このブログを見ていただいて、本当にありがたい

毎日、感謝の気持ちを忘れずに書いています。

タグに[読者募集中]をつけさせて頂いて

いますが、僕が書くこの取り留めのない文章に

そんなものを付けていいものかと、感じました。

初めの頃は自分の経験を誰かに伝えることで

何かの足しになればと思って書いていました。

フォロワーさんが増えていくたびに嬉しくて

コメントをいただくのが何よりも励みに

なりました。

これまで、このブログによくいいね、を

つけてくれていた読者の方がいました。

時にはコメントもくれて、とても励みになって

いました、ですが、最近その方からいいねが

付かなくなってしまいました。

もしかしたら、その方にとって不快な事を

書いてしまったのか…

その方に何か起きたのか…

心配になります。

僕はもう、これ以上、光が消えていくのは

見たくないんです。

不快な部分があったのなら、申し訳ないです。

でも、その方の身に何かあったのだとしたら

そう思うと、このブログを続ける意味は

ないのではないかとも思います。

そのフォロワーの方がどこの、誰なのかは

僕は分かりません。

しかも、今、誰もが感じている様に

生きにくい時期を迎えてしまっているので

フォロワーの方に何かあったのだとしたら

僕はもう、ブログは書けません。

心が壊れてしまうんです。

人間関係の悩みや、生きにくい世の中で

誰にも言えないような悩み

そういうモノを抱えていくのは大変だと

僕は誰よりも知っています。

このブログを通じて、誰かに何かを伝えられたら

と思っていました。

それが誰かにとって迷惑なのだとしたら

僕は耐えることができない気がします。

また、取り留めのない文章になってしまいましたが

このブログを続けるかどうか、迷っています。


たしか、小学生の低学年の頃だったと思う。

僕が通っていた小学校では毎日

(先生、あのね)というプリントを渡され

その日、学校で何をしたか、家庭でどんな

生活をしているか、などを書く課題があった

僕は、そのプリントを書くのが酷く嫌いだった

月の初めに先月提出したプリントの中から

「よく書けましたで賞」というものが選ばれ

クラスの掲示板に貼られるシステムだった。

賞に選ばれる作文は、学校で勉強を頑張って

休み時間に沢山遊んで、帰りにスイミングスクールへ行って

家に帰って、家族みんなでお母さんが作って

くれたオムライスを食べた、そんな内容の

文章だったと思う。

施設で育った僕はランドセルも、持っていなくて

教科書も、お下がりの古い教科書。

休み時間はクラスの窓から外を見て、

帰る場所はやっぱり施設。

オムライスなんて食べたことなくて

僕は10歳まで豚肉のことを牛肉と思い

かまぼこを鶏肉なのだと教わった。

「先生、あのね」には特に書く事もなくて

毎日、毎日、そのプリントを書くのが苦痛だった

みんなが(当たり前)と感じている日常を

感じる事が出来ない子供が、今でも何万人も

いる。それぞれの事情で、それぞれの理由で

当たり前の日常が送れない人が沢山いる。

新型コロナウイルスで、外出自粛や、友達と

会えないのが寂しい、退屈、暇、なんて

そんな生活を小さい頃にしていた僕には

あまり理解出来なかった。

結局、僕はウソの日常を「先生あのね」に

書くようになった。

「僕は毎日、学校が楽しいです。学校が終わっても

みんなといっぱい遊んで楽しいです。

帰っても、おいしいご飯をみんなで食べて

楽しいです。」

帰る家なんか、どこにも無いのに。

そのプリントを見て、先生は寂しそうな顔を

していたことをよく覚えている。

ウソは人をこんな顔にするんだと、

多分あの時、僕は学んだ。

他の学校もあるんだろうか?

「先生あのね」

そんな、悪意の無い残酷な課題が。






今、ジェンダー問題が話題になっているけど

問題になっている事が問題なんじゃないか?

日本人は遅れてる、日本人は男尊女卑

なんて言う人もいるけど、僕は男性が

女性に優っている事は力(パワー)がある

という事くらい、心に灯る炎の力は女性の方が

強いと思うし、それも逆の場合もある。

パワーのある女性もいるし、強い信念をもつ

男性もいる。

性同一性障害と呼ばれる女性と同じ職場で

働いていたけれど、彼女が女性だなんて

周りの人に言われるまで気付かなかったし

同じ男性として接していた。

心無い人が、とんでもない事を公の場で

言っちゃうから何でもかんでも叩き合いになって

どんどん話しにくくなるという傾向になってる。

それこそが問題なんじゃないかな…

強い、弱いで人間の価値を決められたんじゃ

たまったもんじゃないと僕は思う。

まして、それを原因で差別されるなんて

冗談じゃない




先日、始まった聖火リレー

早くも世界中や東日本大震災の被災地

福島県民から非難が殺到している。

「コロナを広げる気か」

「ナチスとおなじ愚を行うな」

福島県民に関しては

「復興五輪なんて…」

と今回のオリンピックに「復興」という文言

が入っている事に不満や怒りがあるとの事。

確かに先日も東北では地震があり

亡くなられた方もいるほどの揺れがあったばかり

復興自体、メディアで報道されているのは

復興作業が進んだほんの一部で、未だに

仮設住宅で生活している方もいるという。

震災から10年経ってもその程度しか行われていない

本当の復興作業の実体を知っている被災者から

すれば、今回のオリンピックの客よせに「復興」

という言葉は使わないでもらいたいというのは

ごもっともだ。

僕は決してオリンピック開催を批判している

わけでもないけど、オリンピックに政治が

介入してはいけないという大前提を破り

コロナ問題、総務省接待問題など政権の不祥事

から国民の目を逸らすのが目的であるかの様な

菅総理のオリンピック開催ゴリ押しには

違和感を感じる。

今、僕たち国民が心配しているのは

緊急事態宣言解除によって増加している

コロナ感染者数なんじゃないかと思う。

ワクチンは一体いつ、どこで摂取させて

もらえるのか、感染してしまった時

また保健所と病院に何度も何度も電話で

問い合わせて、結局「自宅療養」と

見放されるのではないかということも

オリンピックもいいけど、その前に

国民の健康の確保に目を向けてもらいたい。

何度もこのブログで書いているけど、

健康的で最低限の人間らしい生活が確保されて

開催されるのが平和の象徴であるオリンピックだ

聖火リレーで非難されたのには会場が「密」

状態になってしまった事が大きい。

聖火リレーはNHKで中継されている。

わざわざ感染リスクをおかしてまで観に行く

ことも無いと思うし、もしも感染してしまったら

と考えると自ずと答えは出ると思う。

これ以上、日本が、非難されるような事を

するのはやめて欲しいと、願うばかりだ


コロナ禍で自殺者が例年より4割も増加した

年代別だと、中高生の増加が大きいという。

自粛で学校にも行けず、外出も出来ず

勉強が遅れるのではないか?

友達に会えなくて寂しい

という理由で自ら命を絶つ若者が増えている。

中高生は多感な時期だ。

人間として一番、人格が形成される時期でもある

そんな時に、こんなコロナ禍で自粛を余儀なく

されては、不安になるのは当たり前だ。

でも、緊急事態宣言もリバウンドの懸念が

あるが、ひとまず解除された。

学校での授業も通常通り行われている地域が

増えて行っているとの事。

学校生活の何年間、それは長い長い人生の中で

ほんの一瞬の期間かも知れない。

その一瞬に、人は同級生や先輩、後輩、

そして恩師の人生と重なり合いました。

その巡り合わせは、ただの偶然で

運命で

奇跡です。

重なった時間は過ぎて

感染対策で登校日も大きく減ってしまい

そのまま、今年、卒業という人も沢山いると

思います。

でも、この出会いがたった一瞬だったとしても

出会った人達の影は、心の中に永く永く残る

それが、青春時代のめぐり合い。

大人だって、コロナのせいで収入が減ったり

失業したり大変な思いをしている人が多数いる

本当に辛くて、もう消えてしまいたいと

思っている人もいるかも知れません。

でも、それでも自ら命を絶つのだけは

少し待って下さい。

命を絶てば当然、明日はやって来ません。

残された遺族は、悲しみを一生抱えて

生きていかなくてはならないんです。

だから、どうかお願いです。

一緒に明日を迎えませんか?

生きてさえいれば、どんな悩みもいつかは

解決します。

その日まで、とりあえず生きてみませんか?

自死遺族として、僕からのお願いです。