三日間ほど続いた降雪も止み、今日は凍るような星空が冷たい三日月を湛えて広がっている。今年の冬は寒い。
丸山真男「日本の思想」やっと何とか一回読み終わった。はっきり言って難解だった。理解した部分について以下に書いてみる。
ヨーロッパにおけるキリスト教、中国における儒教のような「座標軸」となるものが日本には形成されなかった。明治維新以降、明治憲法の起草時に初代内閣総理大臣、伊藤博文はこの「座標軸」を「皇室」に求めた。ここに「国體(こくたい)」という観念が成立した。「国體」とは皇室(天皇)を国家の権威の淵源とする考え方をいう。
これにより鎌倉幕府の成立から江戸幕府の終末まで約700年続いた武家政権の中で半ば傀儡と化していた皇室に権力のみが付与されて猛威を振るうようになった。「国體」がさしたる軋轢も無く導入されたのは、当時皇室に対抗できるだけの勢力が無かったためでもある。
そのため、明治政府は日本の固有信仰である「神道」を利用しながら皇室を「神聖にして犯すべからず」として神格化していった。
また丸山は西洋文化を「ササラ型」、日本文化を「タコツボ型」と比喩している。
「ササラ型」とは、ササラ(筅=細かく割った竹を束ねたもの。飯器などを洗うのに用いる。)のように同じ根っこから様々な枝葉が分かれるタイプの文化を言い、根っこが共通だから枝葉同士の対話が成り立つ。
一方で「タコツボ型」とは、様々な学問、芸術、社会組織までタコツボのように孤立して存在し、相互の関り合いがなく対話が成立しない。
また、こんなことも書かれていた。
「文科系、理科系のいろいろな学部をもっている大学を綜合大学といいますが、綜合という言葉は実に皮肉でありまして、実質はちっとも綜合ではない。法科とか経済とか、いろいろな学部があって、それが地理的に一つの地域に集中している、各学科の教室や研究室が地理的に近接しているというのを綜合大学というにすぎない。そこで綜合的な教養が与えられるわけでもなければ、各学部の共同研究が常時組織化されているわけでもない。ただ一つの経営体として、大学行政面で組織化されているというだけのことです。ユニヴァ―シティという本来の意味からは甚だ遠いのが実情です。」(p.153-154)