大相撲・九州場所に関連したエピソードをもう一つ ……。
「唐人町」駅近くには「高砂部屋」の九州場所宿舎があった。場所中、夕方近くになると下っ端の力士たちが「ちゃんこ」の食材の調達に商店街を奔走していた。下っ端が「ちゃんこ」を作ることを初めて知ったと同時に「どの世界でも下っ端は大変なんだ!」と思った。
ある日、商店街の食堂で食事していると兄弟子と弟弟子らしき2人の力士が入ってきた。兄弟子は「今日は俺のおごりだっ!」と言うと、生ビール大+餃子5人前を注文した。すると弟弟子はトンカツ定食(ライス大盛り)+ラーメンと遠慮なく注文した。
私は、自分の食事の箸を緩めてゆっくり彼らを観察した。暫くすると彼らが注文したメニューがテーブルに置かれた。それらが無くなる前に、兄弟子は生ビール大+餃子5人前、弟弟子は唐揚げ定食(ライス大盛り)+ラーメンを注文した。
さらに同じパターンがもう一度繰り返されたとき私は店を出た。「さすが!よう食う奴らやなぁ~」と思った。弟弟子はラーメンをまるでスープのように流し込んでいた。
時期は少し遡る。社命により1989年10月半ばから2週間ほどあるセミナーを受講した。今流行りの「人口知能(AI)」である。場所は飯塚市の九工大・情報工学部だった。
「知能情報処理セミナー」と題するもので、人工知能分野でよく使われるプログラミング言語LISPとPROLOGについて学んだ。講師は同学部の教授・助教授で内容は相当難解なものだった。
毎日早朝からの天神⇔飯塚間の高速バス通学で難儀したが、受講生に大分銀行の情報システム部の方が居られて仲良くなり、飯塚で飲んでビジネスホテルに泊まったこともあった。この大分銀行の方は、その後ご夫婦で博多に来られ再会し、以後も暫くの間年賀状のやり取りが続いた。
なお、この「知能情報処理セミナー」については、受講後社内で勉強会を開催した。「意味ネットワーク」や「リスト処理」についてプレゼンしたが、若手SEがどの程度理解できたかは解らない。
ただ、プログラミング言語PROLOGのテキストにあった「ブレーメンの音楽隊」(ロバ、イヌ、ネコ、ニワトリ)を例にしたプレゼンは、どうにか理解してもらえたようだった。
この、九工大・情報工学部でのセミナーの途中の土・日に社内旅行があった。行く先は宗像市の神湊だった。「鯛茶漬け」が有名な港町である。社長・役員含めて社員のほぼ全員が参加した。若手もよく飲む輩が多かった。
C社では1989年の秋以降、毎週のように若手の中途採用社員が入社していた。配属先は殆どがシステム開発部門で、同部門は活気に溢れていた。これらの中途採用や私のセミナーの受講についても、全てこのまま好景気が続くことを見込んだ先行投資だった。
日経平均は1989年12月29日に史上最高値の3万8915円87銭を付けた。日本経済はまさにバブルの絶頂期を迎えていた。
果たしてこのままこんな好況が続くのか?!李商隠の漢詩「楽遊原」には、そんな絶頂期の一抹の翳りが詠み込まれている。
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