梅雨が明けて、毎朝蝉たちの声が賑やかになった。今年も夏休みが近づいている。先週末、海沿いを車で走っていると雲を赤く染めて海に沈んでゆく夕日を見ることができた。夏の夕暮れもなかなか良い。
西高では運動会が9月末、文化祭が11月初旬だった。高校2年は修学旅行があったので、それが10月下旬とすれば、修学旅行から帰ってすぐ文化祭だったことになる。
9月のある日。運動会の予行演習だったのか、競技の練習や運動場の整備などをさせられた。Sは居なかったので何処かで真面目に作業していたはずである。私とR、Yの3人、砂場あたりでブラブラとサボっていた。
誰が発案したかはわからない。「落とし穴を作ろうぜ!」ということになり全部で10個くらい作った。砂場に落とし穴を作るのは実に容易である。そのまま放置して校舎に向かって歩いていると……、後ろのほうから「誰がこんなもん作ったん?!」という女子生徒の怒りの声が聞こえた。振り返らずかつ逃げず、善意の第三者を装ったまま、黙々とかつ迅速に校舎へと戻った。
文化祭……。担任の狆先生が「誰か文化祭の警備やってくれるもんは居らんかのぅ?!」と言われた。そのとき、たまたま先生と目が合ってしまった。「チームワークの良い四人組でやるかっ?!」と言われ仕方なく引き受けた。とは言っても、大した仕事ではない。来賓が文化祭に来られる日曜日(?)に出校して見回る程度である。
この時、Sが一緒だったかどうかがはっきりしない。ブラスバンド関連で何か仕事があったような無かったような……。ともかく我々4人、とりあえず出校はしたものの、校内を適当にブラブラしていた。Yが「今から家に来んかっ!」と言い出した。正門、裏門には文化祭の実行委員などが見張っている。結局、津苑会館裏の塀を乗り越えて校外に出た。脱走成功である。
西高からYの自宅まで4人でブラブラ歩き、果たしてYの自宅に着いた。お母上は、寿司の出前を取ってくれビールまで出して我々を歓迎してくれた。制服を着たまま、寿司を食いビールを飲み、夕刻4人で西高に戻った。(どんな高校生だっ!)
再び塀を越えた記憶がないので、普通に正門または裏門から何食わぬ顔で(寿司は食っているが)校内に入った。ここでも善意の第三者を装ったが、警備は脱走時ほど厳しくなく特に怪しまれることは無かった。
高校時代、我々4人が酒を飲んだのは、どうもこの文化祭の日のYの自宅が最初だったように思う。これがその翌月の「自叙伝(その16)-酒宴の果てに」へと繋がることになった。たぶん、以来我々4人とも酒を飲むことに抵抗が無くなっていたようである。
昔のことを思い出していると、断片的な記憶がところどころ浮かび、それらの前後関係がわからなくなることが屡ある。よくよく考えていると、それらの間に因果関係が生じたりして前後関係がはっきりすることもある。なんかジグソーパズルを組立てているみたいで面白い。
こんな記憶の旅、もう少し続けてみようと思う。