イェホシュアのイスラエルの信仰と証し -36ページ目

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Marco Verch

 

主イエスと食事をする教会では、毎朝5分程度、その日の聖句を読んで、簡単に解説を加え、その上で、大祭司であられる主イエス・キリストを通じて、天の父を礼拝するという、霊とまことによる礼拝(ヨハネ4:23-24)を行なっています。

今日の聖句は、
すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
マタイ25:20

このタラント。現在の日本円では3,000万円から6,000万円に相当します。
5タラント儲けた人は、3億円を預かって、その3億円でさらに3億円を儲けたということになります。非常に大きなお金です。

彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
マタイ25:15

天の父は、それぞれの人に、ぞれぞれの能力に応じて、タラントを預けています。
これは「天の御国」に関する文脈で、タラントが預けられているということです。

天の御国は、増えます。大きくなります。からし種の話にある通りです。人が地に種を蒔く話にある通りです。

天の御国を、それぞれが大きくし、増やしていかなければなりません。

イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、
どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」

マタイ13:31-32

 

また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。
実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」

マルコ4:26-29

 

 

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

 

本日の礼拝と交わりは以下のGoogle MeetのURLで行います。

礼拝
9月 11日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/brz-bbdh-ugm

交わり
9月 11日 (日曜日) · 午前11:00~午後12:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/nfp-yfcn-kra

本日の礼拝テーマは、

何をしていても祝福される

です。

申命記28章には、祝福されるための条件が書いてあります。それは、神である主、すなわち新約聖書において、御子イエスから「天の父」と紹介された神、イコール、イスラエルの神の御声に聞き従う、ということです。

もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。

あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。

あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。

申命記28:1-3

これが新約の時代である現代では、どういうことを意味しているのか。
また、それによって信徒がいただくことができる祝福とはどのようなものなのか。

それについて説明します。

 

Courtesy of Marcia O'Connor

 

 

ローマ8章の有名な聖句。

被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。
ローマ8:19

この「被造物」は一般的に「息のある動物や人間」であると解釈されています。
英訳では"creation"、"creature"という訳語が当てられています。造られたもの、被造物という意味です。

原語に当たってみると、ktisis(英字表記)。
2937. ktisis

意味は、「何もないところから、神によって作り出されたもの」です。

Cognate: 2937 ktísis – properly, creation (creature) which is founded from nothing (this is also the sense of this term from Homer on); creation out of nothing (Lat ex nihilo).

これで思い起こすのは、創世記の以下の聖句。

こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。
創世記2:1

この「万象」。すらっと読み過ごしてしまいがちですが、ヘブライ語の原典に当たってみると、「万軍の主」の「万軍」と同じ言葉が使われています。

以前に確認したユダヤ教のラビが伝統的に解釈しているところでは、イスラエルの神が創造された万物を構成している最小の構成要素。歴史的な科学の概念で言えば「原始」。現代的な科学の概念で言えば素粒子ということになるでしょうか。それのすべてが、神によって造られたものとして動いていて「万象」を成している。「万軍」となっている。

従って、イスラエルの神であられる創造主がお造りになったもの、ローマ8:19で「被造物」とパウロが書いたものは、この「万軍」であるもの。造られたものすべてを構成している全て。万象。

それらが「神の子どもたち」の現れを待っているのです。
このローマ8章の文脈では、「神の子どもたち」とは、イエス・キリストを本当に信じるようになる人たちのことです。325年のニカイア公会議以降のキリスト教文脈ではなく、それ以前のパウロが宣教していたキリスト教会。本当のキリスト教会。本当のイエス・キリスト信仰。本当の聖霊が下る信徒集団。いったん歴史からは抹消されてしまった本当のキリスト教会。パウロが「一つ」と書くもの(エペソ4章)。

それが再び現れて、「神の子どもたち」がはっきりと確立されるのを、イスラエルの神がお造りになった「万象」すなわち「万軍」は、待っているのです。ハレルヤ!

そのことを今朝、コンビニに買い物に行くときに、朝の雲の中に現れた太陽の光や、雲の成り立ち、風が吹いている様。電信柱に止まっていた白鷺三羽が風に争って飛んで行こうとしている様。変化する雲や光。造られている全てのもの。それらを見ながら、思っていたところです。

 

神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。

ローマ8:14-15

この「子としてくださる御霊」を中心に説明をしています。

まず、大前提として、聖書全巻を貫いているイスラエルの神のカレンダーについて確認をします。
ペテロが受けた啓示、パウロが受けた啓示。

ペテロの場合は、主の御前では千年は一日のようであり、一日は千年のようであると書いています。
イエス・キリストが昇天してから、実は、二日しか経っていない。こういう時間感覚が、神の時間であると考えています。


終わりの日(所々では終わりの日々と、複数形で書かれています)は、実は、この二千年間続いている。それが神にとってのカレンダーである。たった二日しか経っていない。
そうした神のカレンダーの説明から始めています。

 

 

Taken by me

Courtesy of Marco Verch

 

 

主イエスと食事をする教会では、毎朝5分程度、その日の聖句を読んで、簡単に解説を加え、その上で、大祭司であられる主イエス・キリストを通じて、天の父を礼拝するという、霊とまことによる礼拝(ヨハネ4:23-24)を行なっています。

今日の聖句は、

ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。
第一コリント2:12

 

主イエス・キリストの十字架と復活によって達成されたすべての良いものは、信仰により、恵みによって、神からいただけます。

トレーニングや修行や聖書通読によっていただけるのではありません。ただひたすらに、主イエス・キリストの犠牲と、サタンに対する圧倒的な勝利の意味を持つ主イエス・キリストの復活を信じることに基づく「恵み」によって、神が、私たちに下さるのです。

 

何をやったからいただけるというのではあありません。

何をやらなかったからいただけないというのではありません。

ただひたすらに、人間の信仰をつぶさにご覧になる創造主であられる天の父が、その人間に対して、恵みとして、それらを下さるのです。主イエス・キリストが福音書で約束されたすべてが、一つも欠けることなく、恵みとして、天から来るのです。

 

それは、神の御前で、誰も誇ることがないため。ただひたすらに、主イエス・キリストの名によって、神の栄光がほめたたえられるためです。人間のためではありません。