福岡・博多慕情(その2)-「一本槍」・「万寿園」と幻の好景気 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

研究・開発グループのうち、東京・神奈川からのUターン組2名と親しくなった。

 

うち1人は九大・工学部卒で東京のオリンパス光学工業でエンジニアとして勤務していたAさんで、情報システムが専門ではなかったが、地元福岡市出身で私より数か月前にC社に入社していた。

 

もう1名は九工大卒で日立製作所の関連会社、日立ソフトウェアエンジニアリングでデータベースの設計に携わっていたSEのYさんだった。この人は鹿児島県出身で私の1か月ほど前にC社に入社していた。

 

お2人とも既婚者で私より年上で、以後何かにつけて飲みに行ったり仕事の相談に乗ってもらったりとお世話になることになった。

 

C社にも飲み助は多く、上記のお2人の他、管理職クラスの銀行からの出向者にも飲み仲間ができた。会社から博多駅に向かう途中に居酒屋は多かった。

 

 

思い出すのは、会社のすぐ側にあった居酒屋「一本槍」と、当時の博多駅ガード下にあった割烹・小料理「万寿園」である。

 

銀行出向者の飲み仲間は、退社時に私に向かって人差し指を一本立て「お先にぃ~!」と帰社した。これは「一本槍で飲んでるから来い!」というサインだった。上司(部長)などに知られずコッソリと飲みに行っていた。

 

「一本槍」には銀行に転籍してからも週に一回はお世話になった。

 

「万寿園」は、焼き鳥や酒の肴が実に美味くラーメンも置いてあった。酒の肴は郷土料理と家庭料理が中心で「おふくろの味」を感じさせるものだった。

 

「万寿園」では「胡麻鯖(ゴマサバ)」をよくたのんだ。(しま)いには店に入るなり「あらっ!胡麻鯖の兄ちゃん!いらっしゃい!」と愛称で呼ばれるに至った。

 

なお「胡麻鯖」とは福岡の郷土料理で、通常よりやや薄く切った鯖の刺身を醤油、炒りゴマ、みりんを加えて和えたものをいう。おろしショウガやワサビなどの薬味が追加されることもある。翌日、飯の上に乗せお茶漬けにしても美味い。

 

 

飲み屋での話は、C社の将来や具体的なシステムの話が多かった。飲み仲間各自が今まで異なる業務経験を有しており、各自の昔話に花が咲いたり、そんな業務経験を如何にこれからのC社の経営に生かしていくか?など真面目な話も多かった。

 

 

週末に飲めば、中洲で二次会になった。当時国体道路沿いに飲み仲間行きつけのスナック「ワタナベ」があった。「ワタナベ」はビルの2階にあったが、4階から上はソープランドという物凄いロケーションにあった。

 

「ワタナベ」ではカラオケが中心で、東京の頃の十八番(おはこ)「とんぼ」をよくリクエストされた。

 

 

 

198911月。九州場所で来福している関取たちが横一列に並んで中洲大通りのど真ん中を闊歩する姿が見られた。それはまるで人の壁のように見えた。

 

時はバブル経済の真っただ中、当時はそんな幻のような好景気がずっと続くものと信じていた。