高校2年の頃、よく観ていた時代劇で「破れ傘刀舟悪人狩り」というのものがあった。萬屋錦之介が主演、決め台詞は、①やかましいや、この野郎!⇒②許せねえ!⇒③てめえら人間じゃねえや!⇒④叩っ斬ってやる!と実に痛快なものだった。
放送は1974年10月から1977年3月、毎週火曜日夜9:00からであり、我々の高校時代をほぼカバーしていたようである。毎週水曜日の朝、四人組では「悪人狩り」の話題が必ず出ていた記憶がある。
1975年12月、2学期の期末テストが終わり冬休みを待つばかりの時期、私の誕生日直前の日曜日に私の自宅で四人組でパーティを開くことになった。母が料理を作り、ケーキや寿司を用意した。
「とりあえず飲み物でも買って行くかっ!」と我々は街で集まった。買い物は旦過の「丸和」だったが、その時Yが「酒も買って行こうぜ!」と提案し、これに全員が賛同した。コーラ、ビール、ワインなど買って自宅へ向かった。
私の部屋での楽しい歓談が過ぎる中、ビールとワインはあっという間に無くなった。私は父に「お父さん!酒か何かないっ?!」と聞くと「これを持っていけ!」とウィスキーを一本渡してくれた。サントリー・オールド(通称「ダルマ(タヌキ)」)だった。
これをコーラで割って4人とも飲んだ。所謂「コーク・ハイ」である。甘くて飲みやすいが後で効いてくる。ふと目が覚めると4人とも潰れていた。後に聞いたが、私は「倉高が何だ!!……東大が何だ!!……」そして最後に「負けてたまるかぁ―!!」と叫んだら、安心したかのように倒れたらしい。
次に目が覚めた時は、父が私を抱えて風呂場に連れて行こうとしていた時だった。私は皆に「うちに泊っていけ!」としつこく言ってたらしい。泊まれるわけがない。翌日は月曜、登校日である。父母はタクシーを呼んで3人を自宅に送り届けたようである。
そして翌朝、人生初めての二日酔いを経験した。頭が痛くまだ少し目が回っている感じがした。父は「失敗は若いうちがいい!」と言った以外は何も言わなかった。
どうにか教室にたどり着いた。そこにはそれなりの四人組の姿があった。何か言葉を交わしたのか、1時限目が何の授業だったのか覚えていない。はっきり覚えているのは2時限目が体育だったことである。それも持久走だった。高校の周りを5周ほど走るのだ。
走り出しはしんどかったが、走っているうちに気分が良くなってきた。汗をかいて酒が抜けたのである。
以後、折に触れて、四人組の自宅を順繰りにパーティを催すようになった。また、どのご自宅でも酒類を出すのが当たり前になった。
それは、我々四人組がどのご両親からも信頼されていたからであろうし、また我々が、何はともかく、学業を第一義と考えていたからだと思われる。
私の父母を含め、四人組のご両親の殆どがお亡くなりになっているが、この場を借りて改めてお礼を申し上げたい。
「その節は大変お世話になりました。ありがとうございました。」