その11(№4421.)から続く

 

今回は予告とは内容を変え、平成14(2002)年、平成22(2010)年及び平成24(2012)年のダイヤ改正を取り上げます。

いずれも京急蒲田駅の改良にかかわるものですが、そうすると「京急蒲田駅の改良が本線系の快特と何の関係があるんだよ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。確かに、この3度のダイヤ改正は、いずれも京急蒲田駅の改良にかかわるものであり、それによって空港アクセス輸送が充実していったという過程であることは事実です。しかし、本線系の快特にとっても、この3度のダイヤ改正は無縁ではありませんでした。そのことは、お読みいただければお分かりいただけると思います。

 

◇平成14年10月ダイヤ改正

このダイヤ改正に際し、①京急蒲田駅の京急川崎方に渡り線を新設、この渡り線により、横浜方面から羽田空港への直通列車を恒常的に運転可能としました。同時に②京急蒲田-糀谷間のポイントを京急蒲田寄りに移設し複線区間を延伸、単線区間(第一京浜国道の踏切は単線)を短縮しました。あわせて③京急川崎駅構内の引上線に品川方から直に入線できるように改良しています。

これらにより、横浜方面と空港線方面との行き来が容易になっただけではなく、②によって空港線内ダイヤ作成の柔軟性が向上、さらに③によって羽田空港方面から来た列車が一時的に待避して後から来る快特をやり過ごし、そのあと京急川崎駅に進入して快特の後部に併結される…という一連の流れが可能になりました。

このとき運転された空港線から横浜方面への直通列車は4連とされ、8連の快特の後部にぶら下がって金沢文庫まで運転されることになりました。

つまり、この改正により、ほぼ終日にわたって分割併合が金沢文庫と京急川崎の両駅で見られるようになり、同時に京急川崎-金沢文庫間で快特が12連で走るという光景が展開することになります。

なお、上りの場合はこの逆で、金沢文庫で4連を8連の快特の後部につなぎ、京急川崎で切り離し、先に8連の快特が発車、その後を追って4連が京急蒲田へ走り空港線へ入るというルーティーンとなっています。

ちなみに、この4連が金沢文庫止まりかというとそうではなく、金沢文庫で解結されたあとは、普通として新逗子又は浦賀へ直通しています。上りの場合も、新逗子又は浦賀から普通車として来た4連が、金沢文庫で快特の後部につながれています。

以上の空港アクセス輸送関連とは全く無関係ですが、品川発着だった京急の最優等種別「A快特」が、この改正から泉岳寺発着に改められています。これにより、都営浅草線との接続が改善しましたが、これは正面に非常用貫通扉を持つ2100形だからこそ実現したものです。既に先代快特専用車2000形は、平成12(2000)年までに3扉化が完了していますが、それでも時折2100形の代走として「A快特」に入ることがありました。しかし、このダイヤ改正により「A快特」の泉岳寺乗り入れが恒常化されたことにより、以後同列車に2000形は充当されなくなりました。あるいは品川発着に変更の上で充当という、イレギュラーな事態はあったかもしれませんが、これにより2000形、特に8連の稼働率が大幅に落ちてしまいました。4連は増結用や普通車などに重用されていたのですが、ここで明暗を分けています。

 

◇平成22年5月16日ダイヤ改正

これは京急蒲田駅上り線の高架化完成とそれによる単線区間の解消によるもので、平成11年の全面ダイヤ改正から11年ぶりとなる全面改正となっています。

この改正に際し、京急蒲田を素通りする列車「エアポート快特」が登場したのは以前述べたとおりですが、空港アクセス輸送にはさらなる変化がありました。

この改正では、横浜方面から羽田空港への乗客が増加してきたため、従来は快特に併結していた直通列車を独立させ、新たな種別「エアポート急行」として設定しています。「エアポート急行」の運転区間は羽田空港-京急蒲田-新逗子間で、かつて存在した京急川崎・神奈川新町-新逗子間の急行の実質的な復活となりました。ただし、停車駅は従来の急行とは異なり、以前の急行停車駅であった鶴見市場・花月園前・生麦・子安・黄金町・京急富岡は通過となり、逆に急行が停車しなかった仲木戸・井土ヶ谷・弘明寺・杉田・能見台がエアポート急行の停車駅となりました。同時に、品川・都営線方面から羽田空港へ向かう急行については「エアポート急行」と改称され、両者は京急蒲田を境に全く異なる運転系統となりました。そのためか「エアポート」のつかないただの「急行」は、この改正で廃止されています。

羽田空港-新逗子間の「エアポート急行」新設で、8年ぶりに2000形8連の稼働率が上昇、本線での通過運転では持ち前の高速性能を発揮、快特時代のイケイケな走りを見せ、健在ぶりをアピールしています。

なお、この改正に伴い、快特の停車駅に金沢八景が追加され、逗子線や横浜シーサイドラインとの乗り換えの利便性が向上しています。快特の停車駅は、このとき以来現在に至るまで変わっていませんが、金沢八景を快特停車駅に追加したことにより、快特が通過し特急が停車する駅は、青物横丁・平和島・神奈川新町・追浜・汐入の5駅しかなくなってしまいました。平成11(1999)年ダイヤ改正以前と比べれば、快特と特急の差はわずかになっています。

この2ヶ月後、成田スカイアクセス線が開業し、それに伴うダイヤ改正がなされますが、このとき羽田空港-成田空港直通列車が復活しました。ただし、京急線内のダイヤについては、大きく変わることはなく微調整にとどめられました。

 

◇平成24年10月21日

この日、京急蒲田付近の高架化が完成し、京急蒲田駅は完全に高架化されました。これに伴い、従来は3本/時だった横浜・新逗子方面への「エアポート急行」を6本/時に倍増しました。その他、品川方面からの「エアポート急行」を快特に格上げするなど、空港アクセス輸送の充実が図られています。

このときのダイヤが、現行ダイヤの原型となっています。

 

その後、平成27(2015)年12月には朝通勤時間帯の着席需要に応えるため、「モーニングウイング号」の運転を開始しました。始発駅は三崎口ではなく三浦海岸とされており、停車駅は横須賀中央駅、金沢文庫、上大岡、品川、泉岳寺となっています。久里浜線内に通過駅が存在する列車が運転されるのは、平成11年ダイヤ改正以前の快特以来。ただし停車駅は少なくても、格段に速いというわけではなく、通常の快特とほぼ同じ所要時間となっています。

 

それから現在に至るまで、快特は本線系でも空港アクセス輸送でも、京急の最優等種別かつ列車ダイヤの基幹として君臨しています。

 

以上で、京急の快特に関する歴史的な概観は終了ですが、次回と次々回は番外編として、快特停車駅の変遷及び「快特」にまつわるネタあれこれを取り上げようと思います。

 

その13(№4436.)に続く