あと、すこしで春休みも終わり


新しい生活が始まる、という人も多いと思います


今年、学校を卒業して社会に出る人は


卒業して初めて感じる思いがありませんか?


長い人生の中、限りある時間、限りない空の


下で出会い、それは奇跡的な確率で


共に過ごした日々はもう二度と戻らないという


寂しさ、それでも離れ離れになっても


それぞれの場所で生きていく不安


そして、ほんの少し、先に続く道への期待や


希望、そんな事を考えたりしませんか?


僕の学生生活は後悔の方が多くて


大人になっても、自分が思っていたほど


世間は辛いコトの方が圧倒的に多くて…


でも、僕は人生という旅の途中で仲間と出会い


未来のために手を取り合って


お互いの夢を朝まで語り明かした。


そして、強く前だけ向いて生きていくと


誓い合って、卒業という形で離れ離れになった


その仲間との誓いはまだ守られてはいないけど


この先、夢が叶う度に僕はあの日々を思い出す


それが、人が出会いと別れを繰り返す意味だと


僕は信じたい。


これからも続いていく長い旅のどこかで


傷つき、迷うこともあるかもしれないけれど


振り向けば、ちゃんと道は出来ている。


その道に人は「轍」という特別な名前を


つけたんじゃないかと、今夜の桜を見て


そう思った。



今年も桜が咲いた。

入学式や卒業式、就職や転居…

僕の人生の節目には必ず桜が咲いていた。

僕は冬が嫌いだ。悲しい思い出が多すぎるから

冬の寒さを感じる度、雪を見た瞬間

その悲しみが一気に思い出される。

毎年、桜の開花を見る場所や時間は違うけど

この国にいる限りどこの街でも桜は咲く

いつも、僕の背中を押してくれる。

その場所が愛しいと思える。

僕は決してロマンチストなんかじゃないけれど

桜はいつも、僕を見守ってくれているような

そんな気する。

生まれ育った街を出て、共に過ごした大切な

仲間ともなかなか会えない。

コロナウイルスのせいもあるけれど

遠く離れていても、これまで出会った大切な人

僕に手を差し伸べてくれた人達も

この美しく咲いた桜を見上げていると思うと

少し元気が出る。

桜には、そんな美しさがあると

僕は思う



「体操服の下に肌着を着用してはいけない」

というわけの分からない校則がきっかけで

ブラック校則に注目が集まっている。

確かに、体操服の件はどう考えてもおかしい。

「肌を鍛えるため」なんていうのが目的らしい

学校の体育の時間に肌着を着用せず、授業を

受けて肌を鍛える…時代はもう令和だ。

寒波摩擦や寒中水泳などの気合い論で

考え出されたそんな校則に縛られる意味が

分からない。

他にもブラック校則と呼ばれるモノのほとんどは

大した根拠もなく個人の個性を否定し、

自由を奪うものばかり。

僕が通った学校は割と自由な校風で

ブラック校則というのに当てはまる様な

校則は無かったと思う。

個性を「校則」で押さえつけ

個人の長所も短所も見つける機会さえ

奪うというのが果たして「教育」と

呼べるだろうか。

子供だって、夢を見る。

その夢に向かって、個性を伸ばす事を

手伝うのが教育なんじゃないだろうか。

下らない校則に押さえつけられて

本当に学ぶべき事も学べず、社会に投げ出される

その方が親からすれば余程恐ろしいと思う。

勉学に、部活、仲間との交流、それに恋愛など

人生の中でほんの一瞬の学生生活だからこそ

正しいコトを学ぶことが何より大切じゃないか

と、僕は思う。

髪型や服装、限度はあるけれど外見だけでは

人は判断できない。

そんな大切な事も分からない大人が作った

わけの分からない校則が、他人の痛みが

分からないダメな大人にするんだ。

限りある学校生活の大切な時間を

わけの分からない校則で縛り付けないで欲しい

学校を卒業し、いくら月日が流れても

「あの時、学校で学んだ事が素晴らしい

未来への橋掛かりになった」と誇れる様に。




自分の変化は自身では中々気づかないものだ。

僕も、昔の自分から考えると

今みたいにうつ病なんて発症するなんて

思ってもみなかった。

うつ病を発症している人のほとんどが

自分のストレスに気づく間もなく

忙しい毎日に追われて、それが当たり前だと

自分の中で完結して、生活しているはずだ。

でも、うつ病のほとんどの発症原因は

ストレスだ。ストレスの発散が上手くできず

どんどんストレスが溜まり、やがてうつの

症状が出てくる。

夜、眠れない。朝、起きてもやる気が出ない。

何をしても楽しくない。自分の好きな趣味を

それまでより楽しめない。などの症状だ。

人間の中に「心」という臓器はない。

つまり、目には見えないという、時には

厄介なものだ。

でも、いつもと違う「あれ?」と思う

自分を感じたら、焦らずにゆっくり自分の

「心」の声を聞いてあげることが大切だ。

ちゃんと聞こえるまで耳を澄まして

聞いてあげる。そして自分が気持ちがいいと

思う事があればそれに従ってあげればいい。

コロナ禍で自殺者が増加して

特に中高生の自殺者の増加率が激しくなってる。

自殺というのはそこには悲しみと苦しみしかない

それは自ら命を絶った人、残された遺族

一生消える事ない悲しみを背負って生きていく

辛さを僕は誰よりも知っている。

自ら命を絶つ、その前に出来る事がある。

それが、「心の声」を聞くことだと

僕は信じてる。

家族や友人、周りに相談できる人がいるのが

一番良いんだけど、人には言えない悩みや

苦しみを抱えている人もいると思うけれど

そんな時は、僕でよければいつでも話を

聞きます。心の叫びを聞き取る能力だけは

今までの経験で得たものだ。

生きにくい今の世の中、手を差し伸べて

くれる相手がいるなら、その手は絶対に

離さないで下さい。


何年ぶりだろう、昔から自覚したいた

卑怯な部分を思い出すのは

「やってしまってはしょうがない。

俺にどうしろというんだ。」

責任をとれとか、謝罪をしろとか

言われたわけでもないのに

後ろ向きな姿を他人にみせる

無意識に。

下手な干渉をされたくなかったからか

そんな風に僕はいつも許されるのを

待っていた。

僕は昔から余計な事ばかり考えすぎる

僕の青春は失敗と後悔の連続だった。

そしてその後悔を、今でも引きずっている

もしもあの日に戻れたとしたら

僕の未来は現在と変わっていたんだろうか

勇気を出して、こちらから歩み寄る

一歩を踏み出す事ができていたら

失ったものの数も

少しは減ってくれただろうか。