Pさんは大手総合商社に就職が決まっていると聞いたが、麻雀の最中、とにかくよく喋る人だった。また、よく鳴いた(ポン・チーした)。周りからは「七対子が一向聴でも鳴いて対々和に向かう」と言われていた。
Pさんは麻雀の殆どの局で自ら和了るか他家に振込むかしており「参加率の高い人」とも呼ばれていた。浪人か留年か知らないが周囲より年上だったようで皆「さん」付けで呼んでいた。
Pさんが鳴き(ポン・チー)を始めるときの決め台詞が「も~怒った!バリバリ鳴いちゃる!」である。誰かが鳴くと「も~怒る」らしい。
Pさんの戦略「バリバリ鳴く」では、鳴けば鳴くほど手は狭まり他家に振込む確率も高くなる。決して賢い戦略とは思えないし、手を晒したところで何の威力もない。案の定、Pさんはよく裸単騎になり他家に振込んでいた。Pさんの「も~怒った!バリバリ鳴いちゃる!」が出ると周りも「また、始まったか!」程度に思っていたようである。
だが、私が中和寮で徹マンになった朝方の最終半荘のオーラス、Pさんの「バリバリ鳴く」戦略がついに威力を発揮することになった。
初順から中順に字牌2つと筒子1つをポンしており、字牌に場風牌「南」があったように思う。さらに終順に字牌「白」をポンして裸単騎になった。
Pさんが親であり海底がPさんに回ってきた。Pさんが気合を入れて海底を自模ると…、見事にドラの「發」単騎を自模りあがった。
混一色、対々和、「南」、「白」、海底ドラ2で合計9翻。「親の倍満」を自模り和了った。これで誰かが飛んで(箱店になり)半荘は終了、Pさんはトップになった。
その後、Pさんは自模った「發」を持ったまま「自摸!裸単騎自摸!裸単騎海底自摸!」と叫びながら、中和寮の中を走り回った。
翌日、中和寮の学生で「Pさんが裸単騎海底自摸で倍満を和了った」というつまらんニュースを知らない者はいなかったらしい。
東京には2008年に行って以来、なかなか行く機会がないが、コロナが終息したら思い出深い国立の街をもう一度訪れてみたいと思う。デカ盛りの「ロージナ茶房」は今もあるだろうか?