福岡・博多慕情(その5)-黒髪の魔女と「流れのままに」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

1990年の春過ぎから、人生2度目のモテ期に入った。前回同様、そういうときに限って仕事は忙しい。ホスト・マシン・レベルアップのプロジェクトはそれなりに着々と進行していた。

 

その頃、会社の上司や先輩、また友人などからも花嫁候補の女性を紹介してもらうことが多くなり、休日はそんな女性たちと会うことが多くなっていた。

 

 

そんな1990年の夏、ある女性と知り合った。彼女の自宅か勤務先が熊本市内の黒髪(?)というところにあった。地元の短大を卒業した後、公的機関の外郭団体に勤務していたが、保母(保育士)資格を持っており保育所での勤務経験もあった。

 

血液型を意識するようになって初めてのAB型の女性で、誕生日が私と一日違いの「いて座」で3歳年下だった。

 

熊本市内のホテルのロビーで待ち合わせ、少し話をしてから熊本城へ向かった。熊本城を観光した後に上通りか下通りの居酒屋で飲みながらまた話をした。デートのコースも立寄る店もすべて彼女任せだった。

 

 

彼女と会った日は8月の上旬。天候は快晴。熊本は35℃を超える猛暑だった。私は(あつら)えたばかりの濃紺にストライプが入ったスーツだったが暑さは気にならなかった。彼女も臙脂のお洒落なスーツを身に着けており二人の服装は見事にマッチしていた。

 

父親は地元で企業を経営しており弟は何処かの金融機関に勤務していた。自宅には外車が何台かあると言っていたがそれを鼻に掛けている様子は全く無かった。

 

転職のこと、福岡での仕事のこと、東京の頃のこと、学生時代のことなど色々な話をしているとあっという間に時は過ぎていった。熊本駅で別れたのが21:00過ぎでそれから鹿児島本線の特急で博多へ。自宅に着いたら午前0:00近かった。

 

 

実は彼女は「電話魔」であることがわかった。以来、毎晩のように長電話をするようになった。なかなか会えないことがもどかしくもあり楽しくもあった。ただ、携帯もネットも無い当時の市外電話、ひと月の電話料金が数万円になったこともあった。

 

そんな電話での会話が数日続いたとき、彼女がふと「とりあえず一緒に暮らしてみませんか?」と言った。冗談には聞こえなかった。「宇宙人のような不思議な女だ!」と思ったが内心嬉しかった。

 

だが、この一言が私の恋愛感情に火を付けた。彼女のことを良く知らないまま「愛しい」という感情が込み上げてどうしようもないほど舞い上がってしまった。

 

 

AB型は不思議な性格の持ち主である。こちらが熱くなると相手は冷める。また、この時恋愛が相当難しいものであることを思い知らされた。結局、彼女とは深い付き合いになることはなく、その秋の半ば熊本で別れることになった。

 

 

彼女と電話での楽しい日々が続いていた頃、あるCMで流れていた曲がとても好きになりCDを購入した。そのCMとはエースコックのカップラーメン。「上々颱風」の「流れのままに」という曲である。

 

♪♪~  しなやかに 軽やかに 風を 感じていたい

           ゆるやかに のびやかに 時の流れのままに

           しなやかに 軽やかに 愛を 感じていたい

           ゆるやかに のびやかに 時の流れのままに

           あなたの胸に 抱かれてると

           幼いころを 思い出す

           どこまでも青い海 走り続けた野原

           遠く聞こえる 歌声を                 ~♪♪

 

 

このCDは今も持っており、この曲を聞くと今もほろ苦い記憶が思い出される。