恩人を殴るには拳が必要か | 公!!光留塾☆期間限定復活分校☆

恩人を殴るには拳が必要か

教えてよ佐藤光留です。

12ヶ月連続興行を遂行中の2024年も6月で折り返し。「歳をとると時間が過ぎるのを早く感じる」と言われたら、それは体感時間が影響しているんですよと説明したくなる43歳になってしまっていた2024年の折り返しです。

なんとか1月から6月までは興行が決まりました。7月はロードto川崎、8月は川崎、9月はハードヒットを大きな場所でやりたい。10月はインディージュニアかな。11月は名古屋で、いよいよ12月に何をやるか考えるようになりました。

「幸せ」とは何かを考えるようになったなんて書きましたが、それは考えれる場所があるからです。屋根と壁があって雨風が凌げる。食事が出来てスマホで文章がかける。当たり前のようですが、これはとても幸運な事です。

20代の頃、風呂無しアパートに住んでいて、とにかく金が無かった事は書きました。植田まさしの漫画を読み過ぎていたので苦しくはありませんでしたが、ふとした瞬間に自分の将来を案じるには十分過ぎる環境でした。



そんな中やってきたパンクラスの契約更改。とはいえ自分の契約は選手としてというより、道場で格闘技を教えるインストラクターとしての契約がほとんどでした。ただその年は、パンクラスの人に「プロレスがやりたい」と口走ったのです。

その数日後、道場に来た鈴木さんから「お前、プロレスやりてぇとか言ったらしいな」と言われ真冬の屋外階段に呼び出されました。

それはそれは怒られました。怒鳴ったり殴られたりするなら、まだそっちの方がマシです。鈴木さんから理詰めで行動の矛盾を指摘され、ただただ項垂れるだけの1時間。そして「はい」「すみません」と言うと、それが何に対しての返事なのか、そして謝罪なのかを詰められ1時間。合計2時間、半袖短パンで怒られました。ちなみに鈴木さんも同じ服装でした。

それでも翌週の月曜日から、鈴木さんは「練習行くぞ」と言ってくれました。当時は馬車道にあるゴールドジムに2人で行って、蕎麦屋で昼飯を食うのがルーティンでした。ただその日は、蕎麦屋の後に鈴木さんの車に乗って先週の続きを話さなければなりませんでした。

が、意外にも鈴木さんから怒りは感じませんでした。だからといって許された雰囲気も皆無でしたが、少なくとも鈴木さんから話された言葉は自分にとって意外なものでした。

「DDT、大日本、KAIENTAIなら話しする事なら出来るかも」

それは紹介して試合をさせたい…ではなく、そういう人間がいるよと話すという意味である事は口調からわかりました。が、それでも自分には有り難い話しでした。何より鈴木さんに怒られなかった事が、当時の自分には意外でした。

そして奇妙な出来事はここから始まります。

その話しをしていた時、鈴木さんの携帯電話が鳴りました。ガラゲーの小窓には「高木三四郎」の文字。

DDTがUWFに近いスポーツライクな新ブランド「ハードヒット」を立ち上げる。そこで鈴木さんのとこにいる、メイド服を着た子は試合出たりしませんかね?

という内容の電話だった。

電話を切った後、鈴木さんがひとこと「こういうタイミングなんだろうな」と言ったのを今でも覚えています。

鈴木さんからプロレス転向を許可されるかどうか曖昧な最中、プロレスの試合をオファーしてきてくれた人がいる。こんなドラマのような話しは、DDTの社長(当時)だった高木三四郎さんがいてくれたからこそ起きた奇跡だった。

それからハードヒットに出場した佐藤光留は、いつの間にかDDTに潜り込んでプロレスに染まっていった。いつしかDDTは離れたが、試合用のタイツに「旅」と入れているのは、今の佐藤光留はDDTから旅に出ているという事を示し続けているからだ。

そんな高木さんが休養に入るらしい。理由はわからないが、もしかしたら2度と対戦出来ないかもしれない。引退したら必ず戻ってくるのに、休養したら戻って来ない気がする。プロレスラーとは不思議な生き物だ。

そんな高木さんと、休養前に闘いたい。じゃあどこで闘う?と考えた時、このインディー界で生き続けた佐藤光留のホームを見せたいと思った。

決して華々しくは無かったが、どうやら佐藤光留は妙な事をして生き延びているらしい。それが出来たのは、当時のDDTにいたからだ。ビアガーデン、オールナイトプロレス、そして路上。ありとあらゆる「マジかよ」を実現させてきたDDTにいた佐藤光留の、ホームで高木さんを迎え撃ちたいと思った。

ホーム。ホーム…ってどこやろ。ハードヒット?いやそれなんか違うな。インディージュニア?コレもしっくり来ないな。JEEEP?そもそも高木さんて長渕聴くのかな?

ホーム?ホーム…?ホーム……って、家って意味か。

そうか!家でプロレスやりゃ良いんだ!

新幹線でまでプロレスをやった高木三四郎を、ケツから火が出るぐらいビビらせたい。早速岡山の実家に「家でプロレスやりたいんだけど」と言うと「何日?」とスケジュールから聞き返してきやがった。可否の選択すら無いなんて、これはもうこういうタイミングなんだろうな。

かくしてプロレス界初の「実家プロレス」は開催が決定した。以下、参加要項なので穴に目が開くぐらい繰り返し読め。

☆ニコプロpresents「実家プロレス」
日時・2024年6月21日(金)12時〜13時開始
場所・佐藤光留実家
チケット料金・33,000円(5人限定)※食事付き
対戦カード
(株)新太平洋運輸
RYSKパートナーズ
デッドリフ太郎
presents
時間無制限1本勝負
佐藤光留(パンクラスMISSION)
VS
高木三四郎(DDT)

・試合開始は昼頃(来場者に通知)
・集合場所は来場者に通知
・チケットは5名以上の応募で抽選。観戦希望者は佐藤光留まで「氏名」「電話番号」「希望人数」を明記のうえ f5r6i5d1a3x1y0@ezweb.ne.jp までメールしてください
・締切は5月31日23時59分
・試合の模様はニコプロで後日PPV放送予定
・「普通に買える」DVD化も予定

また今大会では個人スポンサーを募集しております。お礼として、佐藤光留から直接お手紙を送らせていただきます。今回はたまたま家に便箋がありましたので普通のお手紙です。右手で書いた手紙が11,000円、左手で書いた手紙が16,500円となる予定です。詳しくは佐藤光留のSNSを監視し続けてください。

高木三四郎は、どんな場所でプロレスをしても「夢」と「現実=収益」を勝ち取ってきた。現時点では、高木三四郎は新幹線(自由席)で岡山入り。佐藤光留はレフリーを乗せて自家用車で夜走りである。

チケットが5枚売れ、個人スポンサーが良い感じでつけば高木さんはグリーン車に。佐藤光留はレフリー乗せて自家用車で昼走りに。助っ人も呼べるかもしれない。利益はPPVとDVDで出す作戦でいこうじゃないか。

休業が決まっても精力的にリング…じゃないところで試合している高木三四郎を、岡山の用水路に突っ込んでやる。

それが佐藤光留の恩返しである。嘘です。本当です。嘘です。