英語の散歩道(その23)-再会とある「書」との出会い | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

地元の自動車学校で、ある出会いがあった。西高同窓のEの悪友の一人Nとの再会である。

 

Nは中学3年時、入試で小倉高に不合格、中学浪人を経て翌年ラ・サール高校に進んだ。ラ・サールでも成績は常に文系10位以内にいたが現役(私が一浪時)で東大文Ⅱを受験、絶対合格と目されていたが不合格、結局、慶応・経済に進んでいた。中学浪人を経験した者は二度と浪人はしたくないようである。

 

Nは大学4年時、国税専門官試験に合格したが、結局、商工中金(商工組合中央金庫)への就職を決めていた。彼は、国税専門官(マルサ)みたいな嫌われ者にはなりたくない、また高校・大学と私立で親に金を使わせたので会社くらいは国公立に行きたかった、のようなことを言っていた。彼も入社(入庫)までに運転免許の取得が必要だった。

 

Nとは大学2年時に一橋・商学部の雀友(彼も西高同窓のEの悪友の一人)を訪ねて東京・国立に行ったとき、一緒に新宿の高層ビル群を見に行った。その時、彼と西新宿・安田火災本社ビルの前で撮った写真が残っていた。此処での出会いも不思議な縁に思えた。

 

年末か年明け、彼の配属先が商工中金・鳥取支店に決まったが、それを「まるで砂を噛むような虚しさ」だと上手く表現していた。また、私が入社後一年間は東京に居られることをとても羨ましがっていた。

 

どういうわけか彼とは馬が合った。イケメンで酒が強くカラッとした男気があった。また、何処か斜にかまえたところも魅力的だった。自動車学校の彼の仲間には、学生や社会人の他バツイチのおばさんもいたが、何度かみんなで飲みに行き、スナックでカラオケも歌った。結局自分が抱えている症状をNに話すことはできなかったが、カラオケで歌っている時など、苦しい症状も忘れることができた。

 

なお、Nについては「国立の思い出」(その③)にも記載している。

 

 

年が明け1982年が始まった。正月。中学3年時の同窓会で担任のSK先生のご自宅に行った。同級生10名くらいが集まった。中学からのライバルKと久し振りに再会した。彼は早稲田・商学部在学中、語学の修行のためにヨーロッパを一人旅で巡ったようである。様々な経験をしたらしく少し凛々しく見えた。就職は日本航空に決まっていた。

 

「商社じゃ無かったん?!」と聞くと「商社には親父のコネも結構あったんやけど、結局自力で日航に決めたんよ!」と答えた。「大したもんや!日航に受かったのはあんたの実力よ!」と生涯で初めて私は彼を誉めた。また「安田火災で航空保険室とかに配属になったときは宜しく!」と営業までした。彼は「わかった!」と笑顔で答えた。

 

彼のお父上は一橋大・法学部卒の高等裁判所の裁判長であり、親族も一橋大出身が多く、一橋を二回落ちて早稲田に進んだことに相当な引け目を感じていた。私と違い、彼は大学時代もずっと戦いを続けていたようである。身体も心も強くなっていた。

 

 

地元の実家の近くには小学校・中学校からの幼馴染みもおり、大学に進学し、私と同じく就職が決まっている者もいて時々会って話をした。彼らは皆私の就職先をとても羨ましがった。車を持っている友人もいて時々一緒に遊びに行ったりしていた。

 

 

そんな中、出来たばかりの商業施設内のある書店に皆で立ち寄ったときのこと、店内をブラブラしていてある本が目に入った。その本のタイトルは「あなたの不安は解消できる」(石井丈三著)というものであった。