めざせ!南北線南下計画 ~白金台への道~ -4ページ目

めざせ!南北線南下計画 ~白金台への道~

2008年8月25日に入籍したことを記念してブログを二人ではじめました。

二人の歳の差は15歳。生きてきた時間の長さは若干違うけど、目指す夢は一緒!!

そうです、南北線を南下して白金台で暮らすことです。

この道は長いのか、短いのか、乞うご期待!


サスの友人U君宅に今日は遊びに行って来た。実は彼の奥さんは美人で有名な漫画家、武内昌美さん。3歳の女の子を入れて3人暮らし。
父親似と言うのがちょっと信じられないくらい、漫画の主人公のマポタンはとても可愛いい。最初のうちは人見知りをしていたが、そのうちサスと御まま事。遊んでもらった。
それにしてもサト。訪問する前までご機嫌ななめ。でも、武内さんに会うなりケロッと変身。ひと目あった時から人好きにさせるのは流石です。
昼過ぎからビール、ワインを飲んで話に盛り上がり夕方の6時過ぎまで滞在してしまった。


先日報道ステーションで紹介された現役最高齢のパイロットのお話。しかも、太平洋戦争中一式陸攻に乗って生き残ったと言う。ちょっと信じられない。ワンショットライターと言われた爆撃機,一式陸攻。沖縄戦も戦い抜いた高橋さんの生への希求と信念は素晴らしい。この本を読むと、予備校時代に読んだ「わがいのち月明に燃ゆ」林 尹夫 (著) を思い出す。



今から63年前の高橋さん

主人公は人柄、パイロットとしての力量等と素晴らしい人だ。なのに本自体はそれに追いついていないと思う。ライターと出版社はもっと工夫するべきだ。
明日、うん? 今日から京都へ1泊2日。

ところで、2進法あたまを作るための

ゲームをこの間から始めたが、現在サス

はレベル5に。


やってみたい人は、こちらCISCO BINARY GAME。

サスはこの10月からCCNAの資格を取る


ための学校に通いだした。第1回目の授業


講師の先生が、Cisco Binary Game を


暇があったら2進法を勉強するためにやる


といいと勧めたので早速昨日やってみた。


最初のうちは難しいかなぁと思っていたら、


コツを覚えると以外に簡単。今日だけで


レベル2まで到達。しめしめ、と思った瞬間


部下の課長さんが、僕の後ろに立っていた。


が点。この課長とはつい先日あることで


険悪なムードになったばかり。


このゲーム。単なるパソコンゲームと似て


いる。そりゃ、そうだ。ゲームとシスコが


言っているもんね。


サトにやらせてみよう。



タイトルはこれから勉強していこうというの


ではない。むしろ逆。かつて出来た言葉を


忘れていく順番だ。


昨日、電話でミシェルとボラボラ島の件で


話した。うーん。フランス語出てこない。日仏


学院に行かなくなって一年半。そう言えば、


フランス人とまともに話してなかった。言葉


が出て来なくて不思議ではない。日頃使わ


ぬものは出て来ないのだ。


イギリスにいた頃、なぜか英文毒薬。ちがっ


た。ドイツ語が好きで独訳に凝ってた。スイス、


ドイツに行って人と話すようにしてた。でも、


この言葉も使わなくなってもう10年以上。


聴くことは出来ても話せない。


丸善で Louis-Ferdinand Céline の Cass-pipe


を読もうと買ってきた。まだ間に合うかなぁ。




昨日、恵比寿のGood Day Books


ドナルド・キーン新潮日本文学教授の講演


があった。とにかく教授の記憶力の良さに


参った。現在85歳である。


かつて若い頃に出会った日本文学の大家


との交流(川端康成、三島由紀夫他)をこと


細かに憶えている。しかもその小さいな出来


事を整理・統合し、彼が語る日本文学史は


教科書を読むかのように僕は感じた(もっと


彼の日本文学史は教科書として使用され


ている)。


僕にとって三島由紀夫は天才であり、作品


の持つ完成度と日本文化と美に対する造詣


の深さは、彼の前後に誰も存在しないのでは


ないかと思うのだが、実はキーン氏は三島が


ノーベル文学賞を取れるよう運動もし、川端


よりも彼を押していたのだ。


そして、あの事件。僕には三島の割腹事件は


おぞましく、謎に思えた。後に「憂国記」を読む


のを最後に彼の作品を読むのを止めてしまっ


たが、彼の死の原因は川端がノーベル賞を取


り、こののち文学では同賞が20年は日本人で


取れないだろうと悲嘆し三島は切腹したのだ


言う。


”Chronicles of My Life” を読んで、彼の


文体が日本風のエッセイーだなと思って読み終


えたが、キーン氏は英文が日本語に翻訳される


のを意識して書いたことを明らかにした。また、


挿絵が、僕には妙にコミカルだなと思っていたら


締め切りとイラストレーターの語学の問題でそう


なったのだと言う。


日本と日本の美をいつまでも愛するドナルド・


キーン氏は、どんな質問をしても決して貶したり


しない優しい人であり、日本文学に対する博識


ぶりは彼を除いてもはや日本人でさえいない


ではないかと思う。英語、仏語、日本語、中国語


他多数の言語を駆使するキーン氏はまさに


ポリグロットと呼ぶに相応しく、異国の文化


理解するためなら外国語をものにするの


を苦しないように見える。


ドナルド・キーンは、僕の憧れであり、近づ


こうとしても近づけないあまりにも偉大な


存在のように思える。彼は去るのを惜しん


だケンブリッジの、僕が見かけた優秀な


学者そのもののだ。



昨日福岡に出張。今日は昼ごろ帰ってきて、


一旦会社に寄った。そしたら、元部下だった


F君が土曜にもかかわらず、出社してて挨拶


に来た。今日は産業医との面談のため来た。


かつて最も厳しい上司の下いっしょに働き


どんな困難な時でも凌いで来た彼がうつと聞


いたときは、耳を疑った。職場で次から次と


精神的にまいる若者が出てくる。厳しい経済


環境。プレッシャーをかける管理職。頑張ろ


うとする人間ほどうつになりやすいという。


僕のいる部署はそんな人を受け入れ一緒に


働いている。人からは「サナトリウム部」と


呼ばれる。


僕の仕事は、彼らのなんでもない話を「聴く」


ことだ。表情、仕草、声の調子。使われる



言葉とその的確性。真に当人が心のそこから


自分の感情を表現しているか、さぐる。


使われた言葉、表現をポイント、ポイント


繰り返して見て、更に会話を深くして


みる。


僕のすることは、「聴く」ことだけだ。


でも、不思議だ。昨日の営業報告会議で


14人の中間管理職が上半期の成績を


発表し、プラスはわが部だけ。多分、人は


たまたま運がいいと思うだろう。でも、この


「聴く」技術は、人が働きやすい環境となる



だけでなく、それを同じように真似た部下


が営業先で使うと売り上げが伸びるのだ。


それは、わかる人にはわかるし、わから


ない人には一生わからないだろう。



サスは24歳で社会人になりそのほとんどを営業として過ごして来た。その間、


広告ばかりでなく企業研修プログラムのセールスもし、会社も変わり、転勤も


し、留学もし、課長となり23年間充実した人生だったと思う。どんな商品、


サービスだろうとバブル崩壊後であろうと、拓銀倒産直後の北海道でも前年比


プラスが私の自慢だった。長期低落傾向の不人気な課を立て直し、人格障害


の部下をもらっても何とか前年売上を超えて来た。


しかし、自分の部署は7つの営業部の中で唯一プラスを保ってはいるものの


部のナンバー2となり日中会社にいてみんなの留守番役。何か物足りなさを


感じる。それは何なんだろうと自問する。この役職はこれでいいのだろうかと


悩む。年収も1千万と2千万の間。こんなことしてていいのだろうか。今はとに


かく将来のために新しい知識の獲得と割り切ってみたものの、そこは有り余る


時間が横たわっている。とにかく、ヒマなのだ。