福岡・博多慕情(その4)-男たちの旅路-「西鹿児島」と「虹の松原」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

C社に入社した頃から自社の富士通ホスト・マシンのレベルアップの話は出ていた。ハードだけでなくソフトウェア(OS)についてもN銀行の日立のものと互換性のあるものにする必要があった。

 

1990年に入り社内にホスト・マシンのレベルアップのプロジェクト・チームが結成されそのリーダーに任命された。

 

このプロジェクトではマシンルームの創設から新ホスト・マシンの他周辺機器の設置、さらにアプリケーション・システムの旧ホストからの移行までを行う必要があった。

 

社内の各部門だけでなく、N銀行の管財部門や富士通・NTT・九電工などと協力して共同で作業しなければならない厄介なプロジェクトだった。気は進まなかったが「まあ自分がやるしかないかなぁ~?」と思って引き受けた。

 

 

そんな1990年の年明けのある日、突然会社に父から電話があった。「○○!一緒に昼飯でも食わんかっ?」と言う。「いいよ!でも何で博多に居るんね?」と聞くと「実は昨日俳句の新年会があってなぁ~」と言う。「博多で?」と聞くと「いや小倉だ!」と言う。状況がよくわからなかったが、とにかく博多駅で父と待ち合わせた。

 

父と食事をしながら聞いたのは以下のような話だった。父は前日、趣味の「俳句の会」の新年会(小倉)に参加した。少々飲みすぎたようで、帰途「日豊本線の普通」に乗るべきところを、どう間違ったのか「鹿児島本線の特急」乗ってしまった。

 

車中「間もなく『水俣(みなまた)』に着きます ……」という放送で目が覚めたらしい。時計を見ると午前4時頃だった。「ここで降りてホテルに泊まっても仕方ないか?」と思い「いっそ終点の西鹿児島(現・鹿児島中央)まで行くか!」と決断したらしい。

 

当日、父は西鹿児島から始発の鹿児島本線の上り特急に乗り、博多で途中下車して私に会いに来たようである。やっと事態の全容が理解できた。

 

食事が終わり「新幹線で帰るんね?!」と聞くと「いやっ!高速バスで帰る!もう電車は飽きた!」と言った。そのとき、父がちょっと照れくさそうに笑ったことを今も覚えている。

 

 

ホスト・マシンのレベルアップのプロジェクト・チームには、その後の転職組を含めシステム運用やデータ通信などの経験者を取り込み総勢7名ほどになった。春先、プロジェクトの結成式を兼ねた宴会を行った。費用は会社から出た。

 

宴会は会社近くの博多駅周辺の居酒屋で行ったが、20代男性が中心の飲み会であり当然にして盛り上がった。その中にデータ通信が専門のエンジニアのMが居た。Mは鹿児島県出身で埼玉の通信機の会社からの転職組だった。

 

Mは結構ハイペースで盃を重ねており一次会でほぼでき上っていた。Mのアパートは西新だったので別れ際「M!タクシーで帰れよ!」と忠告した。彼は「まだ地下鉄が動いていますよ!」と強気に答えた。

 

我々は中洲辺りのスナックでカラオケという、いつもの二次会へと向かった。

 

 

翌朝。やや二日酔いが残る頭を抱えて出社すると、そこには疲弊しきったMの姿があった。「M!昨日はお疲れ!ちゃんと帰れたか?!」と聞くと「○○さん!俺、昨日どげんしたっちゃろか?」と聞き返された。

 

「どげんもこげんも!お前一次会が終わって地下鉄で帰ったやんか?!」と言うと「そうか!地下鉄に乗ったんか!」とMは答えた。「それも覚えとらんのか?!」と私は笑った。

 

Mから聞いた事情は以下の通りである。その日、Mは目が覚めると真っ暗なホームのベンチに腰掛けていた。とにかく辺りは真っ暗。北の方から波の音が聞こえ、ホームは3月の寒風に吹き曝されていた。

 

時刻は午前2時頃、その駅の名前は「虹ノ松原」だった。「虹の松原」は国の特別名勝で「三保の松原」、「気比の松原」とともに日本三大松原のひとつに数えられる景勝地らしいが、午前2時にそんな能書きはどうでもよかった。兎も角も、そこは佐賀県唐津市だった。

 

「虹ノ松原」はJR筑肥線の駅で福岡市営地下鉄はJR筑肥線に相互乗り入れしていた。運悪くMが乗った車両は「西唐津」行きだったようである。

 

Mが何故終点「西唐津」ではなく「虹ノ松原」で下車したのかは定かでない。ただ、飲み代は会社持ちでも、飲み代の倍以上のタクシー代を支払ったらしい。

 

 

「虹の松原」や「唐津焼」を訪ねて数年前の秋、唐津を旅した。鏡山の展望台から眺めた松原は実に風光明媚なものだったが、その時、このMのエピソードが頭を(よぎ)ることはなかった。