その9(№4403.)から続く

 

今回は、本線系の快特とは一線を画する、京急の「もうひとつの快特」について取り上げます。

 

その「もうひとつの快特」とは、羽田空港へのアクセスを主眼とした「エアポート快速特急」のこと。当時は未だ「快特」ではなく「快速特急」が正式種別でした。

京急は、羽田空港ターミナルビル直下への乗り入れを果たした平成10(1998)年11月18日、全面ダイヤ改正を行い、この日から羽田空港-成田空港間の連絡輸送を意図した「エアポート快速特急」が運転を開始しました。「エアポート快速特急」の品川-羽田空港(現・羽田空港国内線ターミナル)間の停車駅は、京急蒲田だけ。これは、成田・羽田両空港間の連絡及び羽田空港へのアクセスという、列車の任務に忠実に停車駅を選択した結果ですが、当時は横浜方面から羽田空港への直通列車がほとんどなく、そのため京急蒲田に停車して横浜方面からの利用者の便宜を図ったという面があります。

なお、この日以降、本線系の快特も京急蒲田に終日停車するように改められ、快特の運転開始以来維持されてきた京浜間の1駅停車が崩れました。

ちなみに、「エアポート快速特急」でもうひとつ注目されたのは、乗り入れ先の都営浅草線内でも通過運転を実施したこと。当時の停車駅は泉岳寺から三田・新橋・日本橋・東日本橋・浅草・押上で、押上では先行する各駅停車との待ち合わせも行いました。その後、平成12(2000)年の都営大江戸線全線開業の際、停車駅に大門が追加されています。

 

京急の空港線という路線自体は、非常に古くからある路線で、「羽田空港」という駅も昔からありますが、当時の、というより昭和末期ころまでの「羽田空港」は、現天空橋駅の近くにあり、しかも空港の敷地の外にある小さな駅でした。そのため、京急空港線は、路線名や駅名とは裏腹に、空港アクセスとは無縁の沿線ローカル輸送に従事していたのですが、昭和末期に羽田空港沖合展開の関係で、利用者が増加すれば東京モノレールだけでは対応しきれなくなるという考慮から、京急のターミナルビル直下への乗り入れ計画が浮上しました。

そこで、まず平成5(1993)年に「羽田」(現天空橋駅)が開業、さらにその5年後に、京急は羽田空港ターミナルビル直下への乗り入れを果たし、空港アクセス輸送に従事するようになります。

ちなみに、京急は東京五輪の直前、羽田空港への乗り入れを当時の運輸省から打診されたことがありますが、そのとき京急は、本線系の輸送力増強に企業リソースを集中させたいと、その打診を断っています。それ以後、京急がいくら乗り入れを打診しても、運輸省は相手にしなかったそうですが、羽田空港の拡張計画と利用者増加から、そうも言っていられなくなったということです。こういうところにも「お役所仕事」の場当たり的な様子が見て取れるような。

 

以上が「エアポート快速特急」、「もうひとつの快特」誕生の経緯です。

ただし、使用車両は京急その他乗り入れ各社の通勤型車両であり、オールクロスシートの600形以外は、ロングシートの車両でしたから、空港アクセス列車とはいえ、その限りでは日常の通勤列車と大差ないものではありました。期待された2100形の「エアポート快速特急」での運用は無し。これは、2扉クロスシート車の乗り入れを東京都と京成が嫌ったからだといわれていますが、乗降性に難があることが懸念されたのでしょう。

 

なお、平成11(1999)年1月のダイヤ修正の際、京急川崎発印西牧の原行き快特が上りのみ4本登場したとのことです。これは羽田方面へ直通する特急(快特ではない)が京急蒲田駅空港線ホームで上りエアポート快特とバッティングする時間帯があるため、やむなく川崎へ流していたとのことです。その後同年の改正でひっそり姿を消したとか。

(このご指摘をくださった方、ありがとうございます)

 

その「エアポート快速特急」は、翌年「快速特急」の略称だった「快特」を正式な種別名称とされたことに伴い、「エアポート快特」となっています。

その後の「エアポート快特」は、羽田空港-成田空港間が京成本線経由などのため時間がかかり過ぎたこと(リムジンバスなら道路混雑が無ければ1時間少々で到達が可能)、長時間乗車の際の快適性に難があることなどから、両空港間の連絡という意義は徐々に薄れ、京成線側の直通先がどんどん短くなり、かつ平成14(2002)年からは京成線内を特急ではなく「快速」という一段下の種別で運転する列車も出現、「エアポート快特」という種別は、京急と都交通局の独自の種別であるという色合いが濃くなっていきます。

しかし、平成22(2010)年7月の成田スカイアクセス線開業に伴うダイヤ改正により、羽田空港-成田空港間の速達直通列車が復活しました。この列車は、京急・都営線内を「エアポート快特」、京成線内を「アクセス特急」として運転する形態になっています。ただし「エアポート快特」を名乗る全列車が成田空港まで達するわけではなく、途中駅で接続する形態になっている時間帯もあります。

 

前後しますが、この年の5月16日に京急はダイヤ改正を実施しました。

そのときの内容に、沿線利用者も鉄道趣味界も驚愕しました。それは、「エアポート快特」が京急蒲田を通過するようになったから。

これは、京急蒲田の高架化が完成したことによるダイヤ改正であり、鉄道趣味的な観点では12年ぶりの京急蒲田通過列車の復活(京急ウイング号を除く)ですが、京急蒲田通過には大田区及び同駅周辺の住民が強く反発しました。その理由としていわれたのは、区は高架化事業の総工費1650億円のうちが200億円を負担したこと。彼らにとってみれば「金を出してやったのに、京急はそれにタダ乗りして地元に還元しない、怪しからん」ということで、大田区では「通過反対対策協議会」が組織され、通過反対の議決や今後の高架化事業の負担金の拠出拒否を示唆するなどしました。これに対し、当時の東京都知事石原慎太郎が、「通過列車があっても1時間に6本も停車する列車があるからいい(だから利便性が下がっているわけではない)ではないか」(要旨)などと発言したことで、ちょっとした政治的問題となり、一連の問題は「蒲田飛ばし」と呼ばれるようになっています。

京急もこのような「蒲田飛ばし」に対する反発を考慮したのか、2年後のダイヤ改正の際、品川-羽田空港間の「快特」「エアポート快特」を10分間隔とし、このうち「エアポート快特」だけを40分間隔として、他の大多数をただの「快特」として、京急蒲田に停車させるように変更されました。この改正内容からすれば、2年前の時点よりも京急蒲田停車列車は増加していることになります。

 

現在の「エアポート快特」は、40分間隔での運転となっていて、その他は羽田空港方面の快特でも京急蒲田に停車しますから、40分に1本、京急蒲田に停車しないことでエアポケットを作ってしまう列車を維持するよりは、「エアポート快特」であっても京急蒲田に停車させた方がいいのではないかと思ってしまいます。他方で、本線利用客と空港利用客を分離させようと思えば、京急蒲田通過は維持する必要が出てきます。

「エアポート快特」の京急蒲田通過を今後も維持するのか、あるいは直通先の都営浅草線でも通過運転をする列車の種別と位置付けるのか、京急の判断はどちらになるのか、注目したいと思います。

 

次回は、「快速特急」ではなく「快特」が正式種別になり、「快特」がダイヤの主役に躍り出た、平成11(1999)年のダイヤ改正を取り上げます。

 

その11(№4421.)に続く