久しぶりの雪である。今回は積もりそうだ。そんな中、夕刻から大学時代の旧友と一献傾けることになっている。
小林秀雄「考えるヒント」、亀井勝一郎「愛の無常について」。いずれも私の時代の大学入試頻出の作家だった。それも今は随分変わっただろう。
当時、両書ともお守りのように持っていたが「愛の無常について」を少し読んだだけで「考えるヒント」については手が出なかった。
早稲田・法学部の入試で、小林秀雄「モーツアルト」に撃墜されたことは以下の記事に記載している。
現在、小林秀雄より難解な、丸山真男「日本の思想」に取り組んでいる。半分ほど読み進めたが余りに難しい。何を言っているのかわからない。とにかく二回は読もうと思う。
何かがわかったら本ブログに記載したい。
「英文表現法」から上記、亀井勝一郎の以下の文章の英訳に挑戦したい。
(問題)
正義のための怒りは人間の最高の美徳だ。しかし人間である限り真に公平であることは、むずかしい。虚心であることは至難だ。そういうときに怒りを純粋ならしめるところに祈りがあるのではないか。怒りを伴わない祈りが微温的な自己満足におちいりやすいように祈りを伴わない怒りは利己心に堕しやすい。(亀井勝一郎)
(拙・和文英訳)
Anger for the cause of justice is the highest virtue as a human being. However, it is difficult for a human being himself/herself to keep a truly fair attitude. What is next to impossible is to keep an open-minded attitude. In such cases, a prayer, I think, could help purify the anger. Just as a prayer that is not accompanied by anger is liable to fall into lukewarm self-content, so anger that is not accompanied by a prayer is prone to lapse into selfishness.