その12(№4430.)から続く

【皆様へ】

桜のデザインに変更したことと因果関係があるのかどうかは分かりませんが、最近PC画面でコメントの表示がなされないことが多くなり、PCからのコメント返信に支障を来しております。そのためコメント返信の遅れが生じておりますが、ご容赦くださいm(__)m

まず初めにお断り。
京急は駅名の変遷が目まぐるしいですが、当記事においては、駅名は全て現行のもので表します。また、「エアポート快特」など羽田空港への列車は取り上げません。

今回は番外編として、快特の運転開始以来の停車駅の変遷についてまとめてみます。
既に概観してきたとおり、快特(快速特急)は、特急の停車駅が増加したことに鑑み、さらなる速達列車が求められたことにより登場したもので、当初の停車駅は「ラメール」「パルラータ」として品川-浦賀間に毎週末運転されていた「週末特急」のそれに範を取って、大幅に絞り込まれていました。「週末特急」の停車駅は品川・京急川崎・横浜・金沢文庫・横須賀中央・浦賀ですが、快速特急の停車駅はそれに上大岡を加え、本線ではなく久里浜線へ振り向け、横須賀中央-京急久里浜間はノンストップ、京急久里浜以遠にも通過駅がありました。

【運転開始当時の停車駅(昭和43年6月15日)】
品川・京急川崎・横浜・上大岡・金沢文庫・横須賀中央・京急久里浜・津久井浜・三浦海岸

この停車駅は、昭和50(1975)年4月26日に三浦海岸-三崎口間が延伸開業した際にも踏襲され、単純に1駅延長されたのみで、停車駅は全く変わっていません。
ただし、当時のダイヤでは、平日の快速特急は京急久里浜折返しであり、京急久里浜から先へは先行していた特急(こちらは久里浜線内各駅停車)に追いついて接続を取るダイヤだったため、京急久里浜以遠で通過運転が行われるのは休日だけでした。
このような次第で、三崎口までの延伸がなされた以外、停車駅には変更が無かった快速特急ですが、運転開始から28年を経た平成8(1996)年7月20日から、京急久里浜以遠が各駅停車となっています。

【京急久里浜以遠各駅停車化(平成8年7月20日)】
※    追加された停車駅は太字で表記。以下同じ。
品川・京急川崎・横浜・上大岡・金沢文庫・横須賀中央・京急久里浜・YRP野比京急長沢三浦海岸・三崎口

このとき以降、五月雨式に停車駅が増えていくことになります。

【羽田空港ターミナルビル直下への乗入れ実現時点での停車駅(平成10年11月18日)】 品川・京急蒲田・京急川崎・横浜・上大岡・金沢文庫・横須賀中央・京急久里浜・京急久里浜-三崎口間の各駅(京急蒲田を追加)

京急蒲田を停車駅に追加したのは、当時の京急蒲田駅が横浜方面から空港線へ直に入線できる配線になっておらず、横浜方面から羽田空港への直通列車を運転することが困難だったことから、横浜方面からの羽田空港アクセス向上のために快特を停車させたのが理由です。

そしてその1年後、快速特急が「快特」となり、日中の優等列車を快特のみとして、名実ともにダイヤの中心となった、平成11(1999)年7月31日のダイヤ改正では、一気に停車駅が増加しています。これは、土休日のみだった快特の三崎口発着を、A快特・都営線直通列車問わず平日にも拡大したことと、かつ日中には特急がなくなって久里浜線内を各駅停車で走る列車がなくなってしまうために採られた策でした。

【日中の優等列車が快特のみになった時点での停車駅(平成11年7月31日)】
品川・京急蒲田・京急川崎・横浜・上大岡・金沢文庫・横須賀中央・堀ノ内新大津北久里浜・京急久里浜・京急久里浜-三崎口間の各駅(久里浜線内完全各駅停車化)

さらに、平成14(2002)年10月12日には、線内の「A快特」の一部を泉岳寺まで延長しましたが、品川以遠の停車駅には変更はありません。

これで快特の停車駅の増加も打ち止めか…と思ったら、まだありました。平成22(2012)年5月16日、今度は金沢八景を停車駅に追加しています。

【停車駅に金沢八景を追加(平成22年5月16日】
泉岳寺・品川・京急蒲田・京急川崎・横浜・上大岡・金沢文庫・金沢八景・横須賀中央・堀ノ内-三崎口間の各駅

このときの停車駅が、現行の快特の停車駅となっています。

ちなみに、快特ではないただの特急の停車駅は、これらに青物横丁・平和島・神奈川新町・追浜・汐入を追加しただけ。この差を大きいと見るか小さいと見るかは、皆様のご判断次第ですが、管理人は小さいと思います。決して批判的な文脈ではなく、だからこそ快特:普通の1:1のダイヤパターンでも全体としての利便性が確保されているのだろうと。まして現在は、このダイヤパターンが築かれた平成11年の当時にはなかった「エアポート急行」があり、快特の穴埋めがなされていますから。
それでは肝心の快特のスピードはどうなんだというご意見もありましょうが、平成7(1995)年からは品川-横浜間で最高120km/hでの運転がなされていますし、車両の性能も、運転開始当時の600形(Ⅱ)や1000形(Ⅰ)に比べれば、2100形、600形(Ⅲ)、1000形(Ⅱ)は格段に向上しています。であれば、停車駅が増加したとしても、それによる所要時間の増加はスピードアップである程度は相殺できるので、あまり問題にならないといえます。それなら久里浜線内を完全各駅停車にしたのは怪しからんという声もありそうですが、そのような声は、あくまで愛好家的視点に過ぎません。久里浜線内の完全各駅停車化は、利便性を落とさずに列車本数と人員を絞って合理化を達成することに他ならず、京急の中の人たちの経営判断ということになります。経営判断であれば、愛好家的視点は意味を持たないと思われます。

…とこのように、運転開始当初に比べたらかなり増加した快特の停車駅ですが、今後はこれ以上増加することはないと思われます。増加するとしたら、快特ではないただの特急の方ではないでしょうか。京急鶴見などでは同駅を特急停車駅にという要望が地元から出ているそうですが、これはありそうな気がします。

以上、快特停車駅の変遷を見て参りました。
次回は、「快特」にまつわる雑ネタを取り上げます。

その14(№4447.)に続く