めざせ!南北線南下計画 ~白金台への道~ -3ページ目

めざせ!南北線南下計画 ~白金台への道~

2008年8月25日に入籍したことを記念してブログを二人ではじめました。

二人の歳の差は15歳。生きてきた時間の長さは若干違うけど、目指す夢は一緒!!

そうです、南北線を南下して白金台で暮らすことです。

この道は長いのか、短いのか、乞うご期待!


金曜日に結婚披露パーティーを終えた。ここ2週間これにかかりっきりでてんやわんや。ついにコンピュータの学校も休んでしまったし、水、木と終電ぎりぎりまで式で使うパワーポイント、クイックタイムの画像処理に追われた。ふー、大変だった。

サトの両親は本当にいい人達。だからサトみたいな娘が生まれてくるのだと最近は納得している。サトとはいつまでも仲良くいたいものだ。

写真は、先週、親族との食事会の後、皇居のお堀端で撮ったもの。



昨日はデローザで久しぶりにサイクリングに出かけた。一昨日は、サトとサスの両方の両親、親戚が丸の内のイル・ギオットーネでお祝いのお食事会を開いた。ここふた月ほど読書会、ガーデニング、勉強会、旅行とまったく自転車にまたがる機会がなく、せっかく乗ろうとすると雨。やっと昨日時間を見つけた。往復38.5キロのほぼ平坦な道。写真は荒川沿いにあるレストランさくらの前で撮ったもの。
ポタリングと言う言葉は自転車に乗る人なら知っている。自転車で散歩するぐらいの意味だ(自転車で散歩とはちょっとおかしいが)。会社のイギリス人に意味を訊いて見たが、ポタリング・アラウンドと前置詞と共に使うことが多いようだ。ただし、綴りはpotterである。このpotterはご存知ピーターラビットの作者の名前と同じ綴り。名詞形で陶器職人を表し、pottererでだらだら仕事をする人になる。米語だとputt。ゴルフ好きの人にはたまらないあの軽くたたく意味のパットだから面白い。putterでのんびり仕事するの意。
米語にポタリングと言う言葉が見えないのは国土の広さゆえかなぁ、なんて思ってしまう。そう言えば、ランス・アームストロングがまたツール・ド・フランスに復帰すると言う。アメリカ人に言わせたらデローザでポタリング・アラウンドなんて邪道なのかもしれない。パワー・コープの社長さんもそう言ってたっけ。


今日、東京のビックサイトでサトがイベント会場で仕事をしているとサスの元上司がブースの前を偶然通り過ぎ、サトは追いかけて声をかけた。サト、元上司、サスは神楽坂で以前飲んだことがあったのでサトが直ぐ気付いたという。
元上司は今は出向しているとはいえ、サスが最も尊敬している先輩だ。控えめであり、ロハス的であり、老子的であり、知的であり、合理的であり、外見は中井貴一に似ている。ちょっとほめすぎかなぁ。
サスをイギリス留学に送り出してくれた先輩であり、課長から次長に上げてくれた上司である。最近、サスが忙しすぎて一緒に飲めないのがちょっと残念だ。

この件でコメントが入ったのでもっとわかりやすく説明できないか工夫してみました。
まず、誰かと話そうとある出来事を思い浮かべます。

①ある事柄がはっきりいつの時点で終了したか分かるのであれば過去形。

②ある程度繰り返し、習慣化された行為、行動を説明するのであれば現在形。

③そのどちらでもなく、はっきりしない、今に続いていると思われる事柄が現在完了です。

上記の説明はあまりに単純していますが、まずこの3つの時制が使い分けられるようになると他の時制、現在進行形、過去完了形へと進んでいけると思います。

特に、話しかける相手の行動、行為というのは過去形で訊ける事柄は意外と少ないものです。また、行為、行動が今に続いているだろうと推測しつつ過去でもなく、現在でもない問い(過去完了)を発するのはとても思いやりのある会話となりますし、話し相手からも現在完了形を使った疑問形が多く発せられます

サトが結婚以来英語を教えてとせがまれていたので、サトの長年疑問に思っていたbe動詞と人称による動詞変化と現在完了を教えた。
特に、日本人の「現在完了」の使われる場面が日本語にはない時制のため判りにくいのは当たり前なのだ。サスがイギリスに留学して専門以外に英語をマンツーマンで教えてもらった中で目から鱗が落ちる思いをした一つが、実はこの「現在完了」の考え方と使い方である。
例えば、サイトEnglish Café,英語喫茶によると、『現在完了を簡単に説明すると「過去の出来事が現在と結びついている」ものと考えることができます。そして現在完了は「動作の完了」・「動作の結果」・「経験」・「継続」をあらわすときに使いますと説明することができます』とある。そしてhave か has を使うのだと。
これではたいていの日本人にはわからないだろうと思う。簡単に説明すればこうだ。今の時点に立って、自分あるいは話しかけている相手がはっきり、現在あるいは過去と時制がわかる場合はその時制を使う(現在か過去)。それ以外の過去から続いている動作、行為が現在いつの時点で終了したか、「判らない」(ここが重要)時に使うのだと。
このはっきりした時制が判らない時に使うということ知ったとき、実際の会話の場面で数多く使えるようになったし、現在完了の使い方のエッジが効いた会話が楽しめるようになったと思う。
ネイティブでも、あれは「動作の完了」・「動作の結果」とか、これは「経験」・「継続」だと意識しながら話してはいないという。ましてやノン・ネイティブがそんなこと考えながら話していたら、会話が成り立たなくなる。
現在、過去、現在完了をうまく使い分けできるかどうかで英語の会話が豊かになる。


サスは昨日、逗子で不動産の勉強会。サトは溝の口でプリザーブド・フラワーの勉強兼制作。二子玉川で待ち合わせた後、おなかが空いたので荻窪でラーメンに突入。駅前を車で行ったり来たりしたが、ちょっと得体の知れないお店に入った。それが、この太陽のトマト麺だ。
サトはチーズトマト麺。サスはアオサ入り鳥肉パイタン麺。夜の9時台の割には、周りを見渡すと女性客が多い。スープをほおばる。うん。うす味。でも、アオサとグレープフルーツが程よくマッチ。さて、麺は?
あれ、アルデンテ。長浜ラーメンのバリカタか?と思いきや、やがて豆乳入りの麺はスープを吸って柔らかに。しばらくすると最高のブレンドとなった。
サトが食べているチーズトマト麺も食べさせてもらったが、これも美味しい!!うん。これは、間違いなく星☆☆☆☆☆だ。二人とも久々に満足するラーメンを食べた。幸せになった。

昨日、コンピュータネットワークを学ぶ学校でやっとコンピュータ⇔ルータ⇔ルータ⇔コンピュータの通信設定が出来るようになった。あわせて、IPアドレスのネットワークアドレス、ブロードキャストアドレス、サブネットマスクの算出が出来るようになった。なんか、小学校以来か、理解できたときのうれしさを感じている。


Good Day Books の月1回の著者を招いての講演があった。今回は、ジェームス L.ハフマン氏の「A
YANKEE IN MEIJI JAPAN the crusading journalist
edward h. house」を取り上げた。
ニューヨークから維新後の東京に特派員として来日。下関戦争の賠償金の返還交渉、ペルー船マリア・ルーズ号の中国人奴隷の解放擁護、台湾出兵の際の従軍、日清戦争の報道等々、明治日本の広報ともいえる活躍をした。そんな存在を今では知る人も少ない。
幼少の頃から弱きを助ける気質。不正を嫌う正義感がE.H.ハウスを突き動かし、列強に立ち向かわねばならなかった日本を彼は愛したのだろう。ラスト・サムライのジャーナリスト版とでも言えるかもしれない。
明治日本のお手本であり友好国は1902年に同盟関係を結んだ大英帝国だった。その点は「断たれたきずな : 日英外交六十年 」 F・S・G・ピゴット著に詳しい。それに対し米国は厳格な三権分立をとった大統領制のもとの連邦国家である。どうしても明治日本とは体制が違い、しかもやがては太平洋戦争で戦う。早くから富国強兵を目指す日本に対する米国の見方は冷ややかだったとばかり思っていた。この本を読んでサスは日本と米国の関係がまったく違ったものとなった。
講演の後のGood Day Booksの店主と著者とのディナー。ワインの飲みすぎで呂律のまわらない英語で話してもサスの意を汲んでくれるハフマン氏はとても優しい。日本を愛し日本の近代史に詳しい米国人の学者だった。

サトが最近サスの頭を見る度、うすくなって


きたと言う。ほんとかなぁ。いよいよ来るもの


が来たのか。


白髪は多いほうだけど、禿げてないのが自慢


だったのに。


一度鏡で真剣に見てみようっと。

今日は、学生時代マスコミを目指した勉強会の仲間の一人が亡くなって約一年。生長恵理さんの1周忌を偲ぶ会が開かれる。学生時代からとても優秀で、毎日新聞に入社、奨学金を得てロンドン大学に留学。記者として活躍。その後、癌と分かり手術。回復したのち 「HOPE★ プロジェクト」 を立ち上げた。この会は、エッセイストの 岸本葉子 さんら癌を体験した数人の女性によって発足したもの。病を得ながら仕事に打ち込む彼女にただただ感心するばかりだった。
英語でのスピーチ、挨拶を訓練するブレックファスト・トーストマスターズ・クラブを僕が紹介したのち約10年以上も継続していた(因みにサスはネイティブスピーカーの弁護士たちに圧倒されさっさと退会)。英語が好きであり、もちろん得意だった。サスが留学する際も親身に相談にのってくれた。
先立たれたご両親の心痛が思いやられる。彼女の更なる活躍を期待していたことだろう。
マスコミ勉強会の作文練習で、2人1組でパートナーとなった人を描写する課題があった。彼女を「一途な人」と評していた言葉が忘れられない。仕事に、英語に、一途だった生長さん。人生に一途だった。