続・英語の散歩道(その22)-日英専門翻訳者としての旅立ち | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

2008年3月。S社から最初の仕事が入った。技術文書の英訳で小規模なものではあったが初めて自分の英文が金に変わった。NOVAで英会話を勉強しようと一念発起してからまる9年が経過していた。

 

初仕事を終えてから、市内の学習塾や予備校講師の面接を受けた。英語の模擬授業をさせられたが人にものを教えた経験も乏しく得意でも無かった。ただ当時は翻訳をまだ副業と考えていた。

 

 

2008年4月に入り、S社に対して初めて請求書を発行しまさに個人事業主になった。それと入れ替えにS社から中規模の英訳が入った。今度は内部統制に関するもので法務関連の規定であり専門分野だった。

 

 

その一方で、2月のTQEの結果発表を翌週に控え落ち着かない日が続いていた。

 

2008年4月15日(火)。TQEの結果が郵便で届いた。英文和訳は67点で不合格だったが和文英訳は76点で合格した。手ごたえ通りの結果だった。

 

 

翻訳会社㈱サン・フレアからTQE合格者説明会のお知らせが届いた。また正式な履歴書を作成してサン・フレアに送った。合格者説明会は5月上旬に東京・西新宿のサン・フレア アカデミーで開催が予定されていた。

 

それに備えて、産業翻訳者としての名刺を作ったり新しいジャケットを作ったりと、まずは外観から翻訳者としての体裁を少しずつ整えていった。

 

 

当時の問題は「法務・契約書の英文和訳をこれから先どうするか?」ということで、すなわち、①法務・契約書を専門として英訳・和訳とするか?または②和文英訳を専門として法務・契約書を中心に周辺分野の金融、またS社関連の技術分野などに範囲を拡げてゆくか?のいずれを選択するか、ということだった。

 

自分の気持ちは明らかに②だった。3回のTQEの受験を通じて英訳の面白さにとり憑かれていた。ちょっと悩んだが「英訳専門の翻訳者で行こう!」と決断した。

 

 

当時のサン・フレア アカデミーの機関誌【ぷらす】PLUSに掲載された「TQE合格者喜びの声」に、以下のような文を私は寄稿している。

 

因みに、その回のTQE合格者の内訳は英文和訳が23名(全員3級)、和文英訳が12名(全員3級)、また文芸分野の英文和訳に2級合格の男性が1名いた。法務・契約書分野では英文和訳2名、和文英訳5名が合格した。和文英訳は私以外の4名はすべて女性だった。

 

 

「……  和文英訳の醍醐味は単語・表現や構文の選定にあると思います。ただし法務文書に関しては、できるだけ法務で多用される単語や表現を用いること、また節より句を用いたほうが文体がすっきりして冗長性がなくなること、講師よりご指導いただいたこの2点を念頭において英文を完成させました。 ……  将来的には、法務だけでなく他の分野の日英翻訳についても学びたいと考えております。 ……」