【2023卯年】出雲大社ざんまい | サトの Web Log

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日々の記憶(忘れないために・・・!?)

まだ出雲大社の境内にいます。





本殿の内側の横に来ました。もちろん、お参りする際には、南側向きに建てられた本殿の正面(又は拝殿)からお参りするのですが、この出雲大社では、それとは別に本殿の西側からも参拝するようになっています。



これは、本殿の中の大国主(御祭神)が正面ではなく西側を向いて座っているという設定だからです。神在月(旧暦10月)には稲佐の浜に集まった八百万の神様達が出雲大社にやってきます。それをお迎えするために、大国主は稲佐の浜のある西側を向いて座っていると言われています。





この↓社は『天穂日(あめのほひ)』が祀られています。天穂日は天照(あまてらす)の子供ですが、出雲の国を天照に譲るように大国主に談判するためにやって来ました。



しかし、大国主と話をしているうちに意気投合してしまい、国を譲らせるどころか、この出雲の地に住み着いてしまいました。大国主の事が大変気に入ったようで、その後、出雲大社の祭事を取り仕切るようになったそうです。その子孫が出雲国造(いずもくにのみやつこ)の千家家です。つまり、この社は千家さんのご先祖の神様を祀っています。





こちら↓は『宮向宿禰(みやむきのすくね)』の社です。天穂日から十七代目の子孫です(※記録文書により異なる)。神様の子孫なので神様のはずですが、崇神天皇時代に実在した、初代出雲国造とされています。宿禰(すくね)とか宿儺(すくな)とかは、神の子孫と称えられる昔の豪族や役人などの称号として用いられていたようです。両面宿儺(りょうめんすくな)もそうですね。






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神楽殿にやってまいりました。立派なしめ縄です。有名な出雲大社の『大しめ縄』です。伊勢の神宮などとは左右が逆になっています。






近くで見ると、ものすごい迫力です。




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拝殿に戻って来ました。妻はこの近くの社務所で御朱印をもらっています。






空が青くなり始めたので、もう一度本殿へ。






昔の神殿の大柱が発掘された場所に柱の形のマーキングがされています。






帰り際、ムスビの御神像の前まで来ました。大国主が御霊を仰いでいます。






大国主は神仏習合で七福神の大黒天と同一視されていますが、この像を見る限り、私たちの知っている大黒様のイメージとは大分違いますね。






こちら↓は千家国造館です。千家さんのご自宅です。ここにもウサギの像がありますね。






後ろを見ると『祝ご結婚』と書かれています。



千家国麿さんと高円宮(大正天皇の孫)の娘、典子さんが結婚された時のお祝いですね。2014年に結婚されました。





こちら↓は出雲教です。南北朝時代に分裂した千家家と北島家の、北島家の方が明治時代に立ち上げた宗教です。






出雲大社と比べてしまうと、小さいですが、神社としては大きいです。






こちら↓は樹齢1000年と言われる大ムクノキです。おじいちゃんですね。






その先の社は『命主社(いのちぬしのやしろ)』です。正式名称は『神魂伊能知奴志神社』です。神産巣日(カミムスビ)という偉い神様が祀られています。大国主を助けた赤貝の神と蛤の神に、大国主の治療と看病を命じた神様です。






(つづく)