高千穂・宮崎への旅の少し前、5年ほど暮らした九州工大前を離れて八幡東区のCという地区に移り住んだ。あまりに職住接近だったこともあり、また工場の近くは想像以上に空気が汚かったことも理由である。
C地区には以前登録翻訳者の方が住んでおり何度か原稿を届けに行った。大きな公園があり澄んだ小川が流れ、またスーパーや市場も近くにあり便利な場所だった。引っ越すならこの辺りかと以前から目を付けていた場所だった。
引っ越しは2015年7月下旬の暑い日だったが、当日の夜は近くで夏祭りが開催されていた。
その時の心境を以下の記事に書き残している。一体何と戦っていたのだろうか …… ?
https://ameblo.jp/sasurai-tran/entry-12057245692.html
鵜戸神宮の「運玉投げ」のご利益について少し書いてみたい。
下関市の土木・建設会社K社からネットを通じて翻訳の問合せがあったのは2015年の春先のことだった。同社はシンガポール港の大型岸壁築造工事を受注しており、翻訳対象の原稿はそれに伴う浚渫作業のための揚土搬出装置などの取説類の英訳だった。
「技術系の英訳はできますか?」という問い合わせに対し、いつも通り「弊社は新日鐵の系列で工業・技術系の翻訳は得意としており本件ならば新日鐵OBのベテランの翻訳者が担当させていただきます」と私は答え、受注・納品を済ませていた。
高千穂・宮崎への旅から戻って暫く経った2015年9月、K社から今度は通訳者の中長期派遣について問合せがあった。
当初は「通訳の場所はシンガポール港内で男性通訳者を希望」という要件だった。船上での作業もあることが男性希望の理由だったが「海外長期派遣が可能な男性で船上での作業を考えれば年齢も若い方がいいだろうなぁ~」などと考えるとなかなか人材が居なかった。
これが途中で先方の要件が変わってきた。「通訳の場所は下関の本社事務所内で性別も男女どちらでも可」と変更になった。「これなら対応できる!」と勝算を得た。
私は、新日鐵構内で技術系の通訳の実績があるベテランの女性通訳者、MBさんに白羽の矢を立てた。また、彼女は下関本社への通勤にも便利な場所に住んでいた。
9月下旬、彼女をK社の下関本社に連れてゆき業務内容の説明を受け、派遣単価の交渉や当社と彼女との間の雇用契約、また当社とK社間の労働者派遣契約の準備などバタバタと必要な手続きを進めていった。
かくして、当社とK社間にめでたく派遣契約が締結され、2015年10月から2016年3月末までの中長期の通訳者派遣ビジネスが成就した。
これがまさに鵜戸神宮の「運玉投げ」のご利益だった。