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♯001 測量技師アンティーク三脚

すっかり影の薄くなっているピンボケ雑貨のsica productsですが

相変わらず店内のあちらこちらで出会いを待っております。

7点だけに値札を付けて売るともなく店内展示中でしたが、

ブログで紹介する機会がなかったので、今回することに。



まずは♯001 測量技師アンティーク三脚


ものは言い様ですが、


こんなものを欲しがる方が万が一いたら、素敵すぎます。


こういう無駄なものに価値を持って、趣味空間にさりげに置ける方、


そんな方にお譲りしたいものです。


making satalaf
実際に現場で使用されていたであろう傷あり。
making satalaf             

            ¥120,000 (ランプ付き)


¥12,000のつもりで値札を書いたら桁を間違えたのでそのままです。

値切っていただければそこまで下げれます!


興味を持っていただける方はご来店またはご連絡を。

→afilmof@yahoo.co.jp

 第 3 章 へ

と、いうわけで無事帰ってきてしまいましたので昨日からsatalafは第3章へ突入しました。


沖縄色をおちこちににじませております。


メニューも大幅に加わっております。


現地で仕入れた黒糖を使った「黒糖ラテ \500」

ジャスミン茶を沖縄ではこう言います「さんぴん茶 \350」

そして何よりおそらくめったに飲むことはないであろう

国内で沖縄と小笠原の数箇所でしか栽培されていない(栽培できない)国産のコーヒーを

仕入れてまいりました。コーヒー農園をこの目で見て、その場で味わった上で仕入れてきたものです。

一日に焙煎する量が非常にわずかで、入手できたのも少しだけです。

お早めにどうぞ。「国産コーヒー \500」 


ものすごくちょうどいい感じに焼きあがった「ベイクドチーズケーキ \280」や

最初の一口にほんのり沖縄を感じる「黒糖香る昔プリン \350」もオススメです。



また、沖縄から持ち帰った「オキナワ旅のカケラ」も店内展示中です。

ささ、先日のブログに隠された?キーワードを覚えてsatalafへ。

お土産は数に限りがありますので、ご注意を~。



いま、改めて「あなたが飛び立つ、滑走路」的な場所になれるべくちばります。

2009/4/16 現在地

17:45機内に乗り込む。窓側の僕のとなり二席は空いている。FAが「本日はお席に余裕がございますので、よろしければどうぞ」と空いた席を案内してまわっていた。空は灰色に戻っていてゆっくり動き始めた滑走路の上はすこし湿っているようだった。もう少し、もう少しだけ、と飛び上がるべく加速する機体を地面に押し付けるような僕の気持ちをあっさり振り払い離陸した機体は煙のような雲を切り、左に大きく旋回した。航空写真を見ているような糸満の景色とボブがあっという間に描くような雲を眼下にしながら上昇を続ける。


いま不思議な光景を見ている。うすく、でも上も下もすべておおった雲の奥から光の丸が見える。夕日と呼ぶには黄色が強くて、雲がその光を含んで陽の輪郭をぼやかす。機長の丁寧なアナウンスのあと、光の丸は上半分になっていて輪郭はまだぼやけている。下の方にある雲が先に朱を帯びてきてそれが読谷あたりで見た畑の赤土に似ている。ほとんど見えなくなった太陽は有り余った光を横に広げ線をひく。そのことが雲と空の境をわからせた。


少ししてから一瞬だけ、 太陽とこの窓を結ぶ線上にさえぎる雲がいなくなり、それはそれは紅い太陽を見たのでした。最後までいい演出をしてくれるもんだと誰かの意思をそこに感じて、示す先のないありがとうを思った。


僕の持っているものは何だろうか。無理にまとったり、装飾したりせずに、素に持っているものは。それ以上はもはや持つ必要ないのかもしれない。「足りてない」と思うようなことなどやっぱりなくて、今あるもので勝負しよう。勝負といっても決して「競う」的な意味ではなくて「出し切る」という意味で。具体的な言葉で表現できそうなものではないけれどこれで行こう。そう思った。


日の暮れて

照明の少し落とされた

機内の窓から

写そうと

カメラを向ける

夜空と翼の手前で

そんな僕がガラスの中にいた


同じ空は二度とないように僕もまた変わっていくのだろうけど、あの日ずっと持って生きたいと心にしまったものは、今もちゃんとここにあって、相変わらず大事に持って生きている。それが無駄だなんていつしか言うような自分の影なんてこの上空で捨てていく。時速700kmで地球の表面を滑る今、確かな現在地を確認したような気がして僕の旅は終わった。





2009/4/16 忘れ去られた南部 

南部の海岸沿いを行く。海を180度見渡せる高台の喫茶店のデッキ席から眺める海は、浜からかなり遠いところで波が砕け、白波がたっている。内地の人工的に沈められたテトラポットにあたって砕ける波と違って、リーフにあたってたつ白波はやわらかく横に広がり淡い線をひいていた。


くだけた波の行き着く先を見たくて、滑り止めのためか凹凸のついた急な坂を下りる。幹線道路に出る手前でこちらに曲がってきたレンタカーからははしゃいだ声が聞こえた。恩納や読谷とは違い、南部は観光客もまばらだったからこの日始めてみた彼女たちはなんだか場違いに見えてしまった。今日、帰るとはいえ夕方の便には時間の余裕がまだまだまだある。ゆっくり時間をかけて空港方面へ行くつもりでいたが、ナビを半径50mほどの詳細画面にして見ていたため、気付いたときにはだいぶ那覇に近付いてしまっていた。


何か取りこぼしたような気になって戻るのも違う気がして、予定より大幅に早くレンタカーを返却する。一旦、空港へ行き、荷物を置いてチケットを行きと同様に窓側で確保する。なんだかんだで乗る機会のなかったゆいレールに乗り、国際通りへ出た。ありきたりの観光ルートを突っ切ると本当の沖縄が現れた。もはや観光客などいなくて匂いも独特で、おじぃやおばぁの会話など理解できなくて、風変わりなお菓子もどれもアジアを感じさせた。


17:55の出発がリアルになってきて、空港へ戻った。お昼に行ったときよりもこの時間はやはり帰路につく観光客が増えていて、空港内はどこもにぎやかだった。ここからまたそれぞれ別々のどこかへ飛んでいく。天候の影響か一部の便では出発遅延のアナウンスがあったが、それを嫌に感じている人はいないように見えた。ここにとどまりたい気持ちと帰ってブログや日記に書ききれないエピソードを早く誰かに話したい気持ちとを抱えたまま搭乗ゲートのベンチへ腰掛ける。



2009/4/15 旅はデフラグ

このままでは明日、帰ることになる。そんなわかっていたはずの日程も最終日前夜になると思わず覆したくなる。もちろんそんなことはしないのだけど…いつか書いた。沖縄は人だ、と。よりたくさんの人とコミュニケーションとることも楽しいけれど、一度きりではお互いそれきりになりそうで、もう一度初日に飲んだ二人のお母さんの店に行く。奇跡的に晴れたことへのお礼を言いたかったのと、島らっきょの味が忘れられなかったのと理由を2つかかえて階段をのぼる。店内にいたお客さんがちょうど帰るところで、二人とゆっくり話ができた。沖縄へまた帰ってくる場所も理由も同時にできた気がした。

1人なのに妙に広い部屋を用意されたことをいいことに、使わない隣のベッドに荷物をぶちまけ、思い出もいっぱい広げて日記を書こう。そんなことを考えて部屋に着いたものの、死んだように眠ってしまった。

2009/4/15 夜明け 鮮明

何度目かに目を覚ました時、空が白んできたことに朝を知る。まだ高い位置に残る白い月が今日は青くなりそうな空にポツンとあった。昨日夕暮れに訪れた砂浜をもう一度訪れる。人は誰もいない。海は青い。風は徐々にあたたかくなり、僕はゆっくり歩いた。遠くにはあの時と同じく島が見え、波はちょうどそちらの方向からやさしく押し寄せた。しばらくたって、近所なのだろうか、おばぁが一人やってきて軽くストレッチをして最後に海に向かって手を合わせそそくさと帰っていった。毎朝の光景を目の当たりにした気がした。


本島の東側は、あまり訪れる機会がなく、今日はそれをしようと決めた。名護から西側にわたり、そして南下する。西側のひたすら海沿いの58号線とは違い、こちらは海辺に近づいたり遠ざかったりで、アップダウンもはげしい。気が向くままに車をとめ、とあるビーチに立ち寄る。もう日はかなり高くなっていて、白い砂浜はまぶしくてよく見れなかった。右側に漁港が見えて、俗に言う海人がいた。船はやはりエメラルドの海にあって、海底こそ見えないものの、船が浮かんでいるという当たり前の事実を見るには充分澄んでた。海と砂浜を眺める小さな公園の、屋根のついたベンチで、コーヒーを淹れる。ひとり旅するコーヒーは、昨日仕入れたコーヒー豆と持参したキャンプ用コンロ、キャンプ用ドリッパーで淹れる。


一休みのあと、南下を続けると強い日差しに照らされた木々の本土にはないくらいの緑と、ハビスカスの赤、琉球民家のオレンジの屋根と、空の青、海のエメラルド、砂浜の白。鮮明だった。













お土産キーワード: うみないび

2009/4/14 再訪

この日の企みがすべてすみ、時間を楽しみながらゆっくり走る。とあるローソンの駐車場に外国人バックパッカーがヒッチハイクをしているのが目に入った。先日の初めての外人さん客の来店のこともあって、ニコル風の彼を乗せたいと思った。しかし、彼は反対車線にいて、僕も泊まることをためらってしまった。まぁしょうがないと思いながらしばらく車を走らせて、けっこう進んだことろで、でもやっぱり気になって引き返した。もし、まだ彼がいるなら乗せようと。車内でつたない英語のシミュレーション。いくつかの質問が思い浮かんで、ことのほか早く沈黙が生まれただろうことに気付く。と、ローソンにはもう彼の姿はなく、少し安堵してしまうビビリな自分。


今晩の宿場を考えつつ、まだ時間のありそうな日暮れまでをビーチロックヴィレッジに乗り込むことを思いつく。ナビなんかではもちろん見つからなくて、文字での道案内を頼りに目指す。不安の域を超えるほどの山道を引き返したい気持ちすら抱えながら進む。どうにかたどり着くと、イメージよりかなり山奥深い立地にイメージ通りのスタッフ、それっぽい客。テンション高めにコミュニケート。で、バンゲとファーと知り合う。しゃっくりのぎりぎり出ない範囲の辛さのレッドカレー。オーガニックのアイスコーヒーを流し込みながら騙しだましたいらげる。バンゲとファーに「じゃ、鳥取で!」と別れを告げて、日の暮れきらないうちに山をおりようと急ぐ。


あそこへ行こう。11年ぶり。事前に聞いていたリゾート化の波は目も当てられなかったが、ビーチは当時を思い出すには充分だった。日も落ちて、浜も海もトーンを落としていたけれど、当時の僕と並んでそれを眺めた。

今日はもう宿を探す余力はなく、スーパーの駐車場で車中泊。時間はまだ早いが心地よい疲れからの眠気。ぱたりと寝入る。どれくらい眠っただろうかと時計を見ると2時間もたっておらず、思えばこちらに着てからの流れる時間は相当にゆっくりで・・・ 。 少し目が覚めて日記を書きなぐる。ある程度ペンを走らせたあと再びシートを倒して眠る。

2009/4/14 北上

雨でした。お母さん。那覇を抜け出し北へ。通勤で込み合う58号線で名護まで上がり、先日のLIVE satalafのゲスト、バンバンバザールが教えてくれた沖縄そば屋「丸隆そば」へ。1948年開業。その自家製麺は那覇で食べたそれより平べったく、そして太かった。道中左側に見た海は雨のせいか遠くは黒ずんでいたものの、砂浜の近くはやはりどうしてか内地にはないエメラルドをしていた。


左右を陸に囲まれて小さなサンゴの島がいくつも点在するラグーンを尻目に、この旅最大の目的へと山道へ入る。前にも後ろにも車はなく一人、車を走らせること30分。あせた青色の軽トラに追いつく。自転車でも追いつけそうなそのスピードに、あえて合わせることで沖縄を感じようとした。しばらくして後ろからもう1台車が追いついてきて、さすがによけた軽トラを僕も抜かして先へ急ぐ。目的のコーヒー農園にたどり着くと、スタッフの方が傘をさして出迎えてくれた。コーヒーを1杯ゆっくりゆっくり口に運んでいるとさきほどの軽トラが目の前を横切った。なかなか見れないというコーヒーの花を見せてもらい、今年の豆は上々だという話も聞かせてもらった。気がつくと雨はあがっていて、2種類ある豆を買ったあとで振り返ると一瞬、日が差した。彼らが大事に育てているというコーヒーの木。1日にわずかな量だけを丁寧に焙煎して、袋につめる。きっとこのコーヒーはこれまで出したどのコーヒーよりあったかくてやさしい味がするはずだ。


農園をあとにすると国頭郡のジャングル道をさらにあがる。ヤンバルクイナとびだし注意の看板が大袈裟に言うわけでもなく30mおきにある。人間などあきらかにアウェーなここはまさに亜熱帯。沖縄県最北端は辺戸岬。この場所は沖縄の海の中でも荒々しい雰囲気の表情を持っている。南の海を期待してまず最初にここへ来てはきっとがっかりするだろう。が、かつてここから向こうは日本という別の国があった。と琉球の純血の子孫はそう言うのかもしれない。日本としての歴史より、琉球王朝としての歴史は明らかに長く、異国情緒あふれる周りの景色からではなく、人々の表情や所作からそれを感じた。沖縄の観光客は増えているという。内地(本州)から沖縄にやってきて飲食店を開く人も多いと聞いた。はっきり言って彼らの店には興味がない。そこにいかなくてもほかである。東京やそこかしこに。・・・とここまで書きなぐっておいて、自分の首を絞めていることに気付く。長野からやってきて鳥取で・・・。全力で言い訳をすると、僕は鳥取に根ざしています。いや、根ざしたいと思っている。しかし彼らは根ざしていない。いいとこどり。那覇ではそれが顕著だ。手付かずの国頭郡は単調な景色(といっても雄大なのだが)で、つい余計なことを考えてしまう。




2009/4/13 フライト、上陸

1時間前の13番搭乗口はまだ人もまばらで、世代は高めだった。昨日のJFL第5節 バードで観た対戦相手-FC琉球の選手たちとまさかの同じ便。おせじにもガラのいいとは言えない選手たちが目の前のベンチに座っていた。時間の経過とともににわかに人の増えるロビー。沖縄へ帰る-という人よりこれから沖縄を訪れる-という人が恐らく多いのだろう。出発が近づくにつれ、沖縄の方と思しき人が増えてきて、その相変わらずの時間感覚にすこしニヤけた。


飛行機はさきほどデッキで見たそれとは違い、ほぼ満席の割りになんだか軽そうに、ふわりと離陸した。20分後、高知上空を行く機体は高度10,363m(34,000フィート)、対地時速774km/hで飛行していた。離陸中は薄い雲の中、揺れがはげしかったものの、それももはやおさまり上空に抜けた感じだった。青が白の上にずっと広がる。機体はさらに上昇し高度11,470m(35,000フィート)でベルト着用サインはようやく消えた。時に雲の薄い部分から陸地が見える。九州のどこかだろうか。どうやらあと1時間も飛ばないらしい。ものたりないくらい短い気がしてしまうのは、当時の出発地-羽田ではないからだろうか。


沖縄上空にさしかかり、こちらはやはり雲で、予報を知った上でもやんわり期待していた自分がもはやあきらめた。しかし空港に降りると思っていたほどじめじめしておらず、実際そうだったのか、それともいい加減慣れただけなのかわからなかった。レンタカーを借り迷わずナビにオキナワワールドなんて観光地を入力したのは、この時期ほかでは見られないエイサーを観るためだった。2005年7月に宜野湾で見たそれが頭から離れずにいた。だがようやく観れるはずのエイサーはいわゆる観光地のよくある公演のうちの一つで、あまり期待はできなかった。


そんなスタンスだったから、いざエイサーが始まると彼らの表情に驚かされてしまった。それはサービス精神からでも、つくろっている感じでもなかった。愛県心のとりわけ強い沖縄人をわかっていたつもりだけど、こちらの理解していたレベルははるかに超えている。毎日4回公演。観客こそ違えど、踊り子はきっと同じメンバー。で、あの表情。なんなんだろう。考えられない。だって生き生きしているもの。彼らをそうさせるエイサーにもっと興味がわいて、いずれ踊ることになると思った。


那覇に入り、ホテルに車を置き、チェックインも済ませた上で、スコールのような雨の中、食事にでかける。まずはとにかく腹になるもの。国際通りのわき道のどらえもんなる宮古そばの店に入る。愛想のなさそうなおばぁが一人。出てきたソーキそばをたいらげるころには客は僕だけになっていて、「雨だねぇ」とスルーされるのを覚悟の上でおばぁに声かける。と、ギャップのある笑顔で「昼過ぎから降り始めたさ。昨日まではいいお天気だったのにねぇ」と返してくれる。帰りぎわ、僕の背負ったカメラに気付くと、「写真はだめだねぇ、この雨じゃ」と言って見送ってくれた。


ビルの二階の琉球古民家、うみないび ではお母さん二人と語る。片方のお母さんは鳥取話で盛り上がり、隙をみて台所から出てきたもう一人は結婚話で語った。島らっきょうはたぶん他のが食べれなくなるほど癖になる味だった。また来ることを約束して店を後にした。 まだ8時前だった。ホテルへの帰りがけ、沖縄感のない、内地のそれに似たバーに立ち寄る。2つ無人の椅子をはさんで公務員だというお姉さん(こう呼ぶと怒る)としゃべる。沖縄暦半年ほどのマスターに勝手な優越感を覚えつつ、あいさつ代わりにsatalafのカードを差し出す。それにはマスター見習いも食いついてきて、来鳥する際は寄ってください、と言って別れた。鴨のスモークがうまかったこのバーはなんて名前だったけな。


ホテルに戻るやいなや電気もつけっぱなしで寝てしまう。深夜に目が覚めると外の雨はもうずいぶん前にあがったようで、静かな夜だった。居酒屋のお母さんが「天気予報は予報だからさ。明日、晴れるよう祈っておくから」と言ってくれたのを思い出した。明日は晴れるかもしれない。

2009/4/13 フライト前

予定よりもかなり前に目が覚めてしまう。昨夜、そぎ落とした荷物はやはりかなり小さくまとまって身軽でよい。バスで軽く眠り、降りた少路駅からの伊丹空港はあっけないほどすぐ着いた。団体ツアーにありがちな通路側席を覚悟しつつも係りの人に尋ねてみると窓側席にかえてくれるという。出発の3時間近くも前に着いたことでおそらく一番乗りだったのが功を奏したみたいだ。こちら(伊丹)は晴れといっていい申し分のない天気だが、あちらはどうだろうか。


予報は日程中ほぼすべて雨。か、曇り。湿度もかなり高いようだ。伊丹の展望デッキに人はまばらで、出張風のサラリーマンを除いては旅に出るような人は少なそうだった。目の前で飛び立ったJAL機は少し重たそうに見え、月曜の今日、仕事で利用する乗客の姿が浮かんだ。


駅とはまた異なる。行き先の大きく違う人々がここにはいて、そしてどこかへ消えていく。それぞれ別々の場所へ。さっきまで2つ隣のベンチにいたおじいさんはいつの間にかいなくなっていた。空港が職場の売店スタッフらしき女性2人が自分の乗るはずもない機体を眺めるともなく眺め、そして足早に立ち去った。就活中らしき女性は目の前で離陸する機体には目もくべず,待機中の機体の中に自分が乗るべきひとつを探しているようだった。   飛び立つにはちょうどいい。そんな日だと思った。


その角度、大丈夫なのだろうか。小型機のそれは見ているこちらが心配になるほどだったが中は意外と普通なのだろうか。


油断した。出発まで2時間も残して、まだ訪れるべき場所についてもいずに、満たされた気分になってしまいそうだ。


これから沖縄に行くのだという事実。それを示す手元のチケット。目の前でひっきりなしに飛び立つ飛行機。そのことがもう大半の旅を体現していた。