたと


思います。


にわか考古学者です。





   古代への旅 3

       夕方 孫を算盤塾に送った帰りに以前から気になっていた場所を


見にいきました。台地の上の部分です。


長良川 大好き 釣り blog        


長良川 大好き 釣り blog        


予想どうり先日の大雨で表土が流れていました。この畑も耕作されておりません。


なーなんと 多くの下呂石 剥離片があちこちに しかも、仕上げまじかに剥離されたと


思う小さなカケラが


長良川 大好き 釣り blog        


少しの間に沢山見つかりました、完成品もあるかと思っていると


長良川 大好き 釣り blog        

見つかりました、しかも 高度な技術で作製されています。


表面の加工技術の高さに驚かされました。


両面で何回 剥離されたのでしょう。少しずつ、圧迫剥離を加えて加工されています。


芸術品のようです。 ボコボコの数だけ加工されています。


長良川 大好き 釣り blog        









長良川 大好き 釣り blog        


材質もあきらかに下呂石ではありません。


チャートなのか、四国で産出されるサヌカイトなのか、私には判別できません。


サヌカイトならビックリです、 \(゜□゜)/  



明日 学芸員に鑑定してもらいます。


  

   古代への旅 2

          再調査に行きました


 良い天気が続いて地面が乾燥してきたので、今朝は先日の畑の再調査に行きましたが


なにも発見できませんでした。  道路反対側の畑も立ち入り許可を頂いています。


こちらも耕作されておりません


長良川 大好き 釣り blog        


長良川 大好き 釣り blog        


 以前の調査から、こちらの確立は低くなっていますが


長良川 大好き 釣り blog        


 矢じりが発見できました、完成品ですが 完成度は高くありません


今日はこれだけの発見がありました。オモリ1個と矢じり1個です。


長良川 大好き 釣り blog        


 石錘は加工しやすい砂岩です  矢じりは全て下呂石です。


下呂石は岐阜県下呂温泉近くの山から産出します。


木曽川の流れや交易で運ばれたのでしょう。


表面が丸くなっている剥離片もあります。




   古代への旅 1

               石器探し


  大雨が降ったので 今朝は早起きして石器を探しに行きました。


この畑は地主さんから承諾を得て捜しています。


日が昇り始めた6時ごろからです


長良川 大好き 釣り blog        


条件が良かったがなかなか 目的の物がみつかりません。


中央部で紡錘(石のオモリ)を見つけました、魚網に使ったか織物に使ったかの確定は


されておりません。石の両端に人工的に付けられた窪みがあります。


長良川 大好き 釣り blog        


 間もなく終了と思われた時、ななーんと 縄文の神様が微笑んでくれました


長良川 大好き 釣り blog        

白い色のチャートで作った 大型矢じりです。


今日はこれだけ見つかりました、石錘4点、完成品1点、製作途中の物1点


長良川 大好き 釣り blog        

 矢じりは どんな動物を狙って 放たれたのでしょう  大型の矢じりですから


イノシシか鹿だったのでしょうか?  狩人はどんな人物だったのでしょう、自宅で


彼の帰りを待つ子供たちと奥さんは、何処で生活をしていたのでしょう。


この日、彼は獲物を持って帰れたのでしょうか?


 およそ4000年以上前の出来事です。場所は同じ空間ですが、時間が少し


違うだけ   ロマンがあるでしょう!!。



私はこの畑は縄文時代~弥生時代の長きにわたって、池かその周辺で 


水場だったのではないかと思っています。


水場に集まる動物や渡り鳥を狙って猟が行われていたのでしょう。


2キロ以内に複数の縄文時代の集落跡が確認されています。


繁栄と衰退を繰り返しながら、1万年以上にわたって生活が営まれていたと


考えられています。