イェホシュアのイスラエルの信仰と証し -37ページ目

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

本日の礼拝と交わりは以下のGoogle MeetのURLで行います。

礼拝
9月 4日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/rzn-jndg-rdr

聖餐式・交わり
9月 4日 (日曜日) · 午前11:00~午後12:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/dvx-oeoe-awz

本日の礼拝テーマは、

召された者として聖書を読む

です。

新約聖書には、イエス・キリストを信じ、救われるようになる人は、神である天の父によって召された人だということが、繰り返し書かれています。

聖書の読み方は、大きく二つに分かれます。
召された者として、あるいは、神に選ばれた者として読むという読み方。

もう一方は、召されていることを前提としないで、神に選ばれていることを前提としないで読むという読み方です。

後者を便宜的に「プロテスタント的な読み方」と呼ぶことにします。
プロテスタント的な読み方では、聖書をいくら読んでも、堂々巡りをするだけです。どこにも救いはありません。

神による召し、神による選びを前提として、自分は召された者だと思い、自分は神に選ばれた者だと思って、そのような信仰を持って聖書を読む時、そこに、全く新しい世界が展開します。

 

Courtesy of Marcia O'Connor

 

 

ソフィア神を神として崇めるグノーシスが淵源にある神学。

この神学が隠蔽してきた生ける神であられるイスラエルの神。イエス・キリストの父なる神。

 

このイスラエルの神が、世の終わりにあって、ご自身こそが神であられると、聖書の預言のままに、ご自身を現されるということが、現在進行形で、世界の各所で、日本の各所で、一人一人の生活において、個々のキリスト教会において、起こっています。

 

イエス・キリストの父なる神は、ご自身であられるということを、現在進行形で、すべてのキリスト教会において、現されます。現されて行きます。

 

 

 

Courtesy of Marcia O'Connor

 

 

三位一体の偶像の宮から出て、聖書で書いてあるままの、パウロが異邦人に宣べ伝えた福音をそのまま受け継ぐ、イスラエルの神であられる天の父の治める神の国に、御子でありメシアであるイエスを信じる信仰によって入ることができると、驚くべき神のリアリティを毎日のように経験することになります。



プロテスタントの一部の教会でも「臨在」という言葉によって、「そこに神がいること」を感じ取る…感じ取ったことを言い表すことは行われていますが、三位一体から縁を切って、イエス・キリストを介して、「唯一のまことの神」(ヨハネ17:3)であられる天の父の下に入ると、どういうことが起こるのか?

この神は、一度、「わたしは在る」としてモーセに語られた方です。
存在そのものです。すべての存在に先立って存在される方です。
もちろん、土からアダムを造り、この地に満ちている生き物の全てを創造なさいました。
また、この方が創造なさった天は複数形です。地をもお造りになりました。
全てを造られた方であり、御子イエスと共に全てに働かれておられる方です。

この方が、自分と一緒に生きて下さるのです。御子イエスを信じる信仰のゆえに。

そうすると、そこにあるのは「臨在」と呼ばれる、神の本当の現れを100万分の1程度のスケールで表した現象ではなく。

生きた神として存在されており、また、働いておられる方のすべてのご活動が、自分の毎日の生活において、また、家族の一人一人において、また、同じ信仰を共有する兄弟姉妹の一人一人において、現れるのです。わかりますか?

空や風や空気や土や周囲から聞こえてくる鳥の声や虫の音も相まって、毎日の生活の中で起こる、仕事の関係のことや、息子の学校のことや、毎食美味しくいただける食事の素晴らしさなども相まって、その人において、最も大切なこと、すなわち、イエス・キリストを信じる信仰によって、自分の造り主であられる方と、親しく交わる。

 

その親しい交わりのゆえに、この方が「父」となって下さる。その、圧倒的な、喜び。その、圧倒的な、祝福。その、圧倒的な、恵み。

その「圧倒するような神のお姿」。それを、常時、経験することになるのです。朝起きてすぐに。起きている間中ずっと。また、夜眠りに入る時にも。



それは、その人が、すでに神の国にいる、ということです。
神とともに生きているのです。
神が、その人と一緒に、生きて下さるのです。
アダムが創造された当初、この方と一緒におられた、あの状態が回復しているのです。
人間の想像をはるかに超えた世界です。人間の知性では捉えることのできない世界です。



パウロ書簡をよく読むと、この方が治める神の国のことが克明に書かれています。
御子イエスと共に、この神の国を相続するのです。


 

Courtesy of Marco Verch

 

 

主イエスと食事をする教会では、毎朝5分程度、その日の聖句を読んで、簡単に解説を加え、その上で、大祭司であられる主イエス・キリストを通じて、天の父を礼拝するという、霊とまことによる礼拝(ヨハネ4:23-24)を行なっています。

今日の聖句は、

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

第一コリント3:16

 

「神殿」(神の宮)は英語訳では"temple"が使われており、元々の意味は、神が住まわれるところ。イスラエルの神が、御子であるメシア・イエスと共に来て下さって、住まわれるところ。お二方は、霊なので、自分がまず聖霊が注がれて、霊の上で、お二方を迎えることができるようになる=神の神殿になることが、大切だということです。

 

天の父も霊ですし、イエス・キリストも霊です。この霊であられる父と子と交わりをするために、こちら側でも聖霊をいただいて、お二方を仰ぎ見ます。

 

 

 

 

 

Courtesy of Marco Verch

 

 

主イエスと食事をする教会では、毎朝5分程度、その日の聖句を読んで、簡単に解説を加え、その上で、大祭司であられる主イエス・キリストを通じて、天の父を礼拝するという、霊とまことによる礼拝(ヨハネ4:23-24)を行なっています。

今日の聖句は、

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
第一ペテロ2:24

 

私たちは、主イエス・キリストの十字架から実にたくさんのものをいただいています。

それは、信仰によって、また、そのことを記している聖書の御言葉を信じることで、受け取ることができます。

 

イエス・キリストは、ご自身の言葉を「霊」だとおっしゃっています。

霊としての御言葉が、自分の霊に働いて、信仰により、それが成就します。

 

キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

という御言葉も、これをイエス・キリストの口から出た霊として受け止め、自分の霊で染み渡るように受け入れれば、霊において、この癒しが成就します。すると、目に見える部分でも、癒しが起こっています。

 

1. 神の言葉。

2. 信仰によって霊に働く。霊として成就する。

3. 目に見える形となって現れる。

 

こういう順序です。このことのすべてにおいて、御子イエスの十字架が起点となっています。

アーメン!

ハレルヤ!