その10(№4412.)から続く

「快速特急」が京急で走り出してから31年が経過した平成11(1999)年。
その年の7月31日、京急は従来のダイヤパターンを一新する「白紙ダイヤ大改正」を行いました。
その内容は次のとおり。

① 快速特急の呼称を「快特」に統一。
② 「通勤快特」を廃止(ただし列車としては残存)。
③ 日中時間帯の本線系列車のダイヤを、快特1:普通1とする。
④ ③に伴い、日中時間帯の都営線からの直通特急を快特に変更(SH快特)。
⑤ ③に伴い、急行((a)都営線-品川-京急川崎と(b)京急川崎-金沢八景-新逗子の2つの系統がある。一部京急川崎を跨いで運転される列車もあった)のうち(a)を羽田空港へ振り向け(b)は廃止。
⑥ ⑤の埋め合わせとして、快特の品川-金沢文庫間で新逗子行きの付属編成を併結(当初は土休日のみ、後に平日にも拡大)。
⑦ 久里浜線直通の快特について、堀ノ内・新大津・北久里浜を停車駅に追加、久里浜線内を各駅停車に変更。
⑧ 「エアポート特急」を廃止し、「エアポート快特」に統一。
⑨ 早朝に横浜方面から羽田空港への直通列車を新設。

この改正で京急は、利用者にも定着してきた快速特急の略称「快特」を、晴れて正式な列車種別としています(①)。その反面、これまで親しまれてきた「通勤快特」の種別は消えました。しかし列車としては残存し、金沢文庫を境に特急から快特へ改められる形態となっています(②)。「通勤快特」の運行番号・列車番号に付けられるアルファベットは「B」でしたが(京急の運行番号・列車番号の付番ルールは、線内快特がA、線内特急がC、線内急行がD。都営直通列車は種別にかかわらず京急車がH、都営車がT、京成車がK。普通は数字のみ)、改正後もこの列車に付けられるアルファベットは「B」のままで、現在に至るまで変わっていません。
そしてこの改正で最も大きかったのが、ダイヤパターンの変更。
従来、日中時間帯の本線系優等列車は、都営線からの直通列車である特急と始発の快速特急が、10分間隔で交互に発車していました(品川駅基準)。その間を2本の普通列車が埋め(同)、20分サイクルで快特1:特急1:普通2の割合でした。それを、直通特急を快特に改め、10分サイクルで快特と普通の比率を1:1とするダイヤパターンを採用したものです(③。ただし品川-京急蒲田間ではそれに急行が入る)。このダイヤパターンの変更は、「本線系列車は原則として快特と普通のみとする」ことと同義であり、日中時間帯は快特が2本に1本都営線に直通するようになりました(④)。この列車は京急車でありながら運行番号のアルファベットが「H」ではなく「SH」とされ、ほどなく鉄道趣味界では「SH快特」と呼ばれるようになっています。しかし、都営線直通運用に充当できるクロスシート車は600形(Ⅲ)だけでしたから、都営線直通列車を快特にした結果として、せっかく2000・2100形で実現した「快特はクロスシート車」という原則が崩れてしまっています。それと同時に、急行が京急蒲田以南では走らなくなり(お正月の箱根駅伝開催日だけは、京急蒲田駅先の第一京浜国道の踏切対策として、京急川崎発着に変更していた)、逗子線が本線直通列車を失ってしまいました(⑤)。
他方、この改正を機に、従来は横須賀中央-京急久里浜間ノンストップとなっていた快特の停車駅について、新たに堀ノ内・新大津・北久里浜を追加、これにより久里浜線内が各駅停車となっています(⑦)。
以上は本線系統ですが、空港線関係では初めて横浜方面から羽田空港への直通列車が設定されたほか(⑨)、「エアポート特急」を途中京急蒲田のみ停車の「エアポート快特」に統一、空港連絡列車としての使命をより明確にしました(⑧)。

ここでちょっとした余談を。
この改正の実施当時、京急蒲田駅は未だ高架化がなされておらず、地平にありました。しかも、横浜方面から空港線への直接の乗り入れが可能になるのは、この3年後に京急蒲田駅構内に渡り線が設置されてからのこと。では⑩で挙げた、横浜方面から羽田空港への直通列車がどうやって空港線へ入っていたのかというと、何と京急蒲田駅の品川方へ一旦引き上げ、その上で下り線に転線して空港線へ入っていたということです。流石にこんな方法では、沢山の列車を運転できるわけもなく、早朝のみの運転にとどまっています。しかしこの列車は、横浜方面から羽田空港への直通列車として先鞭をつけることになりました。

これらの改正内容によって、京急のダイヤにおいて本線系・空港連絡輸送を問わず、「快特」が主役の座に就いたことになります。
しかし、ダイヤ改正の常として、光あれば影あり。
この改正で、「快特」ではないただの特急は、朝夕のみの運転となってしまいました。また急行が全廃されたのは前述のとおり。これらにより、特急は停車するが快特が停車しない駅、急行のみ停車していた駅では、利便性が低下したのは否めません。快特自体も、堀ノ内以遠の久里浜線内各駅停車化により、品川-久里浜間の速達性は低下してしまいました。この辺りは賛否両論あるところですが、堀ノ内停車により浦賀方面との接続が改善され、久里浜線内の利便性向上及び合理化が達成されたことは確かですから、速達性より沿線全体での利便性を取ったということでしょう。当時の京急は、日中時間帯の特急運転取り止め及び全時間帯での急行運転取り止めによって不利益を被る駅利用者に対しては、快特をダイヤの中心に据え速達性を向上させ、停車駅で普通車に接続させることで、十分にカバーできると考えていたようです。

このような「影」の部分こそあるものの、この改正に伴い、快速特急改め「快特」が名実ともに京急のダイヤの主役になったことは、まぎれもない事実です。
そのようなダイヤが、平成14(2002)年以降、さらに磨きがかけられることになるのですが、次回はそのお話を。

その12(№4430.)に続く

※ 次回以降、内容及び回数を変更する可能性があります。何とぞご了承ください。

 

【追記】(令和2年7月9日 22:30)

とある方から頂いたコメントにより、従前の「快特は都営線からの直通列車も含め全て最高速度120km/hに変更された」旨の記述は、事実と異なることが判明したため、削除いたしました。当時はまだ、旧1000形による直通快特があり、また都営5300形による快特もありました(都営5300形は、最終の第24編成以外120km/h対応ではない)。直通快特が120km/hになったのは、その2年後のことです。

また、当時増圧ブレーキを装備していた直通車は、600(Ⅲ)形と1500形1700番代のVVVF車、全電動車の1601編成のみだったとのことで、その他1600番代の6M2T編成は準備工事中だったそうです。