一撃筆殺仕事人:佐高信先生追っかけブログ -124ページ目

ネットラジオで赤木智弘氏、武田徹氏が佐高信さんを語る。

深夜のシマネコ、東天王ヨブというHNを使っていた、(現在も使っているか)赤木智弘さん が論座4月号で「丸山真男をひっぱたきたい」という小論を書かれてかなり話題になったことがありました。

就職氷河期に学生であった人たちの中には派遣社員、フリーターとしての生活から抜け出すことが難しく、社会、企業の底辺としての扱いを受けている労働者がかなり存在する。その代表者として赤木氏は「希望は戦争」という副題をつけて、この社会状況を流動化させるためには「戦争でもおこるしかない」と結論づけて、「丸山真男」に代表されるような知識人層も社会と同じく若年フリーター、派遣社員層を何も省みてはくれなかったのであるということへの抗議を「ひっぱたきたい」と表現しました。

丸山真男をひっぱたきたい。
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama.html


これに対して佐高信氏は論座の次の号で斎藤貴男氏、福島瑞穂氏、森達也氏ら6人とともに、このように応答したということです。

誰かをどうしても「ひっぱたきたい」なら、やはり、自分の横っ面を思いっきりひっぱたくことだ。あるいは、イラクに行って、戦争をその身で体験するしかない。/ この若者の「希望は、戦争」を読んでいて不思議でならないのは、戦争によって自分が死ぬということを考えているように見えることである。
http://asahina-kyouko.air-nifty.com/kabu/2007/04/post_617e.html

社会学者の萱野稔人(かやのとしひと)氏がこの応答に考察をされています。
http://blog.yomone.jp/kayano/2007/03/post_98c7.html

確かに佐高氏の以前からの姿勢として、社蓄という言葉を使った企業批判つまりは日本的経営批判につながってくる、企業の労働者に対する扱いや経営者の企業私物化の批判を行ってきました。
その佐高氏の「鋭い舌鋒」によって「溜飲を下げる」人たちの中には派遣労働者、フリーターは入っていませんでした。
つまりは「正社員は「社蓄」であるとしても生存することができる。派遣と社蓄のどちらかを選べといわれたら、よろこんで社蓄を選ぶ」、赤木氏の佐高さんをはじめとする知識人に対する違和感にはそんな心情も影響を与えていると思います。

赤木さんの再応答
けっきょく、「自己責任」ですか。
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html


佐高信さんも雨宮処凛さんと対談を行って赤木氏を論じています。
赤木氏がひっぱ叩かなければならないのは「丸山真男」でなく「小泉、竹中、安倍」でなければならないと。

死ぬのはやつらださんや、かくぼんの日々さんはそれでも違和感が残ると論じていらっしゃいます。
http://yaplog.jp/kakubon/archive/329

さて、このほどジャーナリストの武田徹氏と赤木氏、粥川準二氏の三人が登場するネットラジオJcast、第8回で3氏が約20分、佐高信氏を語っています。
http://www.journalism.jp/podcasts/2007/08/post_9.html

武田氏は佐高氏の「石原莞爾、その虚飾」に著書の「偽満洲国論」が引用されたり、「100人のバカ」を評価したりしている人で佐高氏と割と近い存在であるようです。
武田氏は「佐高さんは丸山真男を直接知る世代だから、知識人としての象徴として2時的資料で赤木論文で使われた丸山氏批判に反応が大きかったのかもしれない」として、(実際佐高氏は丸山氏の講義を盗聴している)「赤木君一緒にやろうと、言う意味じゃないかな。」と。
赤木氏は雨宮さんと佐高さんの対談を読んで、「なんで直接、俺と話しないかな」として佐高氏は「生きていること」の重要性をとくが、それは現在の労働者階層の固定化を結果として招いているのではないかと、論じています。

興味深い鼎談で、最後は武田氏は「佐高さんと相対するには日垣氏の佐高氏批判も参考になる」(笑)と結んでいるところがおもしろいです。
関心のある方はお聞きされることを勧めます。

07年8月28日 東京スポーツ「毒筆啓上」

東京スポーツ「毒筆啓上」今月のテーマは8月4日に行われた「過労死をなくそう!龍基金」の中島富雄賞授賞式 の話題でした。

すかいらーくでファミリーレストラン店長を務めていた中島富雄さんが48歳で過労死されたのが2004年8月15日、未亡人の晴香さんは過労死をなくすことが中嶋さんへの供養として会社から獲得した3000万円を拠出して中嶋さんがあこがれていた龍にちなんで「龍基金」を設立し、がんばっている。
3年経ったいまも晴香さんは中嶋さんの夢を見て目がさめなければいいと思うことがあるという。
そして今年第1回の中島富雄賞が過労死110番全国ネットワークに送られた。
佐高氏は「過労死を生む日本の会社」として記念講演を行ったが2004年9月13日に過労自殺した43歳の建設関連会社の営業所長の妻当ての遺書を最初に引用した。

岸宣仁の「職場砂漠」(朝日新書)に言及されている。
くしゃくしゃの紙に鉛筆で


「怒られるのも 言い訳するのも疲れました。

 自分の能力のなさにあきれました。
 申し訳ありません。
洋子へ
 決して労災などで訴えないでくれ
 ごめん」


(佐高氏注 同僚の名前を列記したあとで 力のない上司で申し訳ない。)


「決して労災など訴えないでくれ」とはなんという愛社心か、会社は決してその思いに課するような報い方はしていないのに自殺に追い込まれている。
片思いをしているわけである。こういう片思いが過労死をゼロにしないのである。妻の洋子は泣き寝入りしなかった。女性のほうが片寄った愛社心などから自由である。
愛社心のみならず愛国心もまた、悲しいほど片思いなのだ。


過労死問題、過労自殺問題の深刻さははたして日本人に特有の「責任感意識」にあるのでしょうか。ここは日本人論としての考察が必要となるでしょう。


さて、最後に唐突に愛国心の問題が出てきます。ここで思うのは過労死の問題それを解決するためには、行政の力や法律の力が必要になってきますね。それはすなわち権力、国家の存在が必要となってくるのではないかと。

ただ愛国心は怪しからん、といっていて良いのかと。

愛されるような国(統治機構を含めた)にしなければならない、といわなければいけないのではと。
たとえば石橋湛山も「権利ばかりでなく国家に対する義務が大切である。」と言うようなことを言っていたと聞きます。


愛社心から愛国心批判にすぐさま関連させるのはいかがなものかと思うのですが。

そして佐高さん、過労死110番全国ネットワークの幹事長が川人博弁護士である ということを避けていてはいけませんよ。

川人博氏が佐高氏を筆刀両断
http://ameblo.jp/sataka/entry-10037935114.html

こちらのブログ では先月高野山での研修会のことが触れられています。
佐高さんと川人弁護士のニアーミス はなかったようですが。

http://blogs.yahoo.co.jp/gosuzuki2000/50614459.html


岸 宣仁
職場砂漠 働きすぎの時代の悲劇(朝日新書 58) (朝日新書 58)

佐高信さん、康夫ちゃんと一緒に川田龍平議員に忠告?

民主党が大躍進を遂げた先の参議院議員選挙、東京選挙区では薬害エイズ被害者でHIV感染を実名で公表したことで有名な川田龍平氏が当選しました。

川田氏は薬害エイズ事件での被告としての運動のほかに「人権アクティビスト」としてマイノリティの為の人権活動、反戦運動に従事されてきましたことは周知の事実です。

10年以上前には佐高さんと「さらばおまかせ民主主義」という岩波のブックレットやNHK教育の番組で対談されたような覚えがあります。

そんな川田氏に同じように参議院議員選挙で当選した新党日本の田中康夫議員が、議長選挙および議場での会話について小言のようなことを自身のサイトで発表されたことがいくつかのブログ上でも話題になりました。

副議長に関しては、白紙状態で臨んでいました。が、考え倦ねている間に、隣席の糸数慶子女史も、前席の川田龍平氏も、にゃんと、山東昭子女史の名前を記し終えているではありませんか。
 ねえねえ、抵抗感を抱かないの、川田君に尋ねると、そう言われてますから、と事も無げに答えます。1票だけ白票だと、“造反者”探しが始まりますよ、と周囲の議員に“説得”された僕は、未だ忸怩たる思いです。
 山東女史は、知らない仲ではありません。評価すべき点もあります。が、与野党が攻防を繰り広げる場なのに、大政翼賛の如き投票行為に誰も疑問を抱かぬとは。
(中略)
更には川田君が議場で後ろを振り向いて、ゴルフを教えて下さい、と横峯パパに弟子入りを申し出たのにもビックリしました。プチブル政治家に堕落したか、と「週刊金曜日」の佐高信チェンチェイに批判されちゃうよ、と茶々を入れると彼は真顔で、政治の深い話はゴルフ場で行われるんですよ、と僕を諭してくれて、いやはや、仰け反りそうになりました。
 とまれ、なれ合いの府を良識の府へと戻すべく、田中康夫が引っかき回すべき事柄はワンサカ有りそうですなぁ。
http://www.love-nippon.com/4_kikai.htm#82

死ぬのはやつらださんのブログ。
http://anarchist.seesaa.net/article/50936842.html
北海道に住む研究者の日常ブログさん
http://ameblo.jp/sakekun/entry-10043595281.html
とわいらいとぞーんからの手紙さん
http://d.hatena.ne.jp/fuzzy_space/20070826
ば○こう○ちの納得いかないコーナーさん
http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/22a09faf2e9ecb794b3c91c09c2a2d9e


佐高さん、どういうわけだか康夫ちゃんにチェンチェイ扱い、(ちなみにチェンチェイというのはもちろん先生のことで、主として東京ペログリ日記でその人に対するおちょくりを含んで、康夫ちゃんが批判的なコンテキストでつける「敬称」です。
大学の偉い先生とか保守派によくつかわれます。

http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=RNWE,RNWE:2005-12,RNWE:ja&q=site:spa%2Efusosha%2Eco%2Ejp+%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%A4

ペログリ日記でつかわれているのは北川正恭チェンチェイ、猪瀬直樹チェンチェイ、小坂憲次チェンチェイ、世耕弘成チェンチェイなど、あれ康夫ちゃんは佐高さんを彼らと同種の人間と見なすようになったのかな?と思い佐高信さんの反応に注目していましたところ、早速先週の週刊金曜日の編集後記「金曜日から」で佐高さんは答えました。

▼8月9日付の『日刊ゲンダイ』に田中康夫がこんなコラムを書いている。題して「おかしな、おかしな参議院のこの光景」。議長および副議長選挙についての違和感を吐露した田中は、こうつづける。

「更には川田(龍平)君が議場で後ろを振り向いて、ゴルフを教えて下さい、と横峯パパに弟子入りを申し出たのにもビックリしました。プチブル政治家に堕落したか、と『週刊金曜日』の佐高信チェンチェイに批判されちゃうよ、と茶々を入れると、彼は真顔で、政治の深い話はゴルフ場で行われるんですよ、と僕を諭してくれて、いやはや、仰け反りそうになりました」

 これが事実とすれば、ゴルフをやらない私は「政治の深い話」を知らないことになる。

 一般に、政党や組織から離れることが「正しさ」や「清さ」の証明と思っている人がいるが、私はそれには賛成できない。背負うべき荷物を外して旅に出かけるような気がするからである。ちなみに、私がゴルフをやらないのは、プチブル云々ではなく、時間がないからに過ぎない。(佐高信)
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/kin_pt?v=vol667


佐高さん、康夫議員のチェンチェイ扱いは不問に処すようです。(笑い)しかしながら川田議員のゴルフ談義にはやっぱりやんわりと忠告。
そして問題は次からです。「政党や組織から離れることが『正しさ』や『清さ』の証明と思っている人がいるが、私はそれには賛成できない。」
これはどういった意味なのでしょうか。無所属で東京選挙区で出馬した川田議員に対しての批判なのでしょうか?
 たしかに今回の参院選では佐高さんは東京で社民党の杉浦ひとみ候補、大阪で服部亮一候補、沖縄で比例区の山内徳信さんの応援者として駆け回られました。以前からの社民党支持を鮮明にしています。東京では杉浦候補と川田氏は戦ったわけですから、無党派層を取り込むことに成功した川田氏に対しては複雑な思いであるのかもしれません。
ここで指摘したいのは、佐高さんは滋賀県知事選での無党派知事、嘉田由紀子さんのことは高く評価されていたことです。(嘉田知事はまるっきり無党派というわけでもなく全党派に支持、推薦依頼をしたと聞きましたが)
 そして、最近は作家の宮本輝氏のことを「主人(学会)持ちの作家、ブローカー」として罵倒されていたことも思い出されます。
 これらの佐高さんの姿勢と今回の言葉は整合性を持つものではありません。ちょっと困惑させられるような言葉ですね。

私の川田龍平議員についての印象を述べますと、絽の紋付袴の和装で最初の登院をされたところなどは「なかなかの政治家だな。」と思いました。議員で和服となるとツルネン・マルテイ氏か靖国参拝のときの小泉前首相しか覚えがありません。つまり左翼が批判的になってやまないナショナリズムを当然意識するということになります。
一見マイノリティ擁護で左翼的に見える川田氏ですが、これは意外としたたかに伸びていくのかもしれないと思いました。無党派の強みというのがここで出てくるかもしれません。
ゴルフ云々での話は別にいいじゃないかとも思います。康夫氏のブログに書いてあることが事実であるとしても、どちらかといえば清く正しく美しいふりをしている人間よりも、その俗物性を表現できる人のほうが何か正直のようにおもいます。(だいたい、田中康夫氏がそうであったではありませんか)

川田議員、久喜市議会議員のいのまた和雄さんによれば、件の言葉は「冗談、雑談」のたぐいで、「言葉は恐い」という感想を持たれたようですね。
http://tomoni.blog.ocn.ne.jp/blog/2007/08/post_9644.html

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佐高信の「異議ありの思想」ザ・ベスト連載 「年金問題の核心を突く」

皆さんは ザ・ベストという雑誌をご存知でしょうか?この雑誌で佐高信さんは「佐高信の異議ありの思想」という連載を持っています。
佐高追っかけブログを自称しておきながら申し訳ないのですが、この雑誌だけはチェックしていません。理由はおわかりだと思います(苦笑)

ザ・ベスト10月号

http://www.kk-bestsellers.com/mens/thebest/index.htm


少々高価だし、もって帰っても処分に困りますよね。

ずっと昔はこんな雑誌ではなく、サラリーマンのハウトゥ記事が多かったと思うのですが、今ではすっかりエロ本となってしまいました。
しかしながら佐高氏の他にも森永卓郎氏や村上龍氏の連載があり、今月は小松左京氏の記事が載ったそうで、硬派の記事の充実も図ってはいるようです。
昨年佐高さんのこの連載が単行本化されました。



おそらくは佐高信氏のファンで東京スポーツやこの雑誌を読んでいる人は少ないと思います。福島瑞穂社民党代表などは海渡弁護士との結婚後、弁護士の所有していたエロビデオを全部捨てたらしいですから。(それを佐高さんは怒ったのですが)

Guitarbudda's diaryさんのブログ によると最新号では年金問題の核心を突くと銘打った記事を佐高さんは書かれたようです。

消えた年金問題はまさしく“国家ぐるみの振り込め詐欺”である。そんな詐欺行為にあっさり騙されたお人よしの国民にも責任がある。

私は 「正直であればいい」 という考えが一番腹立つんだよね、素直であるとか。要するに正直さを美徳にして、振り込め詐欺を見抜けなかった人でしょ。正直や素直というのが、政府が悪事を働きやすい環境、温床にもなった原因でもあるんじゃないの。国民が正直だからひっかかるとも言えるよな。
そもそも正直というか素直というかね、そういうものを美徳にする国民でなければ、美しい国なんてバカなことを言う人が首相になんてならないよ。だから騙した政治家の責任も追及されると同時に騙されることの責任というのも自覚しないと、何度でも騙されてしまう。正直や素直はもちろん宝だよ、ただし相手が善人である場合に限ってね。でも相手が悪人である場合には正直は最低の宝になる。


 まず、最近の年金の5000万人分不明問題、佐高さんの反応があまりないと思っていましたが、こう斬っていたとは。
こうまで言うなら、きっと「騙されていない」はずの佐高さん自身は教員時の共済年金、現代ビジョン所属時の厚生年金はともかく、国民年金は当然加入していなかったのでしょう。さすがです。まさかそれまで払ったと思われる共済、厚生年金ほしさに国民年金を払ったとは思えませんから(笑い)
あと2、3年で佐高さんも年金支給年齢ですが、きっと働きつづけるでしょう。


そして、「正直論」これは大筋で魯迅の「フェアプレイ時期尚早論」と同じです。以前に佐高さんは「フェアプレイ」は相手がフェアかどうかを見極めてからはじめても遅くはない。まず相手、特に権力側がフェアである場合は少ない。
 Gryphonさんが言われるような相手にフェアプレイを要求しないという思想とは違います。その辺が誤解を受けるところですね。なかなか良い佐高さんの説明であったと思います。
 と、書いていたらプレ五輪野球で優勝した全日本チームの星野監督が中国の選手と審判のアンフェアに怒っていました。(ファーストベイスマンがランナーの手を踏みつけたのにも走塁妨害判定せず)
 こういう場合はどうしようもないですね。こっちもアンフェアになるわけにはいかないし。


佐高 信
小泉よ日本を潰す気か!―佐高信の「異議あり!」の思想〈1〉

ザ・ベスト MAGAZINE (マガジン) 2007年 10月号 [雑誌]

安倍改造内閣発足について、佐高信さんのコメント「自己責任棚上げ内閣」

 参院選の結果を見ても、国民は安倍首相の退陣以外は望んでいない。

派閥領袖クラスを入れて「お友達内閣」を脱したような化粧を施しても、地肌は同じ。勝手に自分たちで"改革"が支持されていると決め付け、責任は自分以外にあると考えている「自己責任棚上げ内閣」だ。安倍首相をあれだけ批判していた舛添要一氏までが、のこのこと入った。責任感覚の鈍磨、与党の末期症状が表れている。


                                共同系新聞 2007年8月28日