その8(№4394.)から続く

 

京急が創業100周年を迎えた平成10(1998)年、当時のフラッグシップ・2000形に代わる車両を投入します。それが現在まで京急のフラッグシップとして君臨する2100形。京急の創業80周年を記念して就役した車両が800形と名付けられたのに、こちらは100形・1000形ではなく2100形となっています。これは1000形が当時現役だったのもありますが、21世紀を見据えた車両として開発したという意気込みを表すものとして「2100」という車号を採用したものだとか。

 

2100形については既に様々なところで語られ、当ブログでも何度か取り上げていますから、ここでそのスペックの詳細を記すのは止めますが、2100形の最大の特徴は内外装ともに外国製品を積極的に採用したこと。例えば、走り装置は独シーメンス社製のメカニックを採用していますし、空気圧縮機は独クノールブレムゼ社製、腰掛は車端部を除き骨組みはノルウェー・エクネス社製、座席の表皮はスウェーデン・ボーゲサンズ社製となっています。この座席は、転換式でありながら背ずりの厚みがたっぷりしておりクッション性も十分で、しかも表皮の感触も柔らかいため、大変に座り心地の良い座席となっています。

また2100形は2000形と同じ2扉クロスシート・車端部ボックス席という構成ですが、2000形との違いは①窓を全て固定窓にしたこと、②扉間の座席を全て転換クロスシートにしたこと、③車端部ボックス席の腰掛部分を跳ね上げ式にし、荷物置き場にも使えるようにしたこと、④扉上に車内案内表示装置(LEDスクロール式)を設けたことです。①は空調装置の整備で実現したもので、高い静粛性の実現に寄与しています。②は2000形で採用しなかった転換クロスシートですが、これの採用により、扉間の座席の全乗客が進行方向を向いて座ることができるようになりました。しかし、阪急6300系や西鉄8000形などとは異なり、2100形の転換クロスシートは、乗客が手動では転換できません(終端駅で車掌が遠隔操作により一斉転換する)。これは向かい合わせでの使用をしないことを前提にシートピッチを詰め、座席定員を確保したのが理由ですが、それでも乗客が無理な転換を試みて座席が破損する事例が頻発したため、その後背ずり部分に「イスの向きは変えられません」という注意書きが付加されるようになりました。

車端部をボックス席としたのは2000形と共通ですが(③)、座席を跳ね上げ式にしたのは異なります。これは、2100形を羽田空港-成田空港間の空港間連絡列車に使用する構想があり、海外旅行客の大荷物に対応する必要からこのような仕様にしたものです。この構想のため、2100形は「1号線規格」に則って車体長や台車中心間距離が決められているばかりか、2000形にはなかった非常用正面貫通扉が設けられています。この非常用正面貫通扉のおかげで、品川発着だった「A快特」を泉岳寺発着にすることが可能となり、都営浅草線との接続が改善されています(A快特の泉岳寺発着は平成14(2002)年から実施)。ただし、2扉クロスシートというスペックのためか、東京都交通局が2100形の営業運転での乗り入れには難色を示したため、同形登場20年後の現在に至るまで、同形が都営浅草線・京成線に営業運転で乗り入れたことはありません。「成田スカイアクセス線」が開業した現在なら、羽田空港-成田空港間の「アクセス特急」には適任ではないかと思えますが、やはり2扉クロスシートでは、途中駅での乗降性に難があるので難しいでしょうか。ただしイベントその他の営業運転以外なら、都営浅草線に乗り入れたことは何度かあり、馬込車両検修場の公開イベントでは、2100形が公開されたことがあります。

なお、2000形との相違点をもうひとつ挙げるとすれば、運転台真後ろの席が600形(Ⅲ)と同じクロスシートになったこと。これにより、2100形は京急の2扉クロスシート車では初めて、正真正銘のオールクロスシート車となりました。

 

2100形は平成9(1997)年度内となる平成10(1998)年3月までに2編成が落成、同年3月28日から快特運用に投入されました。平成10年には9~11月にかけてさらに3編成、平成11年には4~5月に3編成と、ほぼ半年のスパンで投入が継続されました。

これに伴って、2000形は3扉化・ロングシート化(ただし車端部のボックス席は存置)を柱とした格下げ改造工事が始まり、第1編成の2011編成が平成10年のうちに東急車輛(当時)から出場しました。扉間5枚の窓の真ん中に扉を増設したため、この部分は戸袋となって扉間の窓の大きさが不揃いとなり、やや不格好な姿となりました。このあたりは、特急車時代の窓を戸袋窓として残した阪急2800系と対照的です。しかし、2扉クロスシート時代の側窓の横引きカーテンは残り、他の一般車がロールカーテンしかない中、一般車らしからぬ豪華仕様となりました。また、車端部のボックス席は存置されたため、これも好評を博しました。このような、車端部にボックス席を存置し、扉間をロングシートにした座席配置は、平成14(2002)年に登場した1000形(Ⅱ)に受け継がれています。

それよりも「格下げ」の事実を見る者に強烈に突き付けたのは、外板塗色の変更。2扉クロスシート時代の赤+窓周り白のツートンから、一般車と同じ赤地に窓下白帯に変更されてしまいました。遡ること20年前、自らがデビューしたときに同じカラーリングを800形から奪ったのが2000形ですが、今度は2100形がデビューしたことで、自らのカラーリングを剥奪されることになろうとは。

 

2100形を語るについて、幻に終わった4連増結用に関する話題と、4次車の話題を取り上げておきましょう。

2000形には8連の基本編成の他、4連の付属編成が存在しました。この4連の付属編成のおかげで、12連の快特を全車2扉クロスシート車で運行することが可能になり、また4連を2本、あるいは3本つないで運用するなど、運用の自由度の確保にも大いに寄与したものですが、なぜか2100形には作られませんでした。構想が全くなかったわけではなく、構想がありながら作られなかったというのが正しいのですが、なぜ作られなかったのかについては、当時600形がオールクロスシートで4連の付属編成が6本存在していましたので、2000形の4連に相当する増結運用はこちらで賄えるという算段があったとか、2100形が中央貫通扉ではないため、4連を2本つなぐと品川以北や都営浅草線への乗り入れが不可能になることが危惧された(2100形の8連貫通編成なら泉岳寺乗り入れができるが、4+4だと中間の非常用貫通扉がずれるので不可?)など、様々な理由が語られますが、いずれも推測の域を出るものではありません。

そして2100形の4次車は、3次車までが立て続けに投入されたのに対し、平成12(2000)年10~11月に2本投入と、3次車から実に1年半ブランクが開いています。この理由について、より洗練された外観とするよう、先頭形状の変更が検討され、クレイモデルまで作られたそうですが(クレイモデルは久里浜工場に現存する)、結局従来と同じ先頭形状で製造されたということです。そのクレイモデルの写真を見ると、実車よりも丸みの強い流線形となっていますが、もしこれが実現したら4次車は座席定員が減少するか、都営浅草線乗り入れの対象外となってしまう(1号線規格を外れてしまう)かのどちらかになっていたでしょう。4次車を従来と同じ形状にした京急の中の人の判断は正しかったと思います。

 

2100形は平成12年までに8連10本の80両が投入され、「A快特」及び「京急ウイング号」の運用をほぼ掌握しました。そしてその後はリニューアルを受けたものの(リニューアルのメニューに関しては、追って取り上げます)、現在に至るまで、京急のフラッグシップ、イメージリーダーとして君臨し続けています。

次回は、羽田空港ターミナル直結が実現したことで登場した、「もうひとつの快特」を取り上げます。

 

その10(№4412.)に続く