サトの Web Log

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日々の記憶(忘れないために・・・!?)

ウィーンのベルヴェデーレ宮殿を見学し終わって、まだ午前10時です。なんたって、8時前から見学は始めましたからねぇ。




午前中はウィーンの街を見学します。こちら↓は国会議事堂の前に建つアテナ(ミネルヴァ)の像です。ギリシャ神話ではアテナはゼウスの頭をかち割って、鎧を身につけて産まれてきたと言う凄い女神で、戦さの神様ですが、知恵の女神としても有名です。ローマ神話ではミネルヴァに該当します。国会議事堂だから知恵の神なんですね。



日本では神仏習合で例えば『神道の大国主』=『仏教の大黒天』みたいなマッチングが行われましたが、ヨーロッパでもギリシャ神話とローマ神話のマッチングが行われたのですね。まぁ、地域が近いので神話の出所はほぼ同じで、各キャラの名前や脚色が違っただけなのかも知れませんが。しかし、ギリシャ神話にしてもローマ神話にしても多神教なのに、よく一神教のキリスト教に乗り換えられましたよね。そこには越えられないハードルがあるような気がするのですが、何故か軽々と越えちゃったんですね。もっとも神々の昔話だけで、救いが無い神話を宗教と呼べるか?という話はありますが。基本的には宗教には救いがあるから信者になるんですもんね。 話が長くなりました。





こちら↓はウィーン自然史博物館です。ここは外観の見学だけです。






こちら↓はベルデン広場です。






こちら↓の馬はオイゲン公像で、馬の2本足+尻尾で立っています。






こちら↓のカール大公像の馬は2本足で立っています。重心を後ろ足の真上にするために、馬の前半身とカール大公の体の中身は空洞で、馬の後半身にはブロンズがぎっしり詰まっています。



この像の作者アントン・フェルンコルンは、最初2本足の像を作って、皇帝からすごく褒められました。爵位ももらったそうです。その後「もう一度後ろ足だけで立つ凄いクオリティのを作って!」と言われ、凄いプレッシャーで精神を病み、脳卒中で倒れてしまいました。そんなこんなで、結局尻尾も含めた3点支持でしっかり支える形式にしたそうです。だから、後から作った方はなんだか尻尾が長すぎる感じがします。





王宮の中庭まで来ました。フランツ1世の像が建っています。






こちら↓は王宮の建物の入り口(ミヒャエル門)に建っているヘラクレスの像です。ギリシャ神話の彫刻を置くのが流行ってましたからね。






こちら↓は王宮のメインエントランスであるミヒャエル門の内部ドームです。かなりの大空間です。『シシィ』博物館の入り口もあります。シシィは絶世の美女だった悲劇の皇妃エリザベートの愛称です。



エリザベートの愛称がエリーじゃ無くてシシィなのは、そう言うものなのだと思うしかありません。MLBのLAドジャースのエリンケ・ヘルナンデスの愛称がキケなのと一緒で、そう決まっているからだと考えるのが良いです。





これも王宮入り口のヘラクレス像です。ヘラクレスのさまざまな場面が描かれています。






こちら↓は1990年頃の広場改修の際に偶然出てきちゃった古代ローマ時代の遺跡だそうです。






こちら↓は近代建築の先駆者アドルフ・ロースの建てたロースハウスです。「なんだ、普通のビルじゃん」と思いますが、装飾ゴテゴテだった当時に、ほとんど装飾の無いビルを建てたのが画期的だったようです。ロースは「装飾は悪」という思想の持ち主だったそうです。



窓の庇もレリーフも何も無いこの建物は、建設当時、めちゃくちゃ評判が悪くて、一時は建設差し止めの命令が出たり、「眉毛のない醜悪な家」とか言われたり、散々だったようです。





王宮のミヒャエル門が見えますね。






繁華街を抜けてシュテファン大聖堂方面に向かいます。






大分人が出てきましたね。11:30くらいです。お昼が近付いてきたからかな?






観光馬車も走ってました。






ペスト記念柱(三位一体像)です。深刻なペスト(黒死病)の流行の収束を記念して、皇帝レオポルト1世が建てたものです。下の方では醜いペストが天使か何かに突き落とされています。



ひざまずいて神に祈りを捧げるレオポルト1世も彫刻されています。上の方は父(神)と子(イエス)と聖霊で、三位一体です。





この↓写真の上段側がレオポルト1世で、下段側が天使に突き落とされてるペストです。この像が建てられるきっかけとなった1679年の流行では、ウィーンの市民の1/3に当たる10万人が死んだと言われています。1350年頃の流行では市民の2/3が犠牲になったそうです。1/3しか生き残らなかったって、凄まじいですね。



1929年に抗生物質(ペニシリン)が発見されるまで、ペストは人間にとって恐怖の対象だったのでしょうね。


1894年、我らが千円札の顔『北里柴三郎』が世界で初めてペスト菌を発見しました。北里柴三郎はペスト菌を媒介するネズミを減らすために、各家庭に猫を飼う事を推奨しました。だから日本の家には昔はどこでも『たま』が居たんです。今は動物愛護団体が野良猫の避妊手術を進めた結果、都市部での猫が減り、繁華街ではネズミが増えています。





シュテファン大聖堂にきました。昨夜も個人で来ましたね。






観光客がたくさん来ていますね。モーツァルトが結婚式を挙げた教会としても有名です。






帽子を脱いで、中に入ります。1€のロウソクを灯している人が沢山います。






荘厳なカトリックの教会です。プロテスタントの教会には無い聖人像などもあります。






金ピカじゃないのが良いですね。






観光客多い。






こちら↓は昔の皇室御用達の『SLUKA』というお菓子屋さん。ザッハトルテなどを売ってますが、店内でも食べられます。自由行動の時間に休憩するには良いとガイドさんが言っていました。



さてさて、ツアーはここで一旦解散です。今日の夜はツアーでクラシックコンサートを聴きに行くので、それまでの間は自由行動です。





こちら↓は『ドンナーの泉』。






解散になって、早速お昼ご飯を食べに行きます。妻が調べておいたこちら↓のお店でお昼ご飯にします。






1902年創業の『トシェシニエフスキ』というオープンサンドウィッチのお店です。ポスターにはドイツ語で『言葉で言い表せないほど美味しいブルートヒェン/サンドイッチ』と書かれています。






このように、ショーケースに並んでいるオープンサンドを指差して選んで行きます。






注文は簡単。もちろん店員さんにお勧めを聞くこともできます。






私は、この↓3つを選びました。






妻は白ワイン(ダブル)、私はビールを頼みました。



とても美味しかったです。ご馳走様でした。





(つづく)

ちょっと前の話しですが、とても大切な人の最高の結婚式がありました。




結婚式と披露宴、素晴らしかったです。






黄色と青の飾り付けです。フェルメール色ですね。






さてさて、披露宴会場の席には席札のかわりにお手紙が。いやー、泣けますな。妻も隣の席で手紙を読んで泣いていました。






スパークリングワインで乾杯した後は、終始白ワインを飲んでおりました。さすがに今日は公共交通機関で来ております。






食事の前に、新郎新婦からのアミューズです。






『旬を迎えた茸のマリアージュ 〜甘エビ 鴨 柿〜』『海老のカダイフ巻き マルタデラのアンクルート』『本鮪の黒米握り オレンジのムース』です。美味しいです。






『米茄子の鴨炊き 合鴨ロースの醬油煮 葱の香り』米茄子最高!






カナダ産オマール海老の西京味噌焼き ミックスリーフ添え』オマール海老も美味しいですねぇ。






『国産牛サーロインステーキ 大徳寺納豆を使った自家製豆鼓 山葵』これも美味しいです。この素晴らしい披露宴は何を食べても美味しいです。






『焼き蟹味噌ご飯のお茶漬け』です。ホッとする味です。






デザートも美味しい。お腹いっぱいです。






素晴らしい結婚式、呼んでいただいてありがとうございました。

8月頭の中欧旅行。今はオーストリアのウィーンにいます。今日はベルヴェデーレ宮殿の見学などをします。目玉はクリムトの絵です。




インターコンチネンタルホテルで朝を迎えました。






朝食モリモリ。






食べ過ぎないように気をつけます。






あれ?焼きそばもありましたね。






ベルヴェデーレ宮殿に到着。まだ朝の8:00前です。なぜこんな早くに見学するかというと『宮殿貸し切り』だからです!CMで『ルーブル美術館貸し切り』とかやってますが、これと同じようなもので開館前や閉館後に1〜2時間程度、特定のツアーだけ入れるという事です。






この宮殿は、オスマン帝国軍の包囲からウィーンを救った国の英雄、サヴォイア家のオイゲン公(ハプスブルク家に雇われた天才将軍)が18世紀初頭に自身の「夏の離宮」として建設させました。オーストリアは一度もオスマン帝国に支配された事がありません。






オイゲン公はフランスのルイ14世に自分を売り込みましたが、断られたのでオーストリアに亡命してこちらで大将軍になったと言う変わり種です。後にルイ14世はオイゲン公率いるオーストリア軍に完膚なきまでに叩きのめされて、大変後悔したという事です。






この宮殿、『のだめカンタービレ』↓で千秋がジョギングしてたところですね。





スフィンクスの像があります。スフィンクスはエジプト発祥で、ギリシャ神話に取り込まれてヨーロッパに伝わりました。エジプトのスフィンクスは男性の顔ですが、ギリシャ神話のスフィンクスは女性の顔にライオンの身体、鷲の翼です。



18世紀頃のヨーロッパの貴族の間では、ギリシャ神話の像を置く事が流行していました。





このスフィンクス、胸を触るとまたウィーンを訪れる事ができるというジンクスがあるそうです、胸だけ色が変わっちゃってますが、私はジェントルマンなので触りませんでした。なんだか悲しそうな顔をしてますね。






宮殿内部に入りました。ガイドさんが「この柱を支える人の像はトルコ人で、オスマン帝国を追い払ったオイゲン公がトルコ人を懲らしめるために宮殿を支える労働を課した」と説明していましたが、AIのGeminiに聞いたら「アトラス(もしくはヘラクレス)」と言い、同じくAIのChatGPTに聞いたら「アトラス」と答えました。どちらが正しいのでしょうか?



まぁ、アトラスとかヘラクレスと言うなら、ギリシャ神話的には納得のいく話しですが。アトラスは神々の戦争に負けた後、ゼウスに罰として天を支える仕事を課されましたし、ヘラクレスはアトラスにお願いして『世界の端にある金の林檎』を取って来てもらう間、代わりに天を支えていた事があるので。

※ 私は、ヘラクレスではなくて鈴木亮平じゃないの?って思います。彼なら宮殿の天井くらい余裕で支えそうです。





朝8:00ちょっと前に宮殿に入りましたが、まだ掃除機をかけている係の人とかいました。



宮殿内の大理石の間です。天上画が素晴らしいです。それにしても、ずっと上を向いて絵を描くのはメチャクチャ大変だと思います。



窓の上枠から天井の最高部分まで1m程度しかありませんが、天井が飛び抜けて高く見えるようなトリックアートになっています。





窓の外にはバルコニーがあります。このバルコニーは1955年、オーストリア国家条約に調印して、国民に独立国としてのオーストリアの復活を宣言したバルコニーです。






第二次世界大戦で日本と同じように敗戦国となったオーストリア(当時はドイツに併合されていた)は、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の戦勝4カ国に分割統治されていました。ソ連による統治地域は、過酷だったそうです。ガイドさんは「日本はアメリカ1カ国に占領されて幸せだった」と言っていました。



粘り強い交渉の末、『永世中立国』となる事を条件にオーストリアは国として独立する事を認められました。なので、オーストリアはアメリカ寄りの西側でも、ソ連寄りの東側でもない国になりました。なので、ソ連が崩壊した現在でもEUには加盟していますが、NATOには加盟していません。





この↓絵はハンス・マカルトの連作です。人間の五感を表す絵で、これはそのうちの2枚です。左が『聴覚』で右が『視覚』です。左は耳に手を当てていて、右は手鏡を覗いています。






こちら↓も同じくハンス・マカルトの絵です。女性の絵が得意な作家です。特に衣装の質感の表現が評価されているそうです。






そして、いよいよグスタフ・クリムトの絵です。この↓絵は『ユディトI』という題の絵で、クリムトが金箔を使い始めた初期の絵です。ユディトという女性の故郷の町が、敵であるホロフェルネス将軍率いる大軍に包囲され、滅亡の危機に瀕していました。そこでユディトは美しく着飾り、敵の陣地へと単身潜入します。将軍を美色で惑わして泥酔させ、彼が眠った隙に首を切り落として見事町を救ったというストーリーです。



将軍の生首が右下に半分だけ描かれていますが、クリムトは女性だけ描きたくて男性は別に描きたくないのだとガイドさんは説明していました。これまでユディトは清純な女性として描かれていましたが、クリムトは恍惚感に浸る表情のユディトを描いている点が新しい点です。





こちら↓はクロード・モネの絵です。人物画は珍しいかな?






こちら↓が フィンセント・ファン・ゴッホ の『オーヴェル近くの麦畑』です。ゴッホの最終末期の作品です。ゴッホはオランダに行った時に沢山観ましたね。上野でも『夜のカフェテラス』を観ました。



うねる様な線描画がゴッホの精神面を表している気がします。オランダに行くまでは、あまりゴッホは理解できていませんでしたが、かなり良さがわかる様になって来ました。





こちら↓が最大の目玉、クリムトの『接吻』です。クリムトの黄金期(金箔を多用した時期)の最高傑作です。






『男性が女性に接吻して、女性はうっとりした表情をしている』という作品ですが、緑と花が咲き乱れる崖っぷちに立っています。『愛の絶頂』と『死への恐怖』を表していると言われています。



男性の衣装の柄は四角柄で『男性らしさ』、女性の衣装の柄は丸く『女性らしさ』を表していると言われています。男性の顔が見えていないのは「クリムトは男性の顔など描きたくは無かった」とガイドさんが言っていました。金箔の素晴らしさはまた後で。





こちら↓はクリムトの『アダムとイヴ』です。まだ未完成のうちにクリムトは亡くなってしまいました。まだイヴの両手首やアダムの下半身とかはちゃんと描かれていませんし、背景ももっと手を入れるつもりだったかも知れません。






これ↓はクリムトの『咲き誇るポピー』です。クリムトは風景画も沢山描いています。妻はこの緑シリーズが気に入った様です。






これ↓はクリムトの『ソーニャ・クニップスの肖像』です。正方形のキャンバスが特徴的です。






この絵はクリムトの『フリッツァ・リードラーの肖像』です。



この絵は、下↓のディエゴ・ベラスケスが描いた『マリア・テレサ王女の肖像』に強い影響を受けていると言われています。大きく広がったドレスの構図や頭の後ろの飾りや窓などの形が大きく影響を受けた点だと言われています。


※ この絵はウィーン美術史美術館に展示されています。





こちら↓はクリムトの『花嫁』という未完の作品です。見ての通り明らかな描きかけなのですが、描く手順がよくわかりますね。






この絵もまだまだ未完成の会です。身体の部分はほとんど描けてません。だからこそクリムトの絵の描き方などがよくわかる作品です。『アマリー・ツッカーカンドルの肖像』というタイトルです。



先ほど出てきた『ユディトI』↓という絵の女性と顔が似てますね。クリムトの好みの顔だったのでしょうか?







妻の好きな緑シリーズです↓。クリムトの正方形の風景画の傑作群です。アッター湖のカンマー城を描いた物です。緑のなかにいろいろな色を散りばめて、あえて平面的に描いたのが特徴です。






これ↓はクロード・モネの『ジヴェルニーのモネの庭の小道』という作品です。モネは『光の画家』と呼ばれ、光をどう描くかを探求した事で知られています。私は風景画はモネの方が好きです。






これ↓はジャック=ルイ・ダヴィッドの『サン=ベルナール峠を越えるナポレオン』という題名の絵です。ナポレオンがプロパガンダのために描かせた絵ですが、本当は馬ではなくロバに乗って峠を越えたというお話です。



オーストリアを散々苦しめた末に、最後はオーストリアをリーダーとするイギリス、プロイセンとの連合軍に敗れて失脚したナポレオンを英雄視する絵が、この宮殿に展示されていると言うのは皮肉な話ですね。

※ しかもオーストリアは進軍したけど、先にイギリスとプロセインが頑張ったので、戦いに間に合わなかったと言うオチまでついて!





これは、先ほどの騙し絵(トリックアート)の天井です。ここから見ると、窓枠の上は殆ど高さが無いことがわかります。






この↓シャンデリアは、最初から電球(電気)を使う事を考慮して作られた物だそうです。19世紀の終わりですから、比較的新しい物ですね。






この↓絵はクリムトの弟子、エゴン・シーレの作品で『家族』です。クリムトの弟子だから正方形なのでしょうか。最初は『うずくまる男女』というタイトルだったそうですが、この作品のあまりに切ない背景を思った周囲の人々によって改名されたそうです。



シーレ自身と彼の奥さんと子供が描かれていますが、この子供はまだ産まれていなくて、奥さんのお腹の中にいました。つまり、未来の自分たち家族の姿を想像して描かれた絵です。この絵が完成に近づいたある日、奥さんはスペイン風邪(インフルエンザ)で亡くなってしまいます。つまり、この子供も産まれてくることはありませんでした。その3日後看病していたシーレも感染して亡くなります。あと少しのところで、この『家族』は未完となってしまいました。





宮殿の庭が見えます。上から見た方がよく見えますね。






さて、貸切の時間が終わりました。先ほど見たクリムトの『接吻』の絵の部屋にいってみると。。。 なんと言うことでしょうか、全く絵に近づけません!貸し切りの偉大さよ!






それでも近づいて、もう一度絵を観ました。この金箔の使い方の繊細さ!美術の教科書ではわかりません。実際に見てみないとわからないものですね。はっきり言ってクリムトは単に金ピカ、ギラギラのはで好きなだけの画家かと思ってました。ごめんなさい。実物見たら本当に凄かった。



着衣の柄に合わせて、まるで織り柄のように金箔に繊細な凹凸を付けて貼ってあります。愛と死というテーマからも、クリムトにとってこの金箔は無くてはならない物だったのでしょう。ゴッホやフェルメールの筆使いなどを見ても思いましたが、絵は実物を見ないと全くわかりませんね。





ベルヴェデーレ宮殿の見学はこれで終わりです。博物館のような、美術館のような、素晴らしい宮殿でした。






(つづく)