68年前の落し物
各務原空襲
市内の畑からは 石器も出てきますが、場所によってはこんな物も出てきます。
今日は先日 採集した、68年前の出来事を物語る物をご紹介します。
それは 鉄の破片です、今までに4個採集しました。
この 鉄片は68年前の昭和20年6月22日か26日に米軍爆撃機B29から投下された
500ポンド爆弾(およそ250kg)の弾体破片です、当時の陸軍飛行場及び軍関連施設
に投下されたものです。県内では当市のみ通常爆弾と焼夷弾で攻撃されました。
破片は広範囲にわたって飛んでいますから今でも 時々畑の中から見つかります。
爆撃を物語る貴重な証人です。
発見場所は下の写真の○の所でした(昭和23年米軍撮影から)
現鵜沼三ツ池町地内
左側が陸軍飛行場(現航空自衛隊岐阜基地)で下に掩体壕の丸い土盛りも見える。
無蓋掩体壕は直撃弾では破壊されるが至近弾では破壊されにくと考えられていました。
この掩体壕は大きさから、飛燕戦闘機や五式戦ではなく複戦屠龍か四式重爆用と
思います。
飛燕と五式戦は幅が12mで長さが9m弱です、この写真の尺度から壕の幅は
もう二周りほど大きい。
飛行場や上の工場跡には戦後3年もたっているのに爆弾で出来たと思われる穴が
多数映っています。
現在は写真のほぼ中央に関、江南線が通っています。
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昭和20年6月 米軍戦闘機から発射された 12.7mm機関砲弾
不発弾として回収されたもの。



