Pさんの決め台詞「も~怒った!バリバリ鳴いちゃる!」は、京大の雀友の間でも自然に使われるようになり定着した。だが、この「も~怒った!バリバリ鳴いちゃる!」、大学卒業後、思わぬところで再び聞くことになる。
私が上京した1979年、東京に新宿副都心という新しい街が出現していた。所謂高層ビル群である。上京の際、どうしてもこの高層ビル群を見たいと思い、友人たちに連れて行ってもらった。
当時は京王プラザ、住友三角ビル、三井ビルなど数本が建っていたが、この中でひと際私の目を引いたのが裾の拡がった構造の「安田火災ビル」である。
残念ながらそのビルに入ることはできなかったが、友人たちとビルの麓でとった写真が今も残っている。大学卒業後、まさかこのビルの会社に入社することになるとは、当時は思ってもいなかった。
この時、新宿副都心に一緒に行った友人は二人。仮面浪人の末一橋・商学部に進んだ友人は卒業後日産自動車に入社した。現在東京近郊に居るようだが、音信は無い。
もう一人は慶応・経済学部にいた友人で、卒業直前の冬、地元の同じ自動車学校で免許を取った。坊ちゃんタイプのイケメンでわがまま、でも酒が強く男気があった。何度か飲みに行ったがどういうわけか気が合った。
彼は、国税専門官試験に合格したが、結局商工中金に入社した。「嫌われ者にはなりたくない」が理由だと聞いた。
私が安田火災に居た頃、彼の弟君が就職活動で私に話を聞きに来た。弟君と同じ大学出身の同期を紹介してあげた。
昨年、何故か彼を思い出し音信を訪ねてネットを検索した。すると「中小企業と銀行のWin‐Win戦略―これならできる危機突破術」という著書が見つかった。40代前半で商工中金を退職してコンサルタントになっていた。早速購入して読んでみた。
先日、別の友人と電話で話す機会があり、彼が随分前に亡くなっていたことを知った。結局会えずじまいとなってしまったが、今はご冥福をお祈りするばかりである。