続・英語の散歩道(その20)-ケース スタディと哀愁の「ラ・ノビア」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

2007年12月初旬、10月のTQEの結果が発表された。結果は和訳が66点で英訳は67点でともに不合格!!予想外だった。また和訳が前回より下回ったのがさらにショックだった。

 

「たった3点」は決して簡単なものでは無かった。一週間ほど勉強する気が起らなかった。

 

 

長渕剛の「とんぼ」にこんな歌詞がある。

 

「♪~ 明日からまた冬の風が横っつらを吹き抜けて行く それでもおめおめと生きぬく 俺を恥らう 裸足のまんまじゃ寒くて凍りつくような夜を数え だけど俺はこの街を愛しそしてこの街を憎んだ …… ~♪」

 

自分が社会にとって不要なもののようにさえ思えてきた。2度の失敗は人生で経験が無かった。「二浪」の気持ちがわかったような気がした。

 

 

諦めるわけにはいかなかった。気を取り直してサンフレア アカデミーの「ビジネス法務 契約書 ケース スタディ」の日英コースを申し込んだ。このとき自分が明らかに「英文和訳より和文英訳の方が楽しい!」と感じていることを知った。今後は英訳をより重視することにした。

 

 

通信講座のテキスト、ケース スタディ、また参考文献のデータ入力・整理を続ける中で語彙や表現、構文が研ぎ澄まされて行った。何かが見えつつあった。

 

勉強を続ける中、気がつけば2008年が明けていた。松の内も過ぎたころ、2月のTQEが終了するまでテレビを観ることを自ら禁止した。

 

 

そんな2008年の1月下旬、可愛がってくれた父方の叔父が亡くなった。下関での通夜・告別式に出席した。叔父たちの中では一番年下で、冗談もわかり何かと話が合う叔父だった。電気関係のエンジニアをしていた。

 

私が幼い頃、壊れた時計やライター、オルゴールなどを玩具代わりにくれた。それらは私の宝物になっていた。また時々パチンコでとったのかチョコレートを山ほどくれた。

 

50代後半に「脊髄空洞症」という難病を患い長年の闘病生活が続いていた。随分苦しかっただろう。やっと楽になったのかも知れないが随分と早い死だった。

 

 

まだ叔父が独身の頃よく歌っていたものに「ラ・ノビア(La Novia)」という曲がある。元々、南米チリの音楽家が作ったものだが日本でも大ヒットしている。

 

「♪~ 白く輝く花嫁衣裳に 心を隠した美しいその姿 その目にあふれるひとすじの涙を 私は知っている アヴェ・マリア …… ~♪」

 

「偽りの愛を誓う花嫁」の悲しみを明るく朗らかに謳いあげた名曲である。

 

 

葬儀を終えた後、そこには叔父の死の悲しみに浸る間も無く、再びTQE戦線へと戻らざるを得ない自分の姿があった。