頑張れ週刊プロレス
どういった佐藤光留です。
クリスマスも終わり、例年より少しだけ余裕のある年末年始5連戦に向けて束の間の休息。
今年も年間200試合を達成。怪我の影響もあり下半期は柔術の練習も思うように出来なかった。また紫帯のまま年を越すのか。
オードリーのオールナイトニッポンでメールが読まれたり、新日本プロレス(厳密には違うのかもしれないが)のバトルロイヤルで優勝して棚橋弘至社長の実家プロレスをアレしたりと、今年もなかなかの1年だった。実はデビュー25周年だったが、それ以上に妙な事を完遂出来た事は変態レスラーとして嬉しく思う。
だが。
2025年を終えるうえで、避けて通れない事象もある。
秋も深まる頃、また週刊プロレスと揉めた事である。以下、SNSに投稿された文章。
【公式】
佐藤光留は今後、週刊プロレスが発行するプロレスラー名鑑に関して掲載を拒否させていただきます。経緯については後日、全て話します。まずは目の前の試合に集中します。
佐藤光留
物騒だ。これは物騒だ。この事について書こうと思ってSNSを見ていたら、当時の怒りが蘇ってきた。それぐらい大きな出来事だったのかもしらん。
元々、佐藤光留は週刊プロレスと共に育ってきた。1990年に同級生の村松君から「本屋に行けばプロレスの専門誌がある」と聞いて、その日のうちに近所の本屋に駆け込んだ。そこで目にしたのが「週刊プロレス」と「週刊ゴング」だった。
プロレスの専門誌が2つある事も驚きだったが、SNSなんて無い時代は週刊誌こそプロレスの情報源として必要不可欠なものだった。
岡山では毎週木曜日に発売されるのだが、学校が終わったらダッシュで帰って本屋に行くのが毎週の恒例だった。
佐藤家には小遣いというものが無かったが、学校の宿題を一切しなかった佐藤光留(10歳)が、活字と写真を永遠と眺める事に親(特に母・知万里)は歓迎ムードだった。ファミコンすら買ってもらえないのに、毎週プロレスの専門誌を買うために500円をくれたのだから相当なもんだ。
記事を見て泣いた事なんて1回2回どころの話しではない。誌面から伝わる熱気はもちろん、後楽園ホールや京都KBSホールのステンドグラスなんかは同じ日本にある事が信じられないぐらい煌びやかで甘美な写真に感じた。
プロレスラー名鑑はほぼ丸暗記。菊地毅の好きな有名人にリンドバーグのボーカル・渡瀬マキの名前が書いてあった時は、ミッドナイトフライトリスナーとして誇らしかった。
パンクラスでデビューした時は、週刊プロレスにも週刊ゴングにも載った。プロレスと総合格闘技が別々のジャンルになりかけた頃、パンクラスの記事は掲載されなくなっていった。
心の中で「プロレスラーになりたかったのに、週刊プロレスに載らなくなってしまった」という焦りと不安もあったが、その日1日を生きる事の方が優先された。
パンクラスMISSION入りしてからは、再び掲載されるようになった。そして週刊ゴングは休刊し、日本に存在するプロレス専門誌は「週刊プロレス」だけになった。
日本のプロレスラーで1番早くブログを開設したのは髙木三四郎さんという話しがあるが、2番目は佐藤光留かもしれない。2000年の夏には魔法のiらんどでブログを開始。TwitterやUstreamも積極的に取り入れて情報発信をしていった事で変態レスラーと出会った人も多いと思う。
いつしかSNSというものが極々身近になり、1週間に1度発行される紙媒体よりもスマホで検索すればプロレスの情報を手に入れられるようになった。最初は試合だけだったが、プロレスラー個人もSNSを駆使して情報を発信していく。雑誌という仲介者がいない事は、良い時もあれば悪い時もあると思う。それも踏まえて、今のプロレスはSNS無くして成立しないと言って良いと思う。
そうなると紙媒体は役割が減ってくる。速報性はもちろん、写真だって客席から魅力的な写真を撮ってはSNSにアップロードするファンも多い。
インタビューだってスペースに限りがある紙媒体より、選手個人が動画を撮影して流す事が可能になった今は無限の情報が出せる。ことごとく紙媒体には不利な時代だと思うが、残念ながら週刊プロレスの一部の記者と佐藤光留は絶縁状態である。
名前を出すのも嫌なので書かないが、全日本プロレス担当の記者とはもう何年も話していない。
2019年2月。佐藤光留は連戦の真っ只中にいた。全日本プロレスのジュニアリーグ戦を闘いつつ、インディーの試合にも出ていた。そして19日には両国国技館で「ジャイアント馬場没20年追善興行」に出場。
なぜか大仁田厚に有刺鉄線ボードに投げつけられ負けたのだが、家に帰って寝てたら急に電話が鳴った。全日本プロレス担当の記者からだ。時間は午前3〜4時だった。
間違い電話かと思ったから教えてあげようと電話に出たのだが様子がおかしい。もしかしたら事件か事故にでも巻き込まれたんじゃないかと話しをしてみると、どうも酔っ払って電話をしてきている。
しかも内容は「なぜ大仁田厚なんかに負けるのか」みたいな事だった。「酔ってるのか?」と聞くと「酔ってない」と答えてきた。シラフでこんな事を電話してくるなんて余計に怖ぇわ。本人に了承も得て、事の顛末をSNSに全て列記。
翌日、全日本プロレスの事務所ですれ違った。その記者はコクコクと会釈ともつかない動きで近付きながら「昨日はすみませんでした」と小声で言ってきた。それに本当に腹が立った。
もしこれが団体所属のレスラーにやった事ならば、編集長と2人で頭を丸めて謝罪に来るレベルだ。酔っ払って連戦中のレスラーに電話(午前4時)してきて活動に文句つけてきて、昨日はすみませんコソコソで済む話しではない。
電話の中で「僕はプロじゃなくアマチュアだ」と言われたので、そんな奴と話す事なんて1ミリも無い。だから今も話したくない。ハッキリ言って早く業界から消えて欲しい。
謝って欲しいと思っているのではない。割と信頼していたのに裏切られた事が今も許せない。それを修復するのは向こう側だと思うが、そのためのアクションは皆無。時間だって充分にあっただろうに、打診すらしてこない。そんな奴と話す必要なんて今も無いと思っている。
以前いた編集長とも揉めた。初めて佐藤光留を週刊プロレスの表紙に選んでくれた危ない人だ。
佐藤光留が総合格闘技に出た時、これって週刊プロレスには載らないんですか?と聞いた事がある。
その時の週刊プロレスは総合格闘技を取り扱わないんだ…と言われた。まぁ普通に曙選手がRIZINに出てた記事は出てましたけどね。
ところがどっこいプレミアムチャレンジ。竹田誠志選手が総合格闘技に出た時は2ページも載っていた。それを編集長に抗議したら「あれは総合格闘技の記事ではなく、総合格闘技を通じて竹田誠志を特集した記事」と言われた。要するに総合格闘技の記事じゃないかと今でも思う。
その元編集長は、なぜか先日出たUWF関連の本に佐藤光留を掲載していた。永遠に嫌いだったが、少し気持ちが緩んだ。
そんな過去を薄っすら背負いつつ、2025年の選手名鑑の季節がやってきた。
選手名鑑に掲載される選手には連絡がある。それは毎年、選手名鑑用の写真を撮るためだ。佐藤光留なら全日本プロレスの後楽園ホール大会などで撮影する事が多い。その旨が連絡されてくる。
だが今年は連絡が無かった。全く撮影の準備などしていないので、突然「今日撮れますか」と言われても断った。
コロナ禍でプロレスだけでなく、ある日突然全ての文化が消え去った頃。試合が無いプロレスラーの無力さに震えながら、なんとか生き残るために興行を企画した。屋外なら人を集めても大丈夫じゃないかというところから富士通スタジアム川崎大会に辿り着いたし、配信という手段でプロレスを続けてきた。フリーとして生き残るために必死だった。
週刊プロレスも大変だったと思う。が、その全日本プロレス担当の記者のように、紙媒体の置かれた状況を理解してない立ち居振る舞いの奴が同じ業界人のような顔をしているのは今でも本気でイライラしている。
そこにきて選手名鑑の連絡が来なかった。その上、その事について話している時に酷い扱いをされた。
その記者は前出の奴とは別の記者だ。少し変わったところはあるが、ハードヒットを取材に来てくれたりしたので「こっち側」だと思っていた。
が、なかなかの扱いをされた。思い出しても机を投げつけたくなる。いくら外側に様々な修飾語があっても、佐藤光留はプロレスラーに変わりはない。プライドなんてものはないが、刃を向けてくるならコチラも容赦はしない。
今の週刊プロレスに掲載される事にメリットは少ない。SNSを毎日のように更新していれば、写真も主張も無料で発信出来る。もうコンビニにも並ばなくなった雑誌に掲載されなくても困る事の方が少ない。
だが、それは佐藤光留側の都合である。
選手名鑑を持ってサインを集めにくるファンは、まだまだたくさん存在する。元々はそっち側だった佐藤光留は、このSNS全盛の時代に分厚い選手名鑑に何枚も付箋を貼ってサインをもらいに来てくれるファンが好きだ。1円にもならないが、金の問題じゃない。自分なんかのサインでも、書いて渡した時の充実感溢れる顔を見たらコッチも嬉しくなるし、まるで自分を見ているような気持ちになる。
なのに。なのに、だ。選手名鑑を作る側の週刊プロレスに全く熱意を感じない事が許せなかった。フリーのプロレスラーに「オフィシャル」というものはないので、知り合いの記者に「絶対に載せないでくれ」と連絡をした。
すると今度は週刊プロレスの編集長・湯沢さんが「話しをしたい」と連絡をもらった。
湯沢編集長とは、ほぼ話しをした事がない。本当に挨拶だけ。ブッチギリのインディー&マイナーレスラーの佐藤光留に用事のない湯沢編集長を巻き込んでしまい少々申し訳ない気持ちはあったが、そもそもこの状況で会いたいと言われた事に驚いた。今までこういう事があっても、ほとんどは無視されてきたのだから。
ゴキゲンプロレス板橋大会の試合前、会場近くの喫茶店で湯沢編集長と会った。業界的には無視しても問題が無いぐらいの佐藤光留に対して、ビックリするぐらい丁寧に話しをしてもらった。ちょっとビックリした。
フリーのプロレスラーというものは自由であり残酷だと思う。佐藤光留の主戦場は全日本プロレスだと思うが、決してヘビー級のメインストリームにいる訳ではない。天龍プロジェクトでは偉そうな位置にいるが、ゴキゲンプロレスには女子プロレス雑誌の記者しか来ない。そして他の興行にはマスコミと呼ばれる人はほぼいない。日本人プロレスラーの中でも試合数は多い方から数えて数人目の佐藤光留でも、世間に認知はほぼされていない。その事をマスコミの数は教えてくれる。
だから業界唯一の専門誌である週刊プロレスの編集長が話しをしてくれるというのは意外だった。佐藤光留本人は、とうの昔に「どうせ自分なんか」を拗らせて自分の世界に引きこもったのだから。今までの週刊プロレスも、その佐藤光留が何を言っても触れてこなかった。
佐藤光留からは、選手名鑑を大切にしているファンがいるのに、当該記者が適当な仕事をした事が許せないと伝えた。湯沢編集長からは、今の週刊プロレスの状況を含めて「なんとか振り上げた拳を下ろしてもらえないか」という事を話してもらった。
結果として2025年の選手名鑑にも当たり前のように掲載されている。節操はない。あるのはそれを口にするお前だけだ状態である。
プロレスラーとして無責任な事をしたなという気持ちもない訳ではない。が、プロレスというのはレスラーだけが突っ立っていても成り立たない。
会場がありリングがある。チケットを持ったお客さんが会場に集まり、興行が始まる。
我々レスラーは身体を温めてコスチュームを着て試合をするが、入場曲だって勝手に流れる訳ではない。最も目に触れる場所にレスラーが立っているだけで、そのレスラーをよく見せるための人が働いてくれているのだ。
全てはプロレスを見る人のため。週刊プロレスは、そちら側の最前線だと思う。
もしレスラーが最大限プロレスをしても、伝える側がそのスケールを小さくしてしまう事もあると思うし、逆もまた然り。何かあった時に自分を最優先にしてしまえば、業界は縮小していくかもしれない。
ある人に言われた。このSNS全盛の時代に、紙媒体の週刊プロレスなんて必要とされないんじゃないですかと言うと、「そんな事ないですよ」と。
これからプロレスを見ようとした人が情報を得ようとした時。「プロレス専門誌」があるとないのとでは全く違う。専門誌というものの有無というのは非常に大きい影響がある。それを聞いてハッとした。
もし10歳の佐藤光留が2025年にいたら。プロレスに触れた時は「週刊プロレス」を買ってもらうだろう。
ページをめくるたびに、いろんなレスラーのいろんなプロレスが飛び込んでくる。そして思うだろう。「自分も週刊プロレスに載りたい」と。
金銭的なものやメリット、デメリットだけの問題ではない。紙媒体の「週刊プロレス」がなければ、佐藤光留は誕生していなかったのだ。いつの間にか自分の都合ばかり優先していた事を省みた。
だからといって当該記者とは話しもしたくないが、それはそれとして佐藤光留は、これからも週刊プロレスを応援しております。
なんならJEEEPでお待ちしております。
というね。
原付相撲部よ夕焼けに走れ
佐藤光留は自らが守るという原則です。
1年で12興行という修羅道を選んで歩きながらも「数字が取れない」などという非人道的な理由でマスコミから生きている事を黙殺された佐藤光留でありますが、なんやかんや言いまして今年も興行を複数回やってきました。よく「自主興行」などと言いますが、さすがにチケットのデザイン&印刷発注からやっている人間は聞いた事ありません。まぁまぁ純粋な「自主興行」なのですが、所詮は佐藤光留というニュースにならない蛆の叫び声ですんで。
ブログを更新し始めて2分で己の人生を己で蔑む佐藤光留ですが、今年も年間最後の自主興行は深夜の興行開催と相成りました。
昨年は新宿のど真ん中で飯伏幸太と闘い、最終的にトー横キッズの外国人を中心に大円団という、あらためて文章にしてみると完全に頭のおかしい人の妄言みたいな興行になりました。そして今年は久々の新木場1stRINGでの深夜興行開催。盟友にして釣り仲間である中澤マイケル20周年記念大会を佐藤光留が開催するという事で、これはもう自然な流れで変態團興行へとベッドイン。もう付き合って突き合って何年も経つアベックのような流れで新木場も深夜興行をOKしていただきました。
ところがどっこい剛竜馬。
チケットを作成し出場選手を決定して経費を計算すると、何かがおかしいのです。
いや「何か」ではない。今まで1度も興行で赤字を出した事がない佐藤光留が、年内最終興行という事で経費をかけた事は間違いない。が、明らかにおかしい。なぜこんなに厳しい数字が出ているのか。
1度、大きく深呼吸をした佐藤光留は、そのままセンター北サンコーでスマスロ北斗のデータだけ確認した後に帰宅。そのままFANZAで漫画原作の動画を2本購入。スッキリして再び経費を計算して気付いた。
そう。今回は会場使用料が普段より高いのである。
当たり前といえば当たり前である。充分すぎるほどに遅い時間まで走っている最終電車の時間を余裕で越した開始時間2:00。興行終了予定時間は4:30なので、おそらくまだ日の出はおろか始発電車も走っていない。そんな時間に会場を借りているのである。正規料金で貸す方が変態團だ。
おりからの物価高騰により会場使用料というものは上がり続けている。その度にチケットの値上げをする事もできない。今回も通常価格を維持した。それでも届かないのである。
最近は貨幣価値への向き合い方も変わってきた。金を稼ぐのは大事だが、このままだと死ぬまで…いや死んでからも金の悩みが足に絡まりつくという事になる。
様々な経験をさせてもらううちに、この誰かが作って勝手に押し付けられた貨幣価値から離れた場所でも当たり前のように生きれる事を知った。もし稼いだ金の量が成功のバロメーターなら、野球選手を前にしてプロレスラーは1人残らず討ち死にである。
そんな事はないはずだ。自分が「なりたい」と決め、全てを捧げてたどり着いた「プロレスラー」という職業は、きっと貨幣価値という装飾品がなくても魅力で満ち溢れているはずである。
とはいえ払う金がなければプロレスを続けていく事もままならない。ここはもう一度、手元にあるグッズを売り捌いて興行収支にブチ込もう。櫻井裕子選手に「ギャラが払えないので身体で払います」というのはご褒美だが、バラモン兄弟のギャラを己の身体で支払うのはプロレス史に残る大冒険になってしまうだろうから。
という事で、パイルドライバー原宿の在庫を整理してネットショップの方にUPし直しました。まだ結婚前の望月彩嬢に着用モデルを頼んだワイスピ色の全裸生活グッズ、そして佐藤光留デビュー25周年とパイルドライバー原宿10周年のコラボ全裸生活Tシャツを中心に揃えました。すでに業者への支払いは終えているグッズなので、売れれば売れただけ収益です。オススメなんて生やさしい言葉では言い表せません。買え。
佐藤光留個人のネットショップでは、変態團興行で行われる各試合への勝利者賞を販売開始。ご希望の試合に勝利者賞を出して、その試合に出た選手のサイン入り返礼品をGETしようぜ…という企画。先に言っておくが、まともな返礼品は届かない予定。伝票にもハッキリとア◯ルト玩具と明記するつもりなので覚悟してご協力よろしくお願いします。
そして新商品「佐藤光留DOA2025"Revolution"Tee」発売。先の龍魂杯優勝記念カラーとかにしようと思ったが、そもそも毎年作ってるカラーなのでアレ。コチラは通常のTシャツはもちろん、着ればモテるBigロンTもご用意。マジでサイズの合ってない選手Tシャツで推しの売店に行くぐらいなら、このBigロンTで行った方が間違いなくモテる。プロレスラーという生き物は視覚で得る情報で簡単に人を好きになる生き物。数々の不祥事を思い出せば納得でしょう。この商品は12月12日のチケット即売会in渋谷から取り扱い開始。13日のゴキゲンプロレス、14日の中野龍雄還暦興行、15日のHEAT-UP後楽園にも持参。というか商品があれば路上でも余裕で売りつけるので、地球のどこかで震えている佐藤光留を見つけて優しく餌を与えてください。
あとはとにかくチケットを売るしかない。金というものは自分を幸せにする道具ではない。その考えだと、金がなければ自分が不幸になって終わりなだけである。
金は誰かを喜ばせるために使うものだ。もし佐藤光留の人生に意味があるとするならば、午前2時から「変態團興行」などという得体の知れないものに、期待し集まってくれる変態達に金を使いたい。常に女性の裸を想像しながら生きているような人間だからこそ、誰かのために生きたいと思うのである。
お
っ
ぱ
い
バランスは取れた。あとは天命を待つだけである。
じゃあまたね☆
パイルドライバー
JEEEPオンライン闇市
高山さんと飯食った話し
さもすれば佐藤光留です。
本日は高山善廣さんと食事に行ってきました。鈴木秀樹さんと296さんも一緒でした。
高山さんが怪我して欠場した時、それはそれは佐藤光留の周囲は動きに動きました。もちろん佐藤光留自身も。
高山さんが都内の病院に来た時、鈴木さんが会いに行ってました。鈴木さんから高山さんの様子を聞いた時、鈴木さんが「佐藤も行こうよ」と言われました。
もちろん行きたかったのですが、それから定期的に色んな人が高山さんに会いに行くのを見ました。SNSはもちろん、「◯◯がリハビリ中の高山善廣に会いに行った」というニュースが出るたび、なぜか「佐藤光留が会いに行っていいものか」と少〜しだけ思ったのです。
そんなところで顔を出さなくてもいい「自分なんかが…」がガッチリ顔を出してきました。そのままコロナ禍がやってきて、全く高山さんに会う機会は無くなりました。
川村も会いに行ってない人間でした。会いに行けない分、とにかくTAKAYAMANIAに協力しよう…と、川村と話し合いました。川村も「自分なんかが…」と思うタイプ。
佐藤光留が主催するハードヒットでは、いつも川村が募金箱を持ってきてくれました。いつもは適当な川村が、TAKAYAMANIAの募金箱は必ず持ってきて会場出口で声を張り上げて募金を呼びかけてくれました。川村に「ありがとう」なんて普段は絶対に言いませんが、その時は「高山さんに会いに行けないけど一緒にTAKAYAMANIAに協力してる同志」と思って、毎回ありがとうと言ってました。ある日、川村が高山さんに会いに行った様子がSNSにあがっていました。
同志だと思っていた人間の卑劣な裏切りがありつつも、TAKAYAMANIAに協力するアイデアはたくさん出てきました。タッグパートナーだった青木篤志選手は、Twitterの固定にTAKAYAMANIAへの協力を呼びかけていました。青木さんが亡くなってからは、2人のタッグチーム名である変態自衛隊グッズは全てTAKAYAMANIAへの協力にしました。
高山さんと対戦経験が無いプロレスラーの中にも、TAKAYAMANIAに協力したいという選手がたくさんいました。格闘技の選手で、リハビリ中の高山さんを見て勇気をもらった、自分も何か協力出来ないか…という相談を何人もうけました。みんな佐藤光留興行でTAKAYAMANIA募金箱を持ってくれたり、自身の売店売り上げを募金箱に入れてくれたりしてくれました。
高山さんの影響力というのを感じる度、やはり会いに行く人は選ばれた方が良いのでは…という気持ちは大きくなってきました。自分はとにかくTAKAYAMANIAへの協力を頑張ろう。そう思ってました。
高山さんは絶対に復帰する…と思ってもいます。1度だけ高山さんとシングルマッチをした事がありました。後楽園ホール。金原さんの興行だったはず。
思いっきりぶつかっていき、巨大な足を掴んでエスケープを奪取。その数分後、ジャーマンスープレックスで投げられます。
後楽園ホールで投げられた事は何度もありますが、投げられる途中に南側のひな壇にある入り口と目線が並行になったのは、後にも先にも高山さんのジャーマンスープレックスの時だけでした。
高山さんも「自分の足でリングを降りる」と言ってるし、それまでTAKAYAMANIAを頑張ろう。それが自分の役割だ。
そう思っていました。
そして昨年のTAKAYAMANIAに、もしかしたら高山さんが来れるかもしれないという話しが出ました。その日の体調などがあるらしく、来れるかどうかは当日にならないとわからない…という事でしたが、会場に着いたら「高山さん向かってます!」と言う報告がありました。
そして数年ぶりに高山さんに会いました。後楽園ホールのエレベーターの中。
佐藤光留「お久しぶりです」
高山善廣「お!久しぶりだね」
296「誰だかわかりますか?」
高山善廣「…どなたでしたっけ」
いや久しぶりって言ってたじゃないですか!と、それはそれは和やかな再会でした。
全試合が終わって、鈴木さんがリングに高山さんを上げて「試合」を開始しました。あの場にいて受けたエネルギーの大きさは今でも覚えています。
今年のTAKAYAMANIAにも高山さんは来場してくれました。blogを見ても、座ってカメラを睨みつけている高山さんの眼光に「おぉ!」と思う事も増えてきました。
そして今日、一緒に食事に行こうと誘われました。
またもや顔を出してくる「自分なんかが」。でも今回は鈴木秀樹さんも296さんも一緒だし、そもそも食事会だし。気にしてるのなんか佐藤光留だけだ…と思っていても、小さくなった「自分なんかが」が完全に消える事はありませんでした。
高山さんとの食事は、それはそれは楽しいものでした。いつも鈴木秀樹さんと「アイツが嫌い」「コイツが嫌い」「田村潔司が最も魅力的に見える時は試合に出てない瞬間」と話している事を、高山さんはさらに深掘りしてくれました。
怪我をする前に、鈴木さんと高山さんと佐藤光留の3人で食事に行った時の事。
その日はUWFスタイルの興行。鈴木さんと高山さんは試合に出て、佐藤光留は売店係。
常に行き詰まりながらも生きていたハードヒットではは、「Uの末裔」を自称していた佐藤光留。そんな佐藤光留に鈴木さんと高山さんは「今日の試合はUの末裔としてどうでしたか!」と聞いてきたのです。
思わず「やっぱホンモノは違いました」と答えた佐藤光留に全員大爆笑。「ニセモノの自覚あるんだね」と言われた事は、大袈裟ではなく佐藤光留のプロレスの方向性を明確にしてくれた出来事でした。
時間は経ったのかもしれませんが、プロレスラー同士の食事会は今日も本当に楽しかった。でも、やっぱりどこかで「自分なんかが」がいたのも確かでした。
食事会が終わり、高山さんが車に乗って帰る時でした。鈴木秀樹さん、296さんが「また会いに行きますよ」と挨拶してるのを、ちょっと羨ましいな…と思って見てました。まぁでも人には「星の下」というものがあるし。
そして佐藤光留も、車の中にいる高山さんに挨拶へ。そしたら高山さんがひとこと。
「いつも会いに来てって思ってるよ」
帝王の目には全てお見通しッッッ!!
これからも変態自衛隊グッズを作り続けます。TAKAYAMANIAへの協力も続けに続けます。それを辞める時は、高山さんが復帰した時。それはもう決めていた事。
そして今日、新たに決めた事。また高山さんに会いに行く事。「自分なんかが」を持って行く事。いいじゃない、持ってても。それが佐藤光留なんだから。

