続・英語の散歩道(その21)-「トラップ」との戦いと30年目のテイクオフ | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

2008年2月中旬、3回目のTQEを受験した。英文和訳は裁判関連で米・地方裁判所からの上訴文、和文英訳は商標権に関する契約書が出題された。

 

今回感じたのが英文和訳、和文英訳ともに原文に何か所か意図的な改竄が見られることだった。これはいわゆるトライアル特有の「ひっかけ(TRAP)」であり、翻訳者に誤りを誘発させようとしているものだった。「見破ったり!」と思った。

 

また和文英訳では日本語をわざとわかりにくくしているところもあった。何が言いたいのか読み取りにくいのである。日本語を咀嚼して構成し直さなければ英文が作りにくかった。思いきって原文を破壊する度胸が必要になった。

 

1回目や2回目の受験ではそんな「ひっかけ」に気付くこともなく答案を提出していた。それだけでも「少しは成長した」と感じた。2008年2月20日(水)夕刻やっと答案を提出して戦いが終わった。

 

 

翌日の午後、車で1時間ほどの築上町・椎田の綱敷天満宮に合格祈願に行った。なお、「綱敷」とは菅原道真公が左遷の折、友綱をたぐり寄せて即席の座席としたことに由来するらしい。神社はちょうど梅祭りのシーズンで境内に甘酸っぱい香りが漂っていた。疲弊した脳裏が早春の梅の香に満たされていった。

 

 

TQEを受験する前の2月初旬、前の職場の同僚の紹介で地場の翻訳会社、S社を訪問した。S社の本業は設計・エンジニアリングだが1970年代から翻訳部門を有しており、同部門は主として技術翻訳を生業としていた。

 

面接ではUさんという年配の英語通訳・翻訳者と話をした。長年、新日鐵(現・日本製鉄㈱)関連の技術通訳・翻訳を経験されていた。彼からは「英訳ができる翻訳者が欲しい」との話を聞き、英訳のトライアルを渡されていた。内容は機械の取扱説明書だった。

 

畑違いの内容だったが選り好みしている余裕はなかった。翌日からS社のトライアルに挑戦し2008年2月25日(月)に提出した。取説の文体をどうするか悩んだが、ネットなどを参照しながら判断した。

 

取説などの技術文書は法務文書の文体に類似するところがあり「~するものとする」の助動詞 shall が使えることがわかった。あとは語彙だけの問題だったが、こちらもネットで何とかクリアーできた。

 

 

2008年2月末はハローワークの紹介で面接に行ったり、高校時代の友人に会いに博多に行ったり、また前の職場の上司と飲んだりしながら過ぎていった。

 

 

2008年3月3日(月)。S社から「トライアル合格」の連絡があった。この日、初めて翻訳者として認められた。「時計台教室の戦い」の初日、勝敗を分けた数学の試験からちょうど30年が経過していた。